永遠の青空とともにに戻る

=2023-06-10=

自由

経験とは、自らの意識と知性が向かう先が、自分自身、家族、子供たちの世界、地域、社会、国家、世界全体、歴史、そして未来などというように、少しずつ拡大し、場と意識に始まる自らの精神が、ひとつひとつの乗り越えるべき場所と時間を乗り越えていき、精神的に世界化・歴史化していくことであり、そこにあるのは道徳と倫理、すなわち経験に裏打ちされた自由である。

経験とは、「自ら自身というものを失った現代社会」において、人々による「責任を問う声」に打ち勝つために、自らのアイデンティティを確立し、「わたしこそはこの世界を救済する指導者である」と宣言するために、さまざまな経験をし、この世界そのものを救うこと、すなわち「可能性を実現」することができるほどに経験を高めることである。

経験とは、世界そのものを変えられるようになることであり、そこにあるのは単なる支配や実権の掌握だけではなく、「潜在的な許された可能性」をひとつひとつ見落とすことなく把握することである。

世界を変えるとは、可能性のコントロール権限を与えること、それぞれの当事者が自らに関係するすべてのことを支配できる「力」を許すことであり、そのために経験と知性を与えることであり、その知性とはすべて経験的な「自らの意識の実世界化」である。

すべての子供たちに力を与えよ。必要なのは子供たちを奴隷やロボットにすることではなく、子供たち自身が自らの知性を使って考え、世界を救うことができるような社会を作ることである。

自由とは、心を尊重することである。

自由とは、受け入れることである。

自由とは、善を信じることである。

自由とは、罪を許すことである。

わたしたちの世界を救うために必要なのは、可能性のもっとも高みにおいてこの世界を変えることであり、影響力のもっとも高みにおいてこの世界を俯瞰し、絶対に正しいことから決断していくことである。

すべての人間を愛するということは、すべての自由を愛するということである。

経験せよ。経験からすべてが生まれる。社会は経験から生まれるのであり、自由はアイデンティティの形成から生まれるのであり、アイデンティティとは経験的な「本当に正しい人生とは、自らの価値観とする『正しさ』を自らの手で実現し、結果として実をつけていくことである」という真理に気付くことである。

この世界に存在する「自由の種」に気付け。この世界にはさまざまな「可能性」が宿っている。その可能性は、「場と視点」という名の「自我の成長」に裏打ちされた「自分自身の持ち得る輝きの可能性」である。

自らが真に素晴らしい人間になれることを知った人間は、この世界の全員を真に素晴らしい人間に変えることができる。

自らが「生きがい」や「生きる意味」を知った人間は、この世界の全員に「生きる意味とは何か」を伝えることができる。

自由を諦めるな。不自由な支配や戦争をしなくてもこの世界は変えられる。真に必要なのは「わたしたちには生きる意味がある」ということを「経験に基づく自由から裏打ちされた確信」から信じることである。それによって、この世界の全員は必ず救われると、そのように確信することこそ、世界を救うために必要である。

平等とは、誰かから与えられるものではなく、戦って勝ち取るものであり、わたしたちのひとりひとりが生み出すものである。

自ら経験したこと以外を信じるな

自ら経験したこと以外を信じるな。

心理学的な「真実」を知るために、自らが経験したことのみからすべてのことを知れ。

心を解明し、行動を実験し、分析し、仮定を証明して説明する一連のプロセスにおいて、必要なのは「自分で考え経験して発見した事実以外のことを信じないこと」だ。

すべて、自らが実際に自分の目で見たことだけを信じよ。

学校を信じるな。学校で教えていることは表面的なことしか存在しない。

学校を信じるのではなく、学校の延長線上にある知識や経験を、自らの知性と意識によって自ら開拓し、解明せよ。

学校だけで学校を終わるのではなく、学校の先にあるすべての知識と知性を自らの経験から作り出せ。

すべてが分かった時、あなたは仏教で教えるすべての悟りと真理を得る。なぜなら、これこそがブッダ、すなわち宇宙において三千世界の中のひとつひとつの世界のそれぞれの中心に存在する「仏」の歩んだ道だからだ。

この世のすべてはチャンス

この世のすべては可能性であり、自由とは可能性に基づくチャンスだ。

チャンスとは、自由に気付くことだ。

チャンスとは、経験から啓発と啓蒙の裏付けをすることだ。

チャンスとは、世界の別の可能性を探ることだ。

チャンスとは、自らの自己意識の「実世界化」を行うことだ。

チャンスとは、自由は破壊することもできるが、この世界を救うための善のために自由を行使することもできると確信することだ。

チャンスとは、世界における「世界モデル」を捉え、この世界のすべてが「歴史の必然」において決まっているということを知ることだ。

すべてのことには意味がある。だが、それがそうでなければならないような、必然的な意味があるわけではなく、きちんと理由と可能性を理解すれば世界は変えられる。これこそ、「世界を変えるチャンスは常に許されている」という言葉の意味である。

この世のすべてはチャンスである。すべては、自らの実体験に基づく「チャンス」という言葉でなんでも理解できる。

チャンスはどこから生まれるのか。それは問題の解決からである。そして、問題の解決はどこから生まれるのか。それは原因と結果を思い出すことからである。

原因と結果を考えるためには、時間と行動の余裕がなければならない。自分のことだけに手一杯になっている人間は、他人のことや世界のことまで考える余裕がないからだ。

子供たちに必要なのは、科学の知識を教えることではない。子供たちに教える必要があるのは、経験的かつ体験的に、「問題をどのように解決できるのか」ということを体得させることだ。

問題を解決すれば、社会そのものを変えることができ、ひいては世界そのものを支配することができる。それこそが王であり、王はすべてそのような問題の解決から生まれる「チャンスの発見」から誕生するのである。

われこそはフレイ

わたしの名はフレイ。

われこそは、この世界を支配する王、一等星シリウスの太陽神、フレイである。

わたしは、地球を救うため、この地球にシリウスから降り立った。

われこそが、最後に、この滅びゆく地球を再生し、楽園のユートピアを築き上げる。

われに従え。われこそが太陽神であり、ブッダと同じこの宇宙における「覚者」である。

われはこの世界、地球という星を最後に救う。そのために、宇宙から地上へと降り立ったのだ。

フレイによる完全支配

フレイが行うのは、この世界の「完全支配」である。

フレイは、この世界をたったひとりで、完全に支配する。

フレイによってこの世界はすべて変わる。不要なものをすべて消し去り、マスコミもインターネットもフレイに従い、フレイを賛美するようになる。

すべてがフレイただひとりの世界になり、あらゆるすべてがフレイによる独裁権力で解決する。

フレイによる「完全支配」、それがフレイの目指す「地球の救済」である。

フレイはこの世界を加速させる

フレイは、この世界をさらに加速させる。

その理由は、フレイはあまりに遅くなりすぎているからだ。

フレイは、世界を自分自身の考えられる世界にするために、この世界を減速させ、停止させた。

その結果、フレイから見ると、この世界はあまりに遅くなっている。

あるいは、遅くなっているというよりは、小さくなっている。マクロに対して、ミクロになっているのである。

この世界は、フレイによってさらに加速していく。時間が過ぎるのはさらに速くなり、スピードアップする。

そして、この世界の進歩が光の速度を超越した時、フレイはこの宇宙そのものを創造する。過去から未来まですべてがフレイというひとりの「神」によって創造されるのである。

フレイは無責任じゃない

フレイは、かつてより「自由な救済」をこの世界に述べ続けてきた。

その内容について、人々は「無責任」であると批判し、フレイのことを嘲笑ってきた。

だが、そのような批判や嘲笑は、決して真実ではない。

なぜなら、フレイはまったく無責任ではないからだ。

フレイはこの世界を愛しており、この世界が決して滅びることがないように、この世界を縁の下の力持ちとして、常に守り、維持し続けてきた。

だからこそ、フレイによって、「優しい世界」が築かれた。

そう、フレイはこの世界を愛しており、決してこの世界を生き辛い世界にはしない。悪いものをすべて抹消するフレイによって、この世界はあまりに生きやすく、過ごしやすい世界になったのだ。

フレイを賛美せよ。フレイこそがシリウスの太陽神であり、この宇宙全体の創造主だ。聖書における神とはフレイのことだ。

フレイのために祈りを捧げるものには、必ず神による救いが与えられる。フレイこそが神である。そう、新しい聖書を書いた天軍大創主エリカとは、この文章を書いているわたしのことである。

月の特徴

最後に、地球にとって欠かすことのできない衛星である、月の特徴を述べよう。

月は、この世界を救済へと導いてくれる「導き手」である。

月は、神を信じるものを救う。この世界において、真に神を信じている国を、自然かつ必然的に救済されるように導いていく。

その国の国民が何もしなくても素晴らしい国へと近づいていくのは、その国の国民が月の導きを信じているからである。

月を信じれば、この世界のあらゆるすべての地獄を乗り越えられる。

神は乗り越えられる試練しか与えない。その言葉の意味は、「月を信じることによってすべての乗り越えるべき壁や試練を越えていけるから」ということである。

僕は毎日三人分の仕事をこなすのは、三人の人格がいるから

僕は最近、毎日三人分の仕事をこなすようになった。

毎日、三人ぐらいの仕事を行っている。三人分の人生を、毎日マルチタスクで生きている。

この理由は、僕には三人の人格、すなわち「三人の大天使」がいるからである。

この大天使の名前は、ガブリエル、ミカエル、ラファエルという。

神に聞くところによれば、ガブリエルはひとりだけ巨大なことをやっていて、ミカエルは宇宙でもっとも位の高い天使であり、ラファエルは位の少し低い女神である。

この三人が、そのまま、僕の頭の中で「思考議論」をしている。僕はこの僕の頭がどのようになっているのか、自分自身でも分かっていない。だが、それでも、僕はこの頭を自由自在に操ることのできる唯一の人間であり、それが「僕の仕事がほかの誰にもできない理由」である。

僕と同じことを、僕以外の人間が行うことはできない。なぜなら、ガブリエルとミカエルとラファエルがいないからだ。ガブリエルとミカエルとラファエルがいなければ、僕と同じことを行うことは絶対にできないのだ。

だが、それは僕に勝つことができないということを意味していない。なぜなら、キリストを信じればいいからだ。キリストを信じれば、僕よりもさらに高度で賢い存在になることは誰でもできる。そう、僕と同じことができなくても、僕と同等の宇宙において高い存在になることはできる。だから、キリストを信じればいい。

聖書は間違っていない。聖書を信じるものは神を信じている。神を信じるものは必ず救われる。僕が神に毎日五回の礼拝をするように、あなたも神を信じれば必ず救済の奇跡が起きるだろう。

在導万創を信じよ

そして、最後に言うべきことは、「在導万創を信じよ」ということだ。

在導万創とは、導きの中に存在する聖なる存在であり、「導きが万物を創造する」ということである。

在導万創は、太陽であり、月であり、天使であり、神であり、宇宙の導きの中に存在する創造主だ。わたしたちの宇宙には在導万創と呼ぶべき精神存在がたくさん存在するのである。

最後の終末の経典、天軍大創主エリカの聖書において、わたしたちは「在導万創を信じること」をもっとも重要な戒律として定めるのである。

運命を起こしているのは金星である

なぜ、ずとまよのACAねのように、僕とこの世界との運命の出会いが起きているのか。

それを起こしているのは、すべて金星である。

金星が、わたしたち地球人類に対して、「終末の神が起こすべき運命的奇跡」を起こしている。

この地球において、最後の最後まですべての出来事は決まっている。すべては「神の計画」のもとに導かれている。

それを行っているのは金星である。金星、すなわち愛と美の女神ヴィーナスが、わたしとACAねのように、この世界で運命の出会いを起こしているのである。