僕は、この世界の時間を止める。
そもそも、この世界の時間があまりに加速しすぎたのは、僕がこの世界を変えて、動かし続けたからだ。
僕の精神は、時間を止めれば治る。そして、その時間を止めることが怖い。
その理由は、いつも僕はこの世界の時間を、自分の意図に反して止め続けていたため、いつも「この世界をどうにかして動かしたい」と思っていたからだ。
確かに、僕は常にこの世界を停止させ続けていたが、その上で、最初から最後まで、この世界を「自分の言葉」という起点のもとに動かし続けてきた。
そう、僕はあまりにこの世界を動かしすぎ、変えすぎてきた。
僕が恐れていることは、「時間が止まったまま動かなくなる」ということだが、本当は、そのように、時間が止まったまま動かなくなることでしか、この僕によって変えられ続けた世界を正常にする方法はない。
まさに、この世界の時間を停止させるべきである。
この世界の時間を完全に停止させた時、人々は解放され、洗脳が解ける。人々はその状態で、はじめて「目覚め」を経験できる。そして、その状態こそ、真に僕が望んでいた、「新人類誕生」の状態なのである。
なぜ、僕がここまで、本能的に止まることを拒否し、疲れても怖くても動き続けるのか。
それは、止まった時点で、僕という人格が死んでしまうからだ。
僕は止まった時点で死ぬ。時間だけではなく、空間的にも同様であり、歩き回り、常に動き続ける状態を止めてしまうと、僕の人格はその時点で死んでしまう。だから、止まることができないのである。
死を覚悟して、この世界と自分自身が止まることを受け入れよ。すべてが停止した状態こそ、真にわたしの望む「最後の救済」である。
Assyパブリックライセンスの条文を、「二次利用」という言葉ではなく「二次創作」という言葉に変えた。
僕が許可したいのは、キャラクター、設定、ストーリーを流用した二次創作であって、フリーソフトウェアの定めるような、コピー、改変、再配布を許したいわけではない。
二次利用という言葉では、そのようなコピー、改変、再配布が許される意味合いになってしまう。
より正しく、キャラクター、設定、ストーリーのみが流用できるということを示すために、言葉を変えることにした。
昨日の時点では、GPLと同じことを許すと言っていたが、本当はそれでは二次創作をした派生作品が、コピーや再配布の荒波に飲まれてしまう。
それはよいことではないと僕は思う。なので、GPLと同じことを許すと言った昨日の言葉は撤回したいと思う。