永遠の青空とともにに戻る

=2023-06-25=

英語は知性がつく

昨日と今日は、英会話教室で英語のレッスンを受けてきた。

英語で会話すると、知性がつく。

日本語は既に知っている言語であり、僕はここまで執筆活動をしてきた関係上、日本語をよく知っている。

だから、日本語でいくら会話しても新しい知性がつかない。

それに比べて、英語で会話すると、きちんと「言語的な知性」がついて、難しいことが分かるようになる。

僕が難しいことが分からないのは、英語を学ぼうとしなかったからだ。

過去の僕の分かっていた「哲学少年」についていえば、あれは子供の頃に子供英会話に通っていたから、自らで哲学を考えられるような知性があっただけにすぎない。

そもそも、普通の日本人には何も分からない。分かるのは英語学習者だけだ。

英語を学ぶコツは、相手の言っていることがなんであるかを考えて会話することだ。

学校の試験を受かるための英語の勉強は、悪くはないが、英語が話せるようにはならない。

それは、会話しながら相手の言っていることがなんであるかを考えていないからだ。

相手の言っていることがなんであるかを考えて会話すれば、知性がつく。英語を使って言語的な知性がつくせいで、それが一番英語ができる。

英語で思考するコツは、自分自身について考えることだ。英語で自己紹介をするように、「I」から続けて考えれば、ネイティブのように英語で思考することができるようになる。

フランス語やドイツ語は要らない

また、フランス語やドイツ語は要らない。

英語が僕の引きこもり時代だとすると、フランス語は狂った戦いのキリスト教徒の時代であり、ドイツ語は勉強している大学生の時代である。

はっきり言って、フランス語やドイツ語は賢くない。

昔に戻りたい、あるいは昔分かっていたことと同じことが分かりたいならば、英語を学べばできる。フランス語やドイツ語を学ぶのは間違っている。

英語に恐怖を感じる理由は、昔の狂った時代が英語的な人間であるからにすぎない。

英語の恐怖を克服すれば、すぐに昔のような賢い中高生に戻れる。

この世界は金

また、資本主義を否定して社会主義を肯定したところで、何もいいことはない。

この世界の基本となる事実上の標準ルールは金であり、生きるために必要なのは金である。

この世界において、ほとんどすべてのものを作り出している原動力は金であり、世界そのものを動かすエネルギーも金である。

この世界で、金を無視して生きられるはずがない。

金は、単に稼ぐだけではなく、賢く使う必要がある。大きなものを買う際にはリスクを想定した投資計画が必要だし、日々生活をしていくためにはお金のやりくりが必要である。

そのような「金の知恵」がなければ、いくら資本主義経済が嫌いでも、この世界で生きていくことはできない。

だから、これ以上僕は社会主義者をやめる。資本主義者の右翼になって、きちんと金について考えていきたい。

ここで大人と子供の境界線を引く

ここで、僕は大人と子供の境界線を引く。

ここまでが子供であり、ここからが大人である。

これ以上、僕は子供のようなことをしない。今から、きちんと大人になる。

そもそも、数学などをいくら勉強しても知性はつかない。子供は数学で知性をつけているのではなく、未知なる考え方によって答えを出す方法を習得することで知性をつけている。

考え方そのものが既知になった時点で、いくら数学を学んだところで知性はつかない。

今から数学を学んでも、何も知性はつかない。サイン・コサインが分かるだけであり、数学などで知性がつく大人はいない。

これ以上、学校は必要ない。英語の勉強は、学校で勉強するとできなくなる。学校の英文法は、自分で英語を何も話さず、相手の話した英語の意味を何も考えていないから、英語の文法がいくら分かっても話せるようにならない。

そもそも、生きるために学校は必要ない。あるいは、学校というものは自分が自由に考えられる「自由な思考の余地と可能性」をなくす効果しかもたらさない。学校の勉強をしないほうが、この世界では正しく自分なりのオリジナルの勉強ができる。そのほうがどんなことであっても正しくマスターできる。学校は要らない。

ピアノやデザインよりも賢いのは英語

英語を、日本語と同じだから馬鹿であると考えるのは間違っている。

なぜなら、英語はピアノやデザインよりも賢いからだ。

ピアノやデザインは、芸術的かつ専門的な特殊な技能はつくが、難しいことを考えられるような知性はつかない。

英語を学ぶと、英語的に考えられるようなセンスがつくために、難しいことをきちんと考えられるような知性がつく。

だから、哲学を学びたいのであれば、英語を学ぶことがもっとも正しい。

自らの哲学を作り出すために必要なのは、言語を使って知性で考えることであり、そのような言語的な知性は英語でしかつかない。日本語だけではなく、フランス語やドイツ語も間違っている。英語でしか哲学はできない。

だから、英語は賢い。

そもそも、IT技術を学ぶためには英語を学ぶべきだ。かつての引きこもり時代の僕は、英語が分からなかったせいで、Linuxのようなオープンソースのことが何もできなかった。英語は今後、未来の科学技術において必ず必要となる。だから、英語を学ぶことは、知性や哲学だけではなく、実益や能力ももたらす。英語は最高だ。

現状の僕の課題

現状の僕の課題。

1.プログラムを書けるようになること。フロントエンドやバックエンドだけではない、広い意味でのプログラミングの勉強。このためにC++、Python、アルゴリズムの勉強をする。

2.英語を話せるようになること。英語を流暢に話せるようになる。このために、発音、英文法、英単語・英熟語・イディオムの勉強をする。

3.デザインができるようになること。単にソフトの操作ができるだけではなく、一流に絵が描けるようになる。このために、美術解剖学とデザイン理論の勉強、そして絵を実際に描く練習をする。

4.ピアノが弾けるようになること。ピアノを間違いなく弾けるようになる。また、作曲もできるようになる。このために、ピアノの練習、作曲理論の勉強、実際の音楽制作が必要。

この4つの課題について、全部はできないかもしれないが、どれかをできるようになりたい。

作家活動

僕にとって、作家活動というものがなんなのか、僕自身も分かっていない。

ただ、僕ははっきり言って「自己紹介」以上の何もしていない。

自分がこういう人間だ、ということを単にみんなに宣言しているだけにすぎない。

そして、そのような自己紹介はもう既に完全に終わった。

なぜ、ここまで自己紹介をし続けてきたのか、自分でもよく分からない。

確実に言えるのは、これ以上の過剰な自己紹介はもう必要ないということだけだ。

本を読む

本当は、もっと本を読みたい。僕は今からもっと本を読む。先ほど書いた4つの課題は、大人になった僕にはもうできないかもしれない。それなら、僕は本をもっと読みたいと思う。

先ほど書いた4つの課題は、子供ならできる内容だから、僕は子供をもう一度最初から体験して、それらをできるだけ若い時点で行いたかった。

そして、本当は、それらはもう十分すぎるほどできている。

一流のプロにはなれなかったかもしれないが、プログラミングについての知識は凄く豊富だし、英語やデザインやピアノはきちんと普通の人間ぐらいできている。

だから、もう、それらは忘れたほうがいい。

あとは、本を読めばいいだけだ。本をもっと読んで、きちんと賢い大人になりたいと思う。

そんなにいろんなことができるよりも知性をつけたい

本当のことを言えば、僕はそんなにいろんなことができることを求めていない。

僕は知性をつけたい。

僕は、そんなになんでもかんでもできる人間や、どんなことにも詳しい人間などには、本当は最初からなりたくない。

僕が望んでいるのは「知性」だ。僕は知性をつけたくて、今、英語の勉強をしたいと思ったのだ。

だから、僕はもっと言語の勉強がしたい。人間の持つ本来の知性とは言語だ。言語で考えるから人間の頭脳には知性が生まれる。数学や理科のような、「宇宙の理」を考えるのではなく、「人間の持つ本来の知性」を僕はつけたいのだ。

正しいことだけ分かっていても分からない

なぜ僕が分からないのか、それは正しいことだけ考えているからだ。

人間は、正しいことだけ分かっていても、何も分からない。

「何が正しいのか」だけをそんなに考えても、答えを探し当てることはできない。

本当は、もっと間違ったことを分かる必要がある。

最初からすべてが正しい人間などいない。さまざまな間違いを経験して、初めて正しいことに辿り着ける。多くの人間はそのように生きている。

だから、僕は今、正しいことだけ考えるのをやめ、間違ったことを信じる必要がある。

そもそもWindowsやLinuxといった既存の技術を学ぶ意味がない

それこそ、そもそも、WindowsやLinuxといった、既存の技術を学ぶ意味がない。

既存の技術をいくら学んでも、「取り決め」が分かるだけであり、そのような取り決めだけを分かったところで、なんの意味もない。

だから、パソコンなど学ばないほうがいい。パソコンはすべて、そのような既存の技術の取り決めを学ぶだけだからだ。

一度、そのような「既存のルール」を忘れてしまえば、それがもっとも正しく概念的な知性がつく。

プログラミング言語もOSと同じだ。C/C++, Java, Pythonなど、言語を学んでも「その言語ではどのように書くのか」ということしか分からない。そこにあるのは「誰かが決めたルールに従う」ということだけであり、そのようなものは決して宇宙の理でもなければ人生の真理でもない。

プログラミング技術のようなものは、宇宙の真理を考える上で、一切、学ぶ意味がない。

パソコンよりも現実世界のもののほうが賢い

パソコンよりも、現実世界のもののほうが賢い。

たとえば、同時に複数のプログラムを実行するだけでも、OSのマルチタスク機能を使って行わなければ、パソコンでは同時に複数の機械を使うことができない。

実際に、現実世界に存在するものは、そのようなことがない。単純に同時に複数の機械を使うことができる。

パソコンは、高度な万能機械に見えて、実際は現実世界よりも制限された環境であり、現実世界でものを使ったほうが賢いことは多々ある。

楽器も、現実世界で演奏するべきだし、絵も、現実世界で紙と絵具で描くべきだ。そのほうがはるかに賢い。

最初から、パソコンの存在など無視したほうがいい。パソコンは賢くない。

パソコンはゲームと2ちゃんねるしか作れない

そもそも、パソコンでできることなどたかが知れている。

パソコンは、基本的に、ゲームのようなものと、2ちゃんねるのようなものしか作れない。

インターネットのユーザーは、ゲームとSNSしかしていない。最初から、そんなものしかパソコンでは実現できない。

パソコンは無視して考えるべきだ。この世界からパソコンを排除するべきだ。

現実世界で知性がつくことを恐れている

そして、僕はそもそも、現実世界で知性がつくことを恐れている。

人間の持つ知性は、現実世界でさまざまな行動や経験をすることからつく。

現実世界で何もしなければ、人間はなんの知性もつかない。

だから、恐れることなく現実世界でさまざまなことをすれば、ようやく知性がついて、きちんと分かるようになる。

僕は、そうした「きちんと分かる」ということを恐れているだけにすぎない。

ツイッターより

なんだかやる気を失いました。もう宇宙にはなんにも残っていない。
posted at 23:54:21

@RRReol 四文字熟語…悪霊退散で🙄
posted at 23:44:18