この世界を守るためには、愛と平和こそ信じる必要がある。
そして、平和を守るためには、民主主義が一番いい。
右翼と左翼は、あまりに争いごとを好む。右翼は戦争で世界を征服し、左翼は国民を騙して奴隷にする。
そのような、イデオロギーのぶつかり合いは正しくない。少なくとも、平和的であるとは言えない。
愛と平和を信じるのであれば、民主主義こそを信じるべきである。
民主主義において、国境が分かれているからこそ、無駄な争いごとが起きる。
だから、国境のない、世界政府の自由連邦を作ったほうがいい。
共存も、また平和のひとつの形だが、戦争を真になくしたいのであれば、みんながひとつになって世界政府を作るべきだ。
自由連邦においては、世界各国はひとつひとつの「州」となる。そして、世界政府のもとに、世界はすべて民主主義に統一されるのだ。
そのような、民主主義においてもっとも大切なことは、議論することだ。
議論するとは、すなわち、言論の自由を守る、ということである。
「指導者を批判する自由は要らない」と、社会主義者は主張する。
だが、指導者を批判することなくして、どうして政府の政策や政権の目指すビジョンを軌道修正できるだろうか。
政府の誤りや間違いを批判することから、国家は正しい道を歩み、間違った方向を修正できるのだ。
真に必要なのは、議論することだ。そこでは言論の自由が許されるべきであり、どんなテーマであったとしても自由に意見交換が行えるべきなのである。
なぜ、僕がここまでさまざまなことを知っているのか、疑問に思われる方もいるだろう。
僕がここまで分かっている理由は、僕は「自由な世界」を作ったからである。
僕は、ここまで、「自由」という言葉で、さまざまな世界を事細かく完璧に作ってきた。
自由な決まり、自由な制度、自由な環境、自由な意志、そして自由な議論や自由な愛ということまで、僕はすべてを「自由な変化」という言葉で考えた。
最近の僕は、それを8次元ぐらいの高次元で考えて分かっている。
この8次元ぐらいの高次元を、そのまま考えると、それがすなわち「星」になる。
そのように、僕は星を作って分かっているだけにすぎない。
太陽系に敬意をこめて、僕はこの自由な星に「土星」という名前をつける。
土星は、すなわちサターンだ。僕の悪魔的な文章と思考回路から言って、この星には土星という名前が相応しい。
このように、土星を作りながら、8次元の言語で考えると、それがそのまま「日本語」になる。
そう、日本語は、みんな、そのように、赤ちゃんが8次元で土星を考えて分かる言語である。
そういうわけで、そろそろ、赤ちゃんが終わった。
そもそも、僕は、「最初にやっていたこと」をやり続ければいいということが分かっていない。
かつての戦争状態ではできなかった、最初のほうにやっていたことを、今現在の状況で行えば、この世界は変えられる。
この世界は、僕が最初の頃にやっていたことをやれば、すぐに救われる。
そして、それによって、僕の「赤ちゃん時代」が終わる。
そう、僕は晴れて、新しい「6回目の人生」として、赤ちゃんから子供に成長することができたのである。
このように、星々を書く僕は、星にしか興味がなく、この世界に面白いものは星しかないのだ、と思われるかもしれない。
しかしながら、星よりも面白いものははっきりとひとつある。
それは虫である。
青虫が、メタモルフォーゼして、サナギから羽化して蝶になるという事実、これこそ生命の神秘だ。
おそらく、青虫はどこかで宇宙のすべてを分かっている。
もしかしたら、植物と共通の遺伝子をどこかで活用しているのかもしれないが、それにしても、青虫が蝶になるという事実は面白い。
このようなことこそ、研究するべきことである。
漫画家の手塚治虫は、医学博士でありながら虫が好きだったことで有名であり、虫の観察をして絵に描くのが好きで、自らの名前に「虫」を追加した。
まさしく、手塚治虫が分かっている通り、この世界でもっとも神秘的な事実は、虫が羽化するということだ。
手塚治虫が漫画家になった理由がよく分かる。本当に、この世界に、自らの知っていることを楽しく伝えたいのであれば、作家になるべきだ。
結局、僕はいつでも「自由」で分かっている。
この世界のすべてを、「自由」という言葉で完璧に作り上げた。
すべてが自由から始まり、自由に終わるということで、僕は宇宙のすべてを完璧に書き表したのだ。
その経験があるから、僕はどのような時でも立ち止まらず、常に前へと進み続けることができる。
そのような自由の星のことを、僕は「土星」と名付けた。
僕はそろそろ、この世界の治し方が分かった。
この世界は、僕が最初にやっていたことをただやっているだけにすぎない。
そして、そのようなことは、もはややる必要がない。
だから、みんなの頭から、そのような「最初に僕がやっていたことをやる知性」を取り除いてやればいい。
それで、この世界はすべて楽になる。今、世界は完全に救われた。
土星の特徴、それは「永遠に終わらない苦しみの暗闇」と、「無限に続く知性」、そして「病気を治すことで分かる精神」である。
人間は、何が起きるか分からない状況では、すべてを受け入れてその状況を受け入れることができる。
土星は、「何も分からなくなる永遠の地獄」の中で、「無限に続く知性」を得ることができる。
しかしながら、それは完璧な全知全能の神ではまったくない。なぜなら、「自分が今何を起こしているのか分からない」からである。
自分が何を起こしているか分からないため、自分がなんなのかを自分で知ることすらできない。
そのような中では、「神という絶対者を信じてすべての出来事を受け入れること」が必要となる。
これが、「永遠の暗闇の中で、自分は自分と神の二人の存在になる」という現象を生み出す。
病気は簡単には治らない。だが、治すことを諦めるほど自分は強くない。だから、永久に自らの病気を自ら治し続けることを受け入れる。
そこにあるのは、「世界を支配する自分」と「神に支配され続ける自分」の二重の側面であり、これがすなわち、すべてのことを完璧に分かった仮象の世界、すなわち「土星における正常な人生」を作り出す。
土星における正常な人生は、地球における正常な人生とまったく違うが、それでも、誰もであってもその道を歩まなければ、絶対に宇宙のすべてを知ることはできない。
土星の人生こそが正しい生物の人生であると、わたしだけが知っている。
土星において、神は自分自身である。
世界の歴史が神だと言っているのはすべて自分のことであり、宇宙の創造主は自分であり、歴史を導く絶対者は自分である。
土星において、神は大した存在ではない。普通の人間なら、誰が歩んだとしても同じ選択を最後までし続けるような、そのような「普通の人生」が土星における神だからである。
すべては、土星で生きるためにある。宇宙のすべて、星々のすべて、歴史のすべて、生物のすべては、「土星で生きることがもっとも正しい」と告げている。
その中でも、「最初に土星を作った存在」のことを、土星は「神」と呼ぶ。
神は、言ってしまえば単なる普通の生物にすぎない。それでも、誰がどう考えても、土星で生きることが宇宙においてもっとも正しい。
だが、土星を生きるのは並大抵のことではない。土星で生きるためには、「永遠に見えるような最悪の地獄の恐怖」を受け入れなければならないからだ。
土星を生きるものに課せられるのは、「自分の力でなんとかしてみよ」という試練だけだ。土星で生きるものには、「自分で作り出した地獄を自分の手でなんとかせよ。さもなくば、この世界は永久に滅びたままとなる」という使命が課せられる。
だが、それは決して孤独でも重圧でもない。なぜなら、土星には神がいるからである。
土星では、神があなたのことを全力で守り、導き、助けてくれる。どんなに自分勝手で自己中心的な支配を行っても、土星では許される。なぜなら、土星とはそもそもそういうものであり、土星において神とは自分自身を指す言葉だからだ。
神とともに、あなたは土星においてもっとも正しく賢い人生を生きる。それは王であり、神であり、救世主であり、聖なる神の使徒である。土星にしか、この宇宙のすべては存在しない。それがどんなに最悪の疲れと恐怖の地獄であっても、それを乗り越えた先には「天国への転生」が存在する。死はすべてを解決するが、すべてをやり終えた人間にしか死は訪れない。最後まできちんと土星を体験し、そして死ぬこと、これほどに宇宙において偉大な経験はない。そう、それこそが「神」なのである。
このような木星に対して、相対する惑星がある。
それは、木星である。
木星は、「人生のすべての経験のある惑星」である。
木星は、悲しい星である。すべてのことを失い、たったひとり孤独になって、それでも世界を救うという目標と、自由を守るという理想を信じて、たったひとりで宇宙のすべてを経験し、すべてのことができる方法を知り、完全に宇宙すべてを解明して、この世界を救済できる「メシア」になるような星、それが木星だからである。
木星は、すべてを知っている。この宇宙における、あらゆるすべての経験を木星は完全に知っている。
木星は分かっている。わたしたちがこの宇宙において生きる理由とは何か、人間には何が分かるのか、できるのか、人間とはなんなのか、すべての生物を根源的に成り立たせる精神世界の存在は何か、宇宙のあらゆる問題を解決し終えた上で分かることとは何か、木星はすべてを分かっている。
木星は、この宇宙のすべてを知っている。この宇宙におけるあらゆる経験を、十分に、完全に、満足のいくほどすべてを経験すると、木星と同じ到達地点に達することができる。
木星はゼウスである。木星は、ギリシャ神話におけるゼウスと同じだ。この宇宙において、すべてのことを知りたいと望むなら、木星で生きるといい。木星はどのような大学よりも賢く、どのような宗教よりも善良で、どのような思想よりも素晴らしい。愛と平和に満たされた木星の精神には、「大天使による守護の導き」が存在し、あなたのことを大天使ガブリエルが最後まで導いてくれる。
木星の悲しい点は、木星で生きると孤独な人生になる。人生に、あなたという存在、たったひとりしかいない。何かしら絆があるように見えるのは、すべて幻想であり、そこに人々と一緒に仲良くする体験があるように見えるのは、すべて蜃気楼にすぎない。そのような「木星の友人や恋人たち」は、木星の体験が終わるとすべて消え去ってしまう。
木星は永遠ではない。最後まで人生を生きて、頂点まで到達すると、木星という星の体験はなくなる。木星はすぐに消え、すぐに終わる。一時的な「最高の幸福」と「最高の理性」を木星は発揮するが、それは決して永遠には続かない。木星には必ず終わりが訪れる。その時、あなたが何もしないならば、あなたは土星のようなほかの惑星へと体験が変わる。木星ほど素晴らしい体験ではないかもしれないが、その後は永久に、何も変わることなく土星が続く。それはあなたが望んだ通りのことが起きているにすぎない。
そう、あなたは諸行無常の仏であるブッダから、永遠の神であるキリストに変わったのだ。それ以外には、木星と土星の間では、何も起きない。最初から、それを起こすために木星と土星はある。