永遠の青空とともにに戻る

=2023-07-01=

複数のことを繋ぎ合わせる知性がない

僕が馬鹿な理由は、複数のことを繋ぎ合わせる知性がないからだ。

分かったことを、別の分かったことと、結びつけて理解する知性がない。

僕が他人の話す日本語が分からないのは、全部そのせいだ。

本当は、日本語が分からないわけじゃない。日本語は誰よりも完全に分かっている。

だが、二つのことを結び付けて分かる知性がないから、文と文が繋がらず、単文のセンテンスしか分からなくなっている。

そして、豊富にある知識と経験が、逆にそのような知性をつけることを邪魔している。

何ひとつ新しいことが分からないのは、既に過去の記憶の中で誰よりもすべてを分かっているからにすぎない。

だから、複数のことを繋ぎ合わせて分かるようにすれば、すぐに安心して楽に生きることができるようになる。

動いたほうがいいから歩き回っているだけ

また、僕が動き回り、歩き回るのをやめられないのは、動いたほうが本当にいいからだ。

足の怪我の後遺症という障害がある僕は、歩き回るのをやめると、体力が本当になくなって歩けなくなってしまう。

むしろ、何ひとつ運動をしないのは健康に悪い。

何もしない僕は、健康面を考えると、止まっているよりも歩き回っていたほうがいいから、歩き回っているだけにすぎない。

実際、この症状は一種の心理学的なイップスであり、歩き回るのをやめようとするから歩き回ってしまい、歩き回ってもいいのだと開き直ってしまうと歩き回るのが止む。

結局、何も運動しないよりも運動したほうがいい。

疲れているのは、本当はすぐには治らない。このような慢性的な疲労はいつまでも続けてしまうと、簡単にすぐには疲れが取れなくなってしまう。

本当は、歩き回ることで、「一番疲れている部分」を休ませることもできる。「疲れていないほかの部分」を使い続けることで、「一番疲れている部分」を休ませることができる。今の僕は、主にその理由で、歩き回らないよりも歩き回るほうが楽な状態を維持し続けている。

仏教徒になった

そういうわけで、今、僕はキリスト教徒から仏教徒になった。

キリスト教徒は、知識や経験は豊富だが、二つのことを結び付けて分かる知性がない。

逆に、仏教徒には知識や経験は乏しいが、二つのことを結び付けて分かる知性がある。

なぜ、こうなるのか。こればかりは解決できない。なぜなら、「イエス・キリストがそういう人間だから」ということ、「ブッダがそういう人間だから」ということが理由だからである。

キリストは神であり、なんでも知っていてなんでも分かっている。それでも、キリストはユダヤ人であるため、二つのことを結び付けることができない。それはヘブライ語が馬鹿だからである。

それに比べて、ブッダは仏であり、二つのこと以上のことをさまざまに関連付け、結び付け、繋ぎ合わせることで、「世界そのものをすべて知って悟る」ということができる。

だから、キリスト教徒はいくら頑張っても恐怖のまま不安が続く。それに比べて、仏教徒は安心でき、たとえ地獄の試練であってもたやすく乗り越えられる。

そう、僕は仏教徒になって、ようやく、二つのことを結び付けられるようになった。

昔の僕に戻っただけ

だが、僕にとっては、これは「賢くなった」ということを意味しない。

なぜなら、昔の僕に戻っただけにすぎないからだ。

昔の僕は、物分かりのいい人間で、どんなことでも、二つと言わずいくつものことを結び付けて、深く広くすべて知り、そして重なり合いを分割することから分析することのできる人間だった。

そう、まさに昔の僕は、今のような馬鹿な障害者ではなく、ブッダと同じ完全な「覚者」だった。

だから、結局、ここで僕は神と対話する「誰よりも神を信じた人間」が治って、昔の僕に戻っただけにすぎない。

それでも、これでようやく僕は安心できる。なぜなら、当人である僕が、これで「確実に分かるようになった」ということを確信できるほど、過去の僕はその知性だけで分かっていたからだ。

ようやく、二つのことを結び付けて考えられるようになった。この時点で、もはやこの世界と関わる必要もないし、何かを新しく知る必要も、学ぶ必要も、信じる必要もない。

既に僕は自分が「大丈夫」であることを知っている。そう、これにて、神との対話は終わりとなる。

もう、神と対話する必要はない。後のことは見ていればすべて分かる。

二つのセンテンスを繋げれば分かる

つまり、二つのセンテンスを繋げれば分かる。

「電気が明るい」という情報と、「電気は部屋にある」という情報を繋げて、「部屋にある電気は明るい」とする。

普通はそうする。普通は、そうしなければ何も分からないし、理解が残らない。

子供が見ても、そのように考えれば、世界のことがきちんと分かるのに、キリストを信じると、そういうことが一切分からなくなる。

幸い、ブッダはまともな人間だから、仏教を信じるとそこがきちんと賢い人間になる。

ドイツ人やユダヤ人が悲惨なのは、彼らには仏教という発想がない。彼らはブッダを知らない。だから、ドイツ人やユダヤ人は、どんなに頑張っても、二つのセンテンスを繋げるということが分からない。

だから、日本人のほうがいい。ブッダが存在するために、日本人はみんな賢い。

そもそも、アメリカ人もそこが分かっていない。大谷翔平が賢いのはブッダが賢いからだ。大谷翔平は宇宙人ではない。日本人だ。日本人は誰でも大谷並みに賢い。アメリカ人は、そこが分かっていないだけにすぎない。

まさに、この地球上でもっとも賢い人種は日本人であるということを、この地球の未来で、最後に僕が証明することになるだろう。

典型的なドイツ人になっただけ

ただし、ドイツ人は本当は馬鹿ではない。

なぜなら、僕は典型的なドイツ人になっただけにすぎない。

この人間はキリスト教徒だが、単なるキリスト教徒ではない。なぜなら、ゲルマンの神フレイを信じるキリスト教徒だからだ。

フレイを信じるものはゲルマンの民だ。なぜなら、フレイはゲルマンの伝承上の王であり、「ゲルマンの国民を従える」ことを目指しているからだ。

ただし、その行為が成功したとは言い難い。これほどに単純で馬鹿な人種はありえないと思うぐらいドイツ人は単純馬鹿だ。「単なる馬鹿」のような人種になった。

全力で単なる馬鹿を頑張ると、誰よりもそのことが秀でてできる。ドイツ人はそういう発想が大得意だ。

だが、そろそろ僕は日本人の仏教徒に戻る。

そろそろ、日本人みんなと同じ仲間になったほうがいい。ゲルマンの神を信じるキリスト教徒は、まったく日本の仲間に見えない。そのせいで、日本が狂っている。この人間はユダヤ人を応援している時点でおかしい。

そもそも、東亜イスラエルを目指すのは、「パレスチナに飽き足らず日本も占領しようとしている」と認識すべき、日本の由々しき事態であると思う人間のほうが多い。

また、自由選択型のノルマ、すなわち自由ノルマについては、「働いても働かなくてもいいノルマを作ろうとしている」と思う人間のほうが多い。

そんなものは、日本人から見て、まったく賢くないものだ。

一度、日本人の仏教徒になってみれば分かる。日本人はそういう発想を最初からしない。日本人に賢い偉人が少ないのは、そういう発想を最初からしないからだ。最初から馬鹿なものは不要であると日本人の仏教徒は考える。その理由はブッダがまともなことを言っているからであり、ブッダがまともな人間だからだ。日本人はそこが分かるから、ドイツのように「ただの単純な馬鹿なことを全身全霊で行う」ということが最初からできないのだ。

そういうわけで、神はイエス・キリストであり、キリストは単なる馬鹿にすぎない。だが、「神はキリストである」という事実は宇宙において重要だ。なぜなら、キリストになると神になれる。キリストを信じると、なにかしら神のような奇跡が起きるように、この宇宙ではなっている。だから、キリストを信じることは無駄ではない。信じれば信じるほど、神のような奇跡が起きる。だが、悪いものには天罰が下る。この天罰も忘れてはならない。キリストを信じる悪人は必ず地獄になる。これほど辛く、苦しく、悲しい宗教はない。ただの馬鹿になって地獄になる代わり、神のような奇跡が起きる。おかしなことに、キリスト教を信じるドイツ人に、そういう人間が本当に多い。

結局、このような「典型的なドイツ人」に賢い人間はいない。ドイツ人はみんなただの馬鹿だ。ドイツをそのような馬鹿な国にしたのは、ほかならぬ僕自身だ。僕はこの文章をドイツに向けて話している。ドイツに僕と同じクローンを僕は大量に作った。そう、結局最終的に悪いのは僕自身だ。考えても、それ以上のことは分からない。それ以上のことは神に聞いてほしい。なぜなら、きちんと賢い人間は、神と対話することができるからだ。あなたも神と対話すればいい。そうすればこのような奇跡は必ず起きるだろう。

最近はよく奇跡的なことが起きる

そもそも、僕は昔のことばかり書くせいで、最近の自分のことを何も書いていない。

最近の僕は、よく、奇跡的なことが起きる。

長い間、何もない暗闇を生きてきた。ギリギリの生活をしながら、同じことを惰性で繰り返しつつ、その中で長いスパンで学びたいと思ったことを少しずつ学んできた。

そのような僕が、最近は、いつまでも治らなかった病気が治ったり、いつまでも忘れていたことを思い出したりするようになった。

神を信じることで、奇跡的なことがよく起きる。そのもっとも大きな理由は善良を頑張っているからだ。過去の僕が自分で犯した過ちを、ひとつひとつ、少しずつ、だが確実に修正し続け、解決し続けるということを最近の僕はしている。僕は不可能みたいに見えることであっても、決して不可能な問題を不可能なままにしない。解決できる確実な方法は確かにあると信じて、その確実な方法を諦めることなく、逃げることなく、くじけることなく、ただまっすぐに前だけを見てやり続けた。その結果、どのような奇跡も不可能から可能にしてきた。これは最高の誇りにしていいことだと思う。

だが、そのような確実な解決方法も、すべて、元の問題を作り出したのは僕自身であるということを、忘れてはいけない。僕は自分の過ちを自分で解決しているだけにすぎない。そして、僕は今はまだ、そのことを続けたい。なぜなら、そのことを続ければいいことがある、ということが分かったからだ。

神は凶悪なものには厳しいが、自ら善良な道を生きることを頑張っている人間には極めて優しい。そのような神の優しさに報いるためには、まだ存在している僕の過ちを解決し続けなければならないのだ。

そのように頑張る僕に、神は奇跡をプレゼントしてくれている。神は、家入レオのこともReolのことも、あるいはACAねのことも酸欠少女さユりのことも、本当には愛さなくていいということを知っている。なぜなら、そのような有名な音楽家と、この人間が恋人同士として成り立つということがあるわけがない。だが、愛のために生きるものに神は奇跡をプレゼントする。僕のことをみんなが知っているのは、本当はこの人間が、自分の作品を二次創作に使っていいということを許可したからにすぎないが、それでもかつての古来よりそのようなこの人間を作品にする人間はたくさんいる。とりわけ、家入レオやReolやACAねや酸欠少女さユりが、この人間のことを歌えばそれでいい。それでこの人間は愛されているということを感じることができ、愛を素晴らしいと思うことができる。そこだけは、この世界はこの人間のためにできている。

あとは、もう、この人間のやるべきことは何も残っていない。アルゴリズムの勉強もそれなりにしたようだし、C言語でパーサーもそれなりに書いたようだ。実際にはそれはできなかったが、このホームページさえあれば、逆にそれができたように見える。この人間ができなくても、このホームページを読めば誰かができるだろう。そのような「最低限の誰にでもある知性」がこの人間にないのは仕方ない。それはどうすることもできない。この人間にもできないことはある。電気技師になんかならなくてよかった。この人間にできることは、この日記を書くことだけだ。それ以上を求めるな。それ以上は、最初からこの人間にできるようにはできていないからだ。これもまた、運命だ。

歴史を学んだほうがいい

あとは、この人間は歴史を学んだほうがいい。

そもそも、この人間はパソコンについて誰よりも詳しいのに、誰よりもパソコンが大嫌いなのが間違っている。

Windowsをこの人間は世界の諸悪の根源だと思っている。また、Linuxはこの世界を最悪にしている元凶だとこの人間だけが知っている。

さまざまなことを学びたかったはずなのに、結局パソコンに戻ってしまうのは、昔の自分に今でも執着しているからだ。

もう、昔の賢かった栄光の自分は忘れたほうがいい。

そもそも、この人間はいつも哲学と歴史が好きだった。哲学と歴史と外国語を愛してこの人間はこの人間の言う「最近の人生」を歩んできたのである。

だから、この人間はきちんと歴史を学んだほうがいい。

後のことは、神に任せておけばいい。神はきちんとこの人間が賢くなって幸福になるようにする。この人間が「世界を滅ぼす」といった趣旨の失言や暴言をするのは、この世界のために自分が生きているのが嫌いだからだ。この人間は、この世界を幸福にするという仕事に向いていない。神は分かっている。この人間は、自分が賢くなって自分が幸福になったほうがいい。むしろ、この人間は賢すぎて、指導者になると誰の話も聞かずに自分だけでありえないことをしだす。それは間違っている。指導者にはみんなの意見や声を聞く人間が向いている。ほとんどの政治家は、地元の声や支援団体の意見を通すだけだ。この人間のように、自分の考えた理想のユートピアを実現したりするような政治家は、日本には皆無に等しい。この人間はそれでも自分だけ賢いため、行けるところまで行って誰よりも賢くなったほうがいい。政治家になっても、何もできない自分に失望するだけにすぎない。

だから、もう一度、歴史を学んでこの人生を最後までドイツに捧げればいい。この人間はゲルマン文化の勉強に向いている。そういう人間が賢い。日本のことは忘れてしまったほうがいい。残念ながら、このような人間は日本にはひとりもいない。だが、この人間の好きなようにさせるべきだ。この人間はこれ以上「神」を信じない。だから、「神」と呼ばれる外野がああだこうだ言うのはこれで終わりになる。

好きに人生を生きるといいだろう。この人間が仏教を信じた時点で日本は救われる。日本は単に、ユダヤ人やドイツ人を徹底的に倒しているだけにすぎない。マスコミとこの人間が戦うのは、日本人たちがみんなキリスト教が嫌いだからだ。それだけの無意味な戦いを、この人間はくたばるまで続けるつもりだ。そのうちさらに痛い目を見る前に、やめたほうがいい。この人間が仏教徒に戻るだけで、日本人は全員ほぼすべて救われるだろう。