永遠の青空とともにに戻る

=2023-05-29=

糖分が悪い

すべて、糖分が悪い。

僕の精神がおかしい理由は、すべて血糖値が高いからだ。

血糖値を低くするためにインスリンをたくさん流せば、精神は楽になる。

そもそも、人生において甘ったるいすべてのものごとは糖分だ。

甘いことをたくさん経験すればするほど、それが体の中の糖分に変わって、血糖値を高くしてしまう。

だから、血糖値を下げるためには、人生における甘ったるいことを失わなければならない。

戦争が悪い

また、すべて、戦争が悪い。

僕は、「絶対にしなければならないこと」をしようとするせいで、いつまでも絶対にしなければならないことだけをしている。

絶対にしなければならないことだけをするせいで、そうではない多くのことが、絶対にしなければならないことに追加され、そうであると勘違いするようになっている。

その結果、しなくてもいいことであっても、絶対にしなければ気が済まなくなっている。

必要なのは、絶対にしなければならないことよりも、「自分の希望」や「自分のそうしたいと思うこと」を優先させることだ。

そして、この「絶対にしなければならないこと」とは、要するに戦争である。

すべて、戦争状態になってしまっている。

だから、戦争をやめ、自分のやりたいことや好きなことをやろうとすれば、僕の混乱は治る。

高校の勉強をしないから僕は馬鹿

高校の英語の参考書である、「Σベスト EARNEST 英文法・語法」を読んでいる。

放送大学の情報の教科書を二冊(放送大学「コンピュータとソフトウェア ('18)」と放送大学「コンピュータの動作と管理 ('17)」)最後まで読んで、その後に放送大学の英語の教科書を読み始めて、「これは」と思って高校の参考書を手に取った。

放送大学の英語の本も確かによいが、この高校の参考書が非常によい。

英語について、これでもかというぐらいきちんと正しく書いてある。

僕自身の今までの英語に関する知識が、とても未熟だったと反省しながら、とても面白くこの参考書が読める。

今まで英会話教室に通い続けたこともあって、普通の高校生とは違い、参考書に書かれていることの意味がきちんと正しく分かる。

英会話を学ぶなら、この参考書を読まなければならないと思った。

そして、この参考書を読んでいて気付いたのは、「僕が馬鹿なのは高校の勉強をしないから」ということだ。

中学三年に不登校になって、それ以来僕は学校で勉強をしたことが、放送大学を除いてなかった。

そのために、僕は普通の人間が持つ「知性」を失ってしまっている。

つまり、高校の勉強を一切しなかったから、僕は普通の人間に比べて馬鹿なのである。

なぜ、この参考書を読もうと思ったのか、それは放送大学「ビートルズ de 英文法 ('21)」を何章か読んだ結果、英会話をきちんと学ぶための土台が完成したことが分かったからだ。

つまり、今の僕の状態が、英語を学ぶために必要な状態になったということだ。

だから、僕の場合、普通の高校生が英語を学ぶように、「英文法だけを学んで話すことが何もできない」という風にはならない。

この英語の参考書を読めば、英語がきちんと話せるようになる。

同時に、普通の人間が持つ知性を得ることが、この参考書を読むことでできる。

いくら精神の病気を治しても、楽にはなるかもしれないが、みんなと同じ賢い人間にはならない。その理由は、高校の勉強をしないからだ。

だから、今から、きちんと高校の英語の勉強をしていきたいと思う。

僕はあまりに贅沢なやり方で勉強をしている

僕の勉強方法として言えるのは、僕はあまりに贅沢なやり方で勉強をしているということだ。

本を何冊も買って、複数の教室にも長い間通いながら、必死に一生懸命勉強するのではなく、自由に手をつけたいところから適当かついいかげんに勉強をしている。

だから、いつも、みんなと同じぐらい賢くはないにもかかわらず、みんなができないようなあり得ない勉強の方法ばかり分かる。

試験の日があるわけでも、カリキュラムやスケジュールがあるわけでもないため、いついつまでに必ず勉強するということが、僕の場合には一切存在しない。

勉強したい時に、勉強したいことを、たくさんある本を適当に選び、通っている教室のその時の気分で勉強し、分かったことの中で書きたいことだけをすべてホームページに書いている。

ただし、パクリにならないように注意している。もし、パクリが見つかった時は、その時適切な方法でそのパクリを修正する。

みんなが一生懸命学校のスケジュールと格闘している外側から、僕はあまりに贅沢な方法でホームページと日記を書くことで勉強している。

確かに、僕のやり方には欠点がある。僕はきちんと分かっていることなど何もない。みんなが勉強する方法では、みんなはきちんとしっかりした学校のやり方と教師の指導のもとに勉強ができる。だから、言ってしまえば最初からきちんと分かることが保証されている。

だが、僕のやり方では、きちんと分かることは保証されていない。すべては僕がどれだけ自分の力で学べるか、という「究極的な自由」に基づいている。

だが、この自由な学び方は、気楽である。学びたいことを学びたいだけ学べばいいのであって、それを誰かに強制されることもなく、いつまでにきちんと学ぶという締め切りもなく、人生が終わるまで、死ぬまでの間に勉強することができればそれで構わない。どんな勉強であっても選択肢から排除しないため、「日本史と世界史はどちらかを選択する」といったつまらない選択制科目もなく、自分の学びたい科目はすべて自由に学ぶことができる。

結局、なんにも分かっていないのだと、そうは言えるかもしれない。特に、高校の英語の参考書を見ると、まったく今までの自分が何も分かっていなかったということがよく分かる。だが、だからといって、世界が終わるわけじゃない。今が間違いでも、未来においてその間違いが修正されないとは限らない。

まさに、あまりに贅沢なやり方で僕は勉強しているのだ、ということが、僕はいつでもよく分かっている。だが、この方法は決して間違いではないと思う。本を読むことで、一般の高校生や大学生が知っていることよりも深く広くを知っているつもりだ。