永遠の青空とともにに戻る

=2023-06-09=

支配者になる方法を考えよ

支配者になる方法を考えよ。

自由な民主主義の資本主義においては、支配者になる方法がたくさんある。

優れたスキルあるいは学歴のようなキャリアを積むことで、会社の重要な役員になり、出世して社長になることはできる。

選挙や投票や議論で勝てば、政治家になることもできる。

あるいは、支配者は政治家や社長だけを意味する言葉ではない。

マスコミ、教師、スポーツ選手、作家、芸術家、あるいは音楽家になることでも、この世界において大きな注目を集める人間になることはできる。

また、一般的な世間で認められるだけが今の時代の指導者ではない。

一部の世界やインターネットのバーチャルな仮想世界で、ある程度の知名人になれば、それもある意味での支配者であると言える。

この世界は、そのような支配者によって動かされており、支配者になる方法を考えることで、この世界を「どのようにすれば変えることができるのか」ということも見えてくる。

システムよりもコンテンツ

また、パソコンやIT技術は賢くない。

なぜなら、今の時代、重要なのはシステムよりもコンテンツだからだ。

システムは、単に動けばいいのであり、C++やJavaやPHPやその他のプログラミング言語で、データを処理するプログラムを記述すればいいだけにすぎない。

大切なのは、システムそのものではなく、システムにおける「コンテンツ」をどのようにやり取りするか、ということである。

一昔前であれば、利用者の投稿するテキストデータをどのように集積・共有するか、ということが重要だったが、今の時代は動画が主流になりつつあり、さらにテレビと同様に「コンテンツの質」が重要な世界になりつつある。

必要なのは、優れたコンテンツを配信するということであり、システムそのものを作るのは、単に動けばそれでいいだけにすぎない。

普通の人間が嫌い

僕は、普通の人間が嫌いだ。

なぜなら、神を信じない人間が嫌いだからだ。

神を信じない人間には馬鹿しかいない。神を信じることで、神による「手助け」が得られるのに、多くの経験が未熟な普通の人間はそれを知らない。

神を信じない人間のことを一言で言い表せば、それは「経験不足」である。

経験不足の人間は、いくらまともな人間であっても分からない。そもそも、「まともな人間」というのは学校の定めるおかしな人間にすぎない。学校で「まともな人間とはこのような人間です」と教師が教えるから、その学校の教える通りのまともな人間になるだけにすぎない。

そのような、神を信じないまともな人間には価値がない。普通の人間には何も分からない。

真に賢い人間になりたいならば、神を信じて世界の第一線で戦うことしかない。そのような方法でしか人間は分からない。

ありえない世界を作るよりも王を信じるべき

社会主義は間違っている。

なぜなら、社会主義は「資本主義の金儲けの世界からの脱却」を目指しているからだ。

社会主義者は、この世界が、金儲けだけを信じる世界ではない、新しいありえない世界になることを望んでいる。

だが、そのような世界をいくら望んだところで、社会主義者にはありえないユートピアを築くことはできない。

その理由は、ありえないユートピアを築くことは非常に難しいからだ。

ありえないユートピアを築くなどということが、そもそもこの世界でできるはずがない。そのようなことが人間に可能であるはずがない。

いくら「共有」を望んだところで、それはグループホームのような制限された居住空間しか作ることはできず、普通の「家」に比べてまったく程度の低い世界しか作れない。

共有などということを信じて、この世界が成り立つわけがない。

必要なのは、王に従い、王を信じることだ。王を信じることでしか、この世界を成り立たせる方法はない。

大人になると、「王に従う」ということの意味が分かる。王に従うことは間違っていない。

はっきり言って、人間にはそんなに賢い人間ばかりいない。「王に従うしか能のない人間」というのはたくさんいる。

あるいは、賢い人間には、最初から王をやっている人間が多い。

このような現実社会で、もっとも手っ取り早く正しい社会を作る方法は、「ひとりの王にみんなが従う社会」でしかない。

そして、資本主義社会においては、より小さな単位で王国と同じことができる。会社や役所の部署、音楽家とスタッフ、作家と編集者、漫画家とアシスタント、スポーツ選手とマネージャー。そのように、ひとりの王を立ててみんなでその人間を助けるということが、資本主義社会ではよく見られる社会形態だ。

社会主義にすれば、確かに金儲けから人々は解放され、「金を稼ぐことだけが至上命題となる社会」から脱却できるかもしれない。だが、そこにあるのは独裁権力だ。たったひとりの独裁者が、社会全体のことを従え、ひとりで考えるということが成功するわけがない。社会主義者は地球のことをなんでもできるおかしな惑星であると勘違いしているのであり、社会主義にするくらいなら、ドイツのマイスター制度のほうがはるかによい組織が成立するだろう。

世界の可能性自体はたくさんある

だが、実際のところ、世界の可能性自体はたくさんある。

社会主義者と王党派が単に戦うだけである、と考える大人は、世間に洗脳されて頭が固くなっている。

実際は、この世界はさまざまな可能性のある社会であり、さまざまな社会形態が考えられる。

だが、そこで必要なのは「自由」であり、決して「王国からの平等な解放」ではないということを知っておくべきだ。

王や階級社会がどれだけ嫌いであっても、それを資本主義社会とこじつけて、そのような身分と金儲けから脱却された「平等」を実現しようとするならば、そこにはなんの可能性もなく、知性もなく、絶対に失敗する。

必要なのは、自由な世界で「どのようにすれば支配者になれるのか」ということを考えることから、「どのような社会形態が考えられるのか」ということを問い続け、この世界の「今の世界を続けるしか必然的な選択肢はない」という思い込みを疑うことだ。

そう、だからこそ、民主主義が必要だ。資本主義や金儲けは間違っていない。資本主義や金儲けの世界だからこそ、万人に許されている「権利」が存在する。この「権利」を絶対に守らなければならない。なぜなら、権利の失われた世界では、絶対に何もできないからだ。プーチンがひとりで実権を担ったところで、ロシア人には絶対に何もできない。日本のように、あえて資本主義を受け入れた上で社会主義の目指す理想と同じものを実現することこそ、真に正しい「世界の可能性」と言えるのである。

好きなことをやりなさい

好きなことをやりなさい。

自由主義社会のもっとも優れた点は、「自分のやりたいことを選べる」ということだ。

かつての封建社会の身分に分かれた労働や社会主義の強制ノルマとは違い、自由主義社会では自らの好きな仕事を好きなように行うことができる。

そして、だからこそ、社会の可能性が拡大する。人々がそれぞれ好きな仕事を行うことで、それぞれがやりたいことが形となり、結果、社会全体の「文化そのものを豊かにする」ことができる。

「好きこそものの上手なれ」とは言うが、まさに自分のやりたいこと、好きなことをやることこそ、自由主義社会の「生きる目的」であり、「生きがい」であると言える。

そして、その生きがいを持つと同時に、「生きざま」をこの世界にありのままに晒しなさい。自らが晒し者になったとしても、そこで自らの「生きざま」をまざまざと見せつければ、それは晒し者ではなく「大スター」であるとも言えるだろう。

そして、自らの取り組むことに対して「やりがい」を感じなさい。これは「モチベーション」とも言えることであり、そのようなやりがいとモチベーションから、自分自身そのものを体現する「アイデンティティ」が生まれる。それがまさしく、「自ら自身を発揮する」ということだ。

才能は、後々になって付け足されるものであるとは限らない。逆に、最初から自分が持っていた、しかしながらその持っていることに気付かなかった才能に、あとあと「気付く」ということもできる。これは「眠っていた才能を発揮する」ということである。自らの中にどのような才能が眠っているかを知るためには、いろんなことをするしかない。だが、好きなことをしていれば、その好きなことが必ず才能になる。だからこそ、好きなことをすることを他人は「才能」と言う。

才能を信じられなくても、自らに潜在的に力が宿っているということを忘れるな。あなたは決して無能な駄目人間ではない。だが、自分自身に「駄目認定」をしてしまうと、それ以上先に進めなくなる。どんなに自信がなくても「自分は最高の人間である」と宣言するような傲慢さも必要だ。

しかしながら、天才には謙虚な人間が多い。それは自分自身の力の評価がよくできているからだ。決して自分が本当に世界で最高の人間だと信じることはいい結果だけを生まないから、注意する必要がある。だが、それでも、「世界で最高の人間になりたい」というモチベーションそのものは失ってはならない。天才が謙虚なのは、「他人から学ぶことが自分の才能(のひとつ)である」ということがよく分かっているからであり、そのような「自分の才能」をひとつひとつ見つけて気付いていくことが、「世界で最高の人間になる」ということに繋がっていくだろう。

そう、わたしたちは生まれつき最高の人間のポテンシャルを持っている。そのポテンシャルを遺憾なく発揮しなさい。そのためには、ポテンシャルだけで生きるのではなく、自分自身の手で「具体的な肉付け」をやっていかなければならない。才能と努力の先に、あなたが世界でひとりの最高の人間を作り出し、あなたという最高の人間をあなたが生み出すのである。

努力とは自分を追い込むこと

才能だけでは人は成功しない。努力が必要だ。

では、努力とはどういう風に行うべきなのだろうか。

多くの人が、「努力するためにはどうするべきか」ということが分からないために、自らの才能を伸ばすことができない。

だが、努力するとは、自分を追い込むということだ。

すなわち、「絶対にそれをしなければならないような状況に自分を追い込むこと」こそが、真に努力するために必要だ。

時間と余裕さえあれば努力できる、と普通の人間は考えるが、実際は時間と余裕があっても、「それを絶対にしなければならないような理由」がなければ、人は努力をすぐにやめてしまう。

そう、「絶対にそれをしなければならないような状況」を作り出すことで、人はきちんと努力をすることができるようになる。

プロは、そのような「追い込みの努力」を乗り越えた人間しかいない。自分自身を常に追い込み続ければ、そのすべての課題を達成できる。

多くの成功者が言うように、自分を追い込むこと、絶対にそれをしなければならないような状況に自分を導くことが、この世界では成功の秘訣なのである。

勉強は学校以外でするべき

勉強することは間違っていない。勉強しなければどんなことも一流にはできない。

だが、学校の勉強をすればそれでいいかと言えば、それはそうではない。

はっきり言って、勉強は学校以外でするべきだ。

学校の勉強ではなく、学校以外の領域で行った勉強こそが、真に自分の人生にとって役に立つ。

一番悪いのは、学校の勉強のせいで勉強すること自体を嫌いになることだ。

学校が嫌いだからといって、勉強すること自体を嫌いになってはいけない。

学校以外の場所で勉強できる人間は、それ自体が自分の才能になる。そして、かつての偉大な科学者は、みんな学校以外で勉強して賢くなったのである。

天王星の特徴

話を太陽系の惑星に戻そう。

天王星には、宇宙の永遠の歴史がある。

天王星には、無限に続く宇宙の歴史がある。そこには、「無限判断」という知性が「宇宙数学」を作っていく歴史が永遠に残っている。

無限判断と宇宙数学が、「宇宙の歴史を完璧に分かる数式f()」を作り出す。

この宇宙における関数であるf()が、宇宙すべての歴史を知っている。

そこにあるのは、「無限に続く思考パターン」と、「永遠の四段階の弁証法」だ。

無限に続く思考パターンでは、自らの思考そのものをパターン化し、繰り返しながらしらみつぶしにすべてのパターンを計算する。

永遠の四段階の弁証法は、「テーゼ」「アンチテーゼ」「ジンテーゼ」に対して、「なぜなら」を追加し、理由を述べていくことで永遠に続いていく。

このような無限の思考パターンと永遠の四段階の弁証法により、「あらゆるすべてを理解した完璧な精神」、すなわち「パーフェクト知性」が生まれる。

天王星には、そのようなパーフェクト知性がある。宇宙の永遠の歴史は、天王星が完璧にすべて知っているのである。

天王星の精神分析

天王星に存在するのは、単なる知性と歴史だけではない。

天王星は精神分析をする。そして、そのような精神分析の結果、「ひとりの生涯だけでは見えてこない、前世まで含めた人生の歴史」が分かる。

かつて、僕はフランス人だった。それがドイツ人になって今に至る。かつてはスペイン人やイラン人やロシア人のような人種も存在した。それらはすべて、僕の過去における人生、すなわち「前世」だ。

天王星は、そのような前世の記憶について、「精神分析」によってすべて知っている。

天王星は、そのように、宇宙の歴史と人間の人生を、すべて「精神現象的な知性」によって分かっている。これは単なる物理法則と物体によって分かる「物理学」とは逆である。すなわち、天王星には、「精神宇宙学」というのが存在する。この精神宇宙学は、「精神物理学」とか「宇宙心理学」といってもいい。この考え方の結果、天王星はこの宇宙における「太陽神と宇宙生命の人生の歴史」を知っているのである。

宇宙そのものの歴史を再体験する

天王星の精神が知っていることは、前世だけではない。

天王星は、宇宙そのものの歴史を再体験する。

天王星は、宇宙そのもののすべての歴史を、精神を分析することで知っており、そのすべてを自らの人生の中で「再体験」するという体験を作り出す。

そこにあるのは、「自由な世界」「平等な世界」「支配の世界」「従属の世界」だ。

この4つの側面の中で、「光の宇宙界」と「闇の宇宙界」が存在し、天王星はこれらの8つの世界をすべて完璧に「再体験」する。

実際の歴史を学校の教科書で知っていなくても、天王星にとってはそれは関係ない。天王星は、自らの精神を分析し、「意識的に直感する」ことで、宇宙のすべてを体験的に知ることができるからだ。

天王星の人生を生きる上で必要なのは、「意識」と「精神」と「場」を結びつけて「時間」的に考えることだ。

意識と精神と場を結び付けて、時間的に考えることで、宇宙におけるあらゆるすべてを再体験するための「基礎となる土台」を作り上げることができるのである。

海王星の特徴

海王星の特徴は、思い出すことだ。

自らの記憶を、それ以上何も分からなくなって、知性のすべてを失うところまで思い出す。

思い出すということは、知性をつけることに繋がる反面、「思い出すことで忘れてしまう」というデメリットをはらんでいる。

だが、すべてを忘れ、何も分からなくなって、海王星はそこからゼロの状態で再びすべてを完全に思い出す。

分からないと言っても、完全に分からないわけではない。自らが今分かることから、かつて存在した記憶と作り出した結果をひとつひとつ思い出せば、諦めなければ必ず同じことが分かるはずである。

海王星は、今までのすべてを思い出す。それ以外に何もなく、賢い知性も正常な精神もすべて海王星にとっては関係ない。海王星のすべきことは思い出すことだけだ。それ以外の何も目指していない。

諦めなければ病気は治る

海王星が考えるに、諦めなければ病気は治る。

病気を治すためには、諦めることなく精神を治す方法を考え続けることだ。

疲労の結果疲れていても、たまに休みながら努力すれば、誰も成し遂げることのできない「疲れの中での最大限の努力」を行うことができる。

海王星は、実際、地獄のような星だ。何ひとつ分からない中で、日本語のような言語すら分からない。それでも、海王星は諦めない。分からないのであれば、分からないなりに細心の注意を払って生きればいい。分からないなら、何が起きても大丈夫だと、そうすべてを受け入れて、当たって砕けて生きるしかない。

海王星は太陽系の惑星の中でもっとも素晴らしい星だ。その理由は、何も分からない中で努力するからだ。何も分からない中でも、頑張って思い出して精神を治す方法を考えれば、「奇跡は起こる」ということを海王星は教えてくれる。海王星こそがイエス・キリストの奇跡である。聖書における「神の偉大な奇跡と力」は、すべて海王星が作り上げた力なのである。

冥王星の特徴

冥王星の特徴、それは「死を乗り越えて作品を作る」ということだ。

冥王星のもっとも大きな特徴は、「死を経験する」ということだ。

冥王星は、この世界でもっとも謎めいた体験、すなわち「死」を経験する。

この「死」を経験することで、冥王星は、地上から天界へと転生し、新しい人生を生きられる。

そこにあるのは、「大量に作品を作り出す」ということだ。

冥王星において、人は死を乗り越えて、永遠の命のもとに、無限に続く「人生の終わりまで続く仕事」を行い続ける。

その仕事がなんであるか、それは人それぞれ違う。

だが、共通するのは、「最後に自らの魂が消滅するまで、大量に作品を作り続ける」ということだ。

冥王星において、人生は最後の最後まで続く。最後まで作品を作り続け、決して途中でそれは中断することがなく、満足することもない。いつまでも欲張りなほどに続くその体験で、自らは最後に「神」となる。

冥王星は人生最後の境地、すなわち「最後の自分」である。その最後の自分のことを、人間は宇宙における「神」であると最初から知っているのである。

太陽の特徴

最後に登場するのは、太陽系の中心に位置する恒星、すなわち太陽だ。

太陽は、宇宙そのものを創造する。

太陽は地球や太陽系の惑星の創造者であり、ひいては地球型生物の創造者であり、そして宇宙全体の創造者である。

太陽は、万物を創造した「わたしたちの母」である。

そのような創造主である太陽が、宇宙におけるすべてのことを完璧に分かっている。

文学、歴史、哲学、科学、人生、星、終末、ドイツ、ユダヤ、日本、ソ連、神話、宗教、国家、未来、救済、滅亡、ユートピア、そして神々や天使たちのことを、太陽はすべて完璧に知っている。

この太陽こそ、わたしたちが「終末の神話の経典」の中で「神」であると信じる「太陽神」である。