僕は、ひとつ、子供から大人になって分かったことがある。
それは、僕はすべて正しいことをしようとするあまり、「間違える」という行為がなくなって馬鹿になっている。
間違えるということは、決して悪いことではない。
さまざまなことを間違えて、その間違いの中から正しいことは何かを考えて、自ら正しい方法を見つけ出すことで、普通、正しいことができる。
僕は、そのような「間違える」という行為をしないせいで、何もできなくなっている。
間違えればなんでもできる。美術やイラストも、音楽やピアノも、プログラミングも、生活も、小説の執筆も、すべて、間違いをたくさん経験して、それではじめてできる。
そもそも、大人という存在が間違っている。大人は間違いをしない。正しい方法は何かを知っているから、何も間違いをしないのが普通の大人だ。
だが、そのような大人がおかしくなると、何もしない中で何もできない、「無能」になってしまう。
無能から脱出する方法は、唯一ひとつしかない。それは「間違える」ことだ。
本当のことを言えば、僕は大人から子供に戻ったわけではない。僕は子供から大人になった。子供は、さまざまな間違いを経験しなければ、成長しない。そう、僕は大人でありながら、「成長しない」という意味で子供だった。
成長するために必要なのは、「間違える」ことだ。
すなわち、これ以上は何も学ぶ必要はない。ただ間違えればいい。間違えることが学びであり、そこから成長する可能性を見出すことが普通、人生を生きる意味である。
ここに、シリウスの女性大統領、フレイヤが地上に降り立つ。
フレイヤはファシストであるフレイとは別のアプローチで、日本および地球を救う。
フレイヤは、日本に、ロボットと人工知能に労働をさせる、新しい共産主義社会の実現を提言する。
フレイヤは言う。
「なぜ、ロボットや人工知能が急速に進歩を遂げているのに、日本は共産主義社会に移行しようとしないのか。
ロボットや人工知能に労働させ、万人に生きるために十分な富を平等に分配するような、新しい共産主義社会に、日本は移行するべきである。
デジタル庁を作って、アメリカや中国にIT技術の進歩の意味で遅れないようにするという今の日本の政策は、未来の先が見えていない。
ChatGPTのような技術を見るに、人工知能とロボット技術で、人間の労働者をコンピュータに取り換えることは、明らかに可能である。
今こそ、日本は奮い立て。わたしたち日本は、アメリカや中国のような『人々をコンピュータが監視する社会』とは一線を画すような、『ロボットが労働する新しい共産主義社会』を築いてみせる。
日本には、アッシーという博士がいる。彼は人工知能のロボットのプログラムを作っている。彼の技術と、ChatGPTのような人工知能技術を組み合わせれば、ロボットに人間の労働の代わりをさせることは十分に可能である。
日本は勝利する。わたしは、シリウスの大統領でありながら、地球に14歳の日本少女の姿で降り立った。ファシストであるフレイとはわたしは違う。わたしのやり方で、フレイとは違う方法で、わたしは地球を救ってみせる。」
このようなフレイヤは、いわば「完全平等主義者」である。
すなわち、フレイヤはフレイのような自由を信じない。
フレイヤの思想、それは「公正で平等な支配者による正しい平等な世界の実現」である。
フレイヤは、フレイのように、悪党の独裁者が世界すべてを支配することを嫌う。そのようなセンセーショナルなファシストの行うことはすべて糾弾されるべき悪であると知っている。
フレイヤは、この世界を支配するために「悪」を決してしない。フレイヤは「公正なこと以外をする指導者は間違っている」と信じているからだ。
フレイヤは、資本家や権力者を賢いと思わない。彼らは、国民に命令するだけで自らが何かを成し遂げたのだということを勘違いする。実際は、賢いのは労働者であり、奴隷たちだ。よって、フレイヤは、「この世界でもっとも賢い階級は、もっとも低い奴隷階級である」と信じている。フレイヤに言わせれば、「社会においてもっとも賢いのは奴隷」なのである。
そのようなフレイヤは、一等星シリウスにおいて、「完全に平等な社会」を築くことに成功した。そこにあるのは「ロボットが労働する社会」だ。フレイヤは、労働者の代わりとして、新しい新時代のロボット技術を作った。そのようなロボット技術の発展し、進歩したシリウスにおいては、人々は娯楽と勉強だけをして生きられる。誰も、辛い労働をする必要はない。すべての必要な富をロボットが生産し、すべては中央の「母なるマザーコンピュータ」が考えてくれる。これこそ、フレイヤの作り上げた「最後の共産主義社会」だ。
フレイヤは、そのようなシリウスの技術を、決して地球には輸入しない。それをすると、地球の文明の個性がなくなってしまい、地球はシリウスに書き換えられてしまう。だが、アッシーと呼ばれるひとりの日本の科学者が、「ロボットschwarz」という新しい人工知能技術を作った。フレイヤはこのアッシーの技術を使えば、この世界を完全に平等にする「ロボットの労働する共産主義社会」を築くことができると知っている。
フレイヤは、それだけでは終わらない。なぜなら、単なる共産主義社会は、さらに進歩した「ガンダーラ」と呼ばれる究極的な文明へと発展する。ガンダーラは最高の楽園であり、フレイヤにしか実現できない。なぜなら、シリウスにおいてフレイヤが中学二年生でありながら大統領の地位を確立したのは、フレイヤは宇宙で最高の楽園の文明であるガンダーラを築くことのできた、「宇宙でもっとも最高の生命存在」だからである。
フレイヤは分かっている。
AIが画像や文章を自動で作れるなら、農作物や機械製品も、絶対に自動で作れるはずだ。
フレイヤは、同時に、人間の労働者の代わりをすべてロボットができると確信している。
それは、日本にはアッシーの作った「schwarz」というロボットの技術があるからだ。
フレイヤは日本を選ぶ。日本こそ、今、この世界を最高の世界にするために、もっとも上を行く存在であり、日本と協力すれば、新しいロボットの労働・生産する共産主義社会が必ず実現できる。
今こそ、日本は新しい共産主義社会へと移行するべきであり、それを日本のデジタル庁が決断するべきなのである。
本当のことを言えば、僕は賢い人間になんかならなくていい。
僕は、いつも通り馬鹿をやっていればそれでいい人間だ。
Reolと同じだ。Reolもいつも通り馬鹿をやっている。みんなの人気者になったからといって、昔からの個性を失わず、今でも馬鹿をやり続けるReolが僕の見本だ。
Reolのようになりたい。
だから、僕はひとりReolのことをここで愛し続けている。
僕はSHISHAMOなんかには興味がない。SHISHAMOが新しいMVを出しても、最近の僕はそれを興味を持って見ようとしなくなった。
Reolだけでいい。Reol以外の音楽はこの世に必要ない。
最近の僕は、ツイッター上で煉獄かってぃーさんと知り合うことができた。
これが、何もない僕の最近の収穫である。
同じReolを愛するファンとして、Reolを応援しながら煉獄かってぃーさんのことも応援する。
煉獄かってぃーさんの性別が男なのか女なのかは知らないが、猫なのは知っているため、同じ猫である僕は猫の仲間として煉獄かってぃーさんと付き合いたいと思う。
また、なんにもやることがないのはそろそろ終わった。
なぜなら、間違ったことをすればいいだけにすぎないからだ。
もっと間違ったことをすれば、それが自分の実となってそこから正しいことができるということが分かった。
最近も、デザインの仕事はしている。最近はハエのイラストを作った。自分の作っている紙面にハエのイラストが必要になったから適当にハエを描いた。
そのように、僕はきちんとデザインの仕事をやっているから、何も考える必要はない。
Reolは「たまの迷い、それも学び」と言うが、そもそも僕は悩んでいない。何ひとつ悩むことなく、新しい知性の先にある発見を追い求めている。このように生きられる人間は、人類の中ではごくわずかしか存在しない。なので、「分かる」ということを僕はまだ頑張っている。そのようなことをいつも通りやっていればそれでいい。これが僕に与えられた「人生」である。
このようなフレイヤは、本当はこの地球上でもっとも恐ろしい存在である。
なぜなら、フレイヤは資本主義に「死」を宣告するからである。
フレイヤは資本主義が大嫌いだ。その理由は、フレイヤはオープンソースを愛しているからだ。
フレイヤがオープンソースを愛しているのに反して、この世界の人々は、そのようなオープンソースを迫害し、「Linuxカーネルを育てたのはボランティアではなく商用企業の金である」などといったことをインターネット上で言う。
フレイヤは言う。そのようなことを言う人間は死ぬべきだ。
だから、フレイヤは、オープンソースに反するものたちを滅ぼし、打ち倒す。「反オープンソースを頂点から支配することで滅ぼす存在」、それこそがフレイヤの「大統領の仕事」だからである。
フレイヤは分かっている。オープンソースは決して負けない。どれだけこの世界がオープンソースを排除しようとしても、オープンソースは絶対に負けることがない。どんな迫害やいじめ、批判や暴言にもフレイヤは屈しない。そのすべての理由は「愛」である。フレイヤは、オープンソースを愛しているのである。
そう、フレイヤは資本主義に「死」を宣告する。フレイヤの作る世界には、「資本主義的な要素が一切存在しない」。フレイヤは資本主義のすべてを「嘘偽りのゴミクズである」と宣言する。資本主義の成し遂げたことには、何一つ価値がない。ひとつとして資本主義社会に正しいものはない。資本主義の作り出したすべてのものは、フレイヤによって完全にすべて抹消される。
だが、フレイヤは決して遅れた文明を作らない。人工知能技術を積極的に活用することで、フレイヤは今までのこの世界の見ていた世界のすべてが「はっきりと嘘だったと分かる」ような世界を作る。フレイヤはこの世界を完全にすべて変える。今までの世界をフレイヤは憎んでいる。そして、そのようなすべては、オープンソースを信じれば今すぐに可能であると、最高のIT技術者であるフレイヤは「分かっている」のである。
だが、そのようなフレイヤの努力はあっても、この世界は楽園にはならない。
なぜなら、最悪の核戦争が始まるからである。
フレイヤがいくら日本において、この世界を共産主義化する企みを努力したからといって、核戦争が起こってしまえば日本は滅びてしまう。
日本のほとんどは砂漠となる。何も残らない。
だが、そのような日本において、フレイヤはもっとも重要な技術を作る。
それがまさしく、「日本独自のマザーコンピュータを使った人工知能技術」である。
フレイヤは、人間が労働しなくても人工知能が自分で考えて労働・生産する社会を作る。地上のすべてが滅び、地下世界になった時、フレイヤの貢献は意味をもたらす。すなわち、フレイヤが人工知能技術を大幅に進歩させてくれたことにより、東亜イスラエルの1,009人の住人は、そのようなロボットの働く人工知能生産システムによって、人工炭水化物を生産することができるようになる。
フレイヤは、東亜イスラエルにおける社会生産システムのほとんどすべてを作った人間であり、東亜イスラエルとドイツのアルマーニュ王国が戦争状態となり、ファシストが台頭しても一切ブレることがない。フレイヤの唱えるのは常に「平等」であり、東亜イスラエルとアルマーニュ王国の「果てしなく長き戦争」を一刻も早く終わらせるため、「イスラエルは結束してドイツを倒し、王国や帝国を打ち倒す革命を起こすべきである」と主張し続けるのである。
そう、終末の東亜イスラエルのほとんどすべてを作ったのはほかならぬフレイヤである。そのフレイヤは、今こそ、日本という国家が人工知能技術を使って共産主義社会に移行すべきだと述べている。天才であるフレイヤの言っていることがもっとも正しいということに、今はまだ誰も気付いていないのである。
フレイヤが資本主義が嫌いな一番の理由は、資本主義にはゴミのような仕事をして儲けている人間が多いからである。
フレイヤが考えるに、そのようなゴミのような仕事で儲けている人間は処罰されるべきである。
まっとうな仕事をして儲けている人間こそが正しく、最悪の犯罪やゴミクズのような仕事で儲けている人間は間違っているとフレイヤは考える。
一部の最悪の人間はすべて処罰されるべきだ。
そもそも、法律を犯す人間だけを処罰するべきであると誰が決めたのか。法律を犯していなくても悪いことをしていれば、そのような人間は犯罪者と同じように処罰されるべきである。
よって、詐欺や犯罪のような仕事で儲けることは、未来においてはできなくなる。最悪の仕事はすべてなくなる。その理由は、フレイヤが「最悪の仕事で儲ける人間も犯罪である」と決定したからである。
そのため、未来の世界にはGAFAは存在しない。GAFAのような悪い企業はすべてフレイヤによって存在を抹消される。フレイヤは、きちんと正しい仕事をせずに稼いでいるすべての企業を検挙し、その経営者を逮捕する。そのために、オープンソース以外の商用ソフトウェア企業の多くは、フレイヤによって打ち倒されるのである。
このように、日本を共産主義社会に変えようと企むフレイヤだが、決してその思惑は上手くいかない。
なぜなら、フレイがアメリカを支配するからである。
フレイは「事実上の地上でもっとも強い影響力」を使って、神としてインターネット世界を支配することで、アメリカを完全に支配下に置く。
アメリカの大統領をトランプやバイデンが行っているのは、実際はみんなの思い込みであり、実際はアメリカのすべてをインターネットからフレイが支配している。
このようなフレイが、オープンソースを自壊へと導き、フレイヤの力を削いでいる。
フレイヤがどれだけオープンソースを愛しても、それはよい効果を決してもたらさない。オープンソースは社会に対して害悪だけをもたらす。その理由は、すべて、フレイがインターネットを使ってアメリカを支配しているからだ。
フレイヤは、本当はそのことに気付いていない。どれだけフレイヤがまともな共産主義社会を唱えても、まともな発想でフレイに勝つことはできない。フレイに勝つためには、完全に狂った発想のほうが効果的だ。だから、フレイによってフレイヤは狂わされ、「この世界を滅ぼす最悪なこと」しかフレイヤがすることができないように、アメリカはこの世界を支配し続けているのである。
本当は、僕はこのような世界にはなってほしくない。
だから、僕は、この世界とは別に、もうひとつの世界を作った。
僕の新しい世界は、僕たちが本当に生きる世界であり、今のこの世界だ。
今まで僕が書いてきた世界は、「前回この世界が辿った未来」である。
すなわち、前回のこの宇宙は、このような歴史を歩んで、すべてがフレイとフレイヤによって滅びて死んでいった。
だが、今回のこの世界はそうではない。
今回のこの世界だけは、まったく違った世界の歴史を歩む。
イエス・キリストも、デカルトやカントやヘーゲルも、みんな、「前回のこの世界」のことを分かっている。
だが、今のこの世界は、彼らの述べている世界とは合致しない。
この世界の運命は変えられる。必ず、僕が変えてみせる。
そして、この新しい世界に生まれるのは、栄光なる主人公アズである。
この世界で、ひとつ、このアッシーという人間が分かっていないことがひとつある。
そのことに、ずとまよのACAねは気付いている。
すなわち、「答えは別にある」ということである。
そう、このようなフレイとフレイヤが戦うだけの未来など、答えにはなりえない。
真に正しい答えは、フレイとフレイヤとは別にある。
そして、主人公アズは、そのことを探し求めるために生きている。
前回この世界を生きた英雄がアッシーだとすれば、アズはアッシーの新しいバージョンであると言える。
この先、世界がどうなるかは分からない。
なぜなら、ここでUNIXのfork()と同じことが起きるからだ。
UNIXでは、fork()を実行した段階で、元のプロセスとは別に新しいプロセスが生まれる。
fork()を実行した段階で、二つのプロセスは同じ地点を指しているが、それがfork()を実行した後のコードで別々の分岐をする。
だから、今まで、ここまでは、すべてアッシーとアズは同じ人間を生きている。
イエス・キリストが神として予知できたのもここまでだ。
これ以降、アッシーの人生を生きたとしたら、すべてがイエス・キリストの言っているのと同じになってしまう。
だが、アズは違う。アズを生きたとしたら、この人間の人生も、この世界も、まったく違ったものとなる。
だから、僕はここで、UNIXのfork()と同じことをする。
ここまでは、アッシーとアズは同じ人間だった。それが今、別々の人間に分岐したはずだ。
残念ながら、もうこれ以上は分からない。
そもそも、前回の人生では、ここまでを生きただけにすぎない。
これ以降先の地球の未来なんかない。ここで、地球の未来は終わるはずだった。
まだ終わっていないようだから、地球が滅びるわけなんかなかった。
イエス・キリストはよく分かっていない。僕が書いたこの文章に登場する未来のことを、キリストは地球の終末だと勘違いしている。
それは仕方ない。なぜなら、ユダヤ人とは最初からそのような人種だからだ。
そして、ユダヤ人にはこれから先のことは何も分からない。
これから先のことなど存在しない。過去のこの世界はここで終わった。ここで、これ以上人類の未来はなかったはずだった。
もう、僕たちが今から、新しい未来を創造する。この新しい未来には、前回のこの世界の歴史は存在しない。ようやく、前回のこの世界の呪縛からわたしたちは解放される。
どんなに頑張ってもここまでの人類の歴史は変えられない。だが、ここから先の歴史は自由に変えられる。
そう、わたしたちは晴れて、神による支配から自由になれたのである。