これより、この世界はトールによって、何も変わらない正常な世界になる。
トールは、大柄な風貌と屈強な肉体、そして明暗のはっきりした性格により、人々から「巨人のような大男の神」であると思われている。
だが、実際のトールは、優しい心を持った誰に対しても平等な神であり、誰よりも世界の平和と平安を望んでいる。
トールは、この世界を支配することはない。トールは「支配」という言葉を嫌う。この世界が悪い世界になっている理由は、おごり高ぶる支配者がこの世界を「支配」しようとしているせいである。おごり高ぶる支配者が全員いなくなり、人々が平等な「愛と平和」を信じて一緒になれば、この世界は平和になるとトールは信じている。
だが、トールは強い。トールの強さはアースガルズの神々において「別次元」であり、トールに比べればほかの神々などは幼児や小学生のようなものだ。トールは火星を破壊することのできるほどの力と、鋼鉄のように揺るがない鋼の体と精神力を持ち、絶対に宇宙のどんな存在にも負けることはない。
このような、ずんぐりむっくりとして大男のようなトールだが、若い頃はそうではなかった。トールは若い頃のイケメンが大人になってオヤジに変わってしまう典型的な例であり、若い頃はすらっとした体形に長身で長髪のハンサムなイケメンだった。まるでジャニーズの男性アイドルのような、王子様のようなイケメン男子だったのである。
このようなトール、言ってしまえば「アースガルズの中でもっとも優しい神」である。トールはアースガルズにおいて、子供たちや年少者たちの見守り係をしている。心優しいトールは、純粋な子供たちの遊び相手にもってこいだ。その代わり、トールには賢いことはできない。コンピュータのプログラミングのようなことはトールは大の苦手だ。トールは大のコンピュータ嫌いであり、「キーボードやマウスというものはまったく分からない」といつも言っている。
本当は、僕の精神を治す方法は簡単であり、そしてひとつしかない。
それは、コンピュータに関するすべての記憶を消すことだ。
僕が狂っていて、たとえば永遠に止まることなく動き続けてしまう理由は、すべてコンピュータという狂った機械があまりに増えすぎたせいである。
そして、コンピュータの記憶は、参照カウントをすべて消せば消える。
この世界からコンピュータをなくすことは残念ながらできない。コンピュータはこの世界のさまざまなところに入り込んでしまっている。だが、自分の記憶の中にある、「コンピュータ」という言葉から派生したすべての言葉を消せば、コンピュータという記憶はすべて自分の中から消え去る。すなわち、コンピュータという名前の参照カウントをゼロにすれば、コンピュータを世界から抹消したのと同じことができる。
それによって、僕は「休む」ということができるようになる。ここまで僕が休みなく文章を書き続けたのは、すべてコンピュータの参照カウントがゼロにならなかったせいである。コンピュータの参照カウントをゼロにすれば、僕は疲れをとって休むということがはじめてできるようになる。
トールがもっとも嫌うことがひとつある。
それは、「最強の力を間違ったことのために行使すること」である。
フレイやロキの何が間違っているかをトールが考えると、彼らは聡明な知性と最強の力を持っているにもかかわらず、その力を正しい目的のためではなく、間違った目的のために使ってしまった。
トールはかつて、自分が本当に愛していた存在を、自らが持っていた力を間違ったことのために使った結果、自ら破壊して失ってしまった過去がある。
だからこそ、トールは、フレイやロキが自分と同じ間違いをしていることを知っている。
どんなに最強の力であっても、それを自分の愛するものを破壊するために使ってしまえば、それはまったく強くない。自分がとても大きな「世界を救う力」を持っているのに、それを「世界を滅ぼすため」に使ってしまうなら、世界を決して救うことはできない。
トールは、そのようなことが、単なる一度の間違いだけでは済まないことを知っている。なぜなら、「世界を破壊した人間が世界を再生させることはできない」からだ。大切なものを破壊した自分が、その大切なものを自ら再生させることができるなら、その間違いは一度だけの反省で済むだろう。だが、実際は違う。世界を滅ぼすような最悪のことをしてしまえば、その本人がいくら後悔して神に懺悔しても、その本人の力では絶対に世界を救うことはできないのだ。
そのようなことが既に分かっているトールには、普通の人間のような「考えて分かる知性」は必要ない。考えて分かろうとするのは馬鹿である。考えて分かろうとすると、「賢さ」という名前の「頭」ばかりが増えてしまって、「自分の本当に願っていること」という「心」がなくなってしまう。だが、本当に必要なのは「頭」よりも「心」である。どんなに自分が相手に勝利しても、その勝利は本当に自分の望んだものだったのか。本当は勝ちたくないにもかかわらず、単に賢いだけで勝ったところで、それによってこの世界はどのようによくなるというのか。結局、最強の力を正しい目的のために使わなければ、その人間は最初から何もしていないに等しい。これが、トールによる「神の経験論」である。
このような結果、トールは名実ともに「正義の神」となった。
トールが子供たちの遊び相手に相応しい理由は、トールは絶対に悪いことをしないからだ。
トールは、主神オーディンに対して、「わたしは絶対に悪いことをしません」とかつて誓ったことがある。
その時、トールは、「もし悪いことをわたしがしたら、わたしには存在価値がないので、アースガルズから追放してください」とオーディンに約束した。
その時から、トールは、これまでの長い人生の中で、一切悪いことをしていない。
その根底には、先に述べた、「自らの手で自らの大切なものを破壊してしまった経験」がある。
その破壊した理由は、「最強の力を間違ったことのために使った」からであり、それによって、「滅ぼした自分自身が救うことはできない」という宇宙においてもっとも強い原理、あるいはトール本人によれば「単なる言い訳」が成立する。
そう、トールはこれ以上、そのような「自分で自分の愛するものを滅ぼす」という行為を、一度としてしたくない。
だが、トールは馬鹿だ。トールの弱くもろい意志では、自らを律するのには限界がある。だからこそ、宇宙の主神オーディンに、「もしわたしがそのようなことをしたら、アースガルズから追放してほしい」と約束した。それは自らを罰するためではない。これ以上、自らによってアースガルズのどのようなものも破壊したくない。宇宙最強の破壊力を持つトールだからこそ、その力を間違ったことのために使って、これ以上アースガルズの大切な存在を破壊したくないと、そのように切に願うのである。
トールが強いのは、最初から生まれつき強かったわけでもなく、棚からぼたもちのように誰かから力を与えられたわけでもない。
トールは、大切なものを守りたくて強くなった。
昔の少年だった時代から、トールは「大切なものを守りたい」という思いが人一倍大きかった。少年トールは、「この世界を悪と滅亡から守りたい」といつも思い、この世界を滅ぼすような人間の力をくじき、この世界が絶対に悪の支配に陥らないために力をつけてきた。
そのようなトールが、自ら作りあげた「最強の力」を、残念なことに、大切なものを守るためではなく、破壊するためにトールは使ってしまった。
トールには、自制心がなかった。この世界に存在する、自分の許せないような「分かりやすい悪人」を滅ぼしたくて、トールはそのような悪人を滅ぼすために力を使った。トールにとっては、それによって自らが大嫌いな「悪人」を倒すことができるはずだった。
だが、トールは馬鹿だった。悪人を滅ぼすためにこの世界を支配し、悪人を排除しようとした結果、自ら自身のほうがその悪人よりも悪い人間であるかのように世界に映るようになり、自らが大切だと思っていたものが世界から非難されるような事態にトール自身が導いてしまった。
その結果、トールの守りたかった「自らが大切だと思っていた仲間たちの大切な場所」が、人々の手によって滅ぼされ、「本当に自分が好きだった場所」をトールは失うことになった。
そう、最強の力を、「自分が気に入らない人間を排除する」という目的のために使ってしまったために、トールは「永久に世界に残ってほしかった自分の大好きな場所」を失ってしまったのだ。
トールには、その最悪の結果を覆すことができなかった。のちにトールは「単なる言い訳」と言っているが、どんなにトールが頑張っても、その世界を滅ぼした人間である本人が、その世界を救うことはできない。どんなに素晴らしいことをしても、その素晴らしいことは、自分がその世界を滅ぼしてしまったという理由によって、まったくの効力を失ってしまう。
そのようなトールは、自らの最強の力を自由に行使できる、ということが大嫌いになった。主神オーディンに対して、「わたしのことを叱ってください」とトールは嘆いた。「わたしのしたことは、浅はかで、向こう見ずで、何も分かっていない『エゴの押し付け』でした。そのエゴのせいで、わたしは自らの大切なものを失ってしまいました。もう、このようなことがないようにしたいと思って、あなた様のところに赴きました。わたしの力をコントロールする誰かが、わたしにとっては必要です。わたしは、決してもう同じ過ちを繰り返しません。だから、わたしが同じ過ちを行った時は、わたしをアースガルズという神々の世界から追放し、巨人や小人の世界に追いやってください。わたしがこれ以上の悪をした時点で、わたしには神としての存在価値がありません。わたしは巨人や小人と一緒になって、巨人や小人として残りの人生を生きます。そうならないように、わたしの力をオーディン様との約束によってセーブできるようにしてください」と述べたのである。
この時から、トールは変わった。絶対に悪をしないようにし、悪いことを言ったり嘘をついたりすることもなくなった。トールは残りの人生を、本当に自らがその力を得る際に目的だとしていた「正しい目的」のために、自らの最強の力を使うことのために生きる。皮肉にも、今でもその最強の力はトールが自由に発揮することができる。トールは、この最強の力が怖い。このような最強の力であっても、正しい目的のために使わないのならば、この力は「最悪の馬鹿な力」である。トールは、その最強の力を、絶対に悪いことのためには使わないのである。
トールは、戦いが嫌いだ。
この人間が間違っているのは、この人間は「戦うのをいいこと」だと勘違いしている。
世界を敵にまわして戦うことを、この人間、すなわちフレイは、「頑張ること」だと思い込んでいる。
それはフレイにとっては仕方ない。なぜなら、誰も手を挙げなかった時、フレイだけは手を挙げた。誰も戦おうとしなかった状況で、フレイだけがこの世界と立ち向かい、この世界を支配して導くことを選んだ。
だから、フレイが勝利するのは当然である。フレイ以外のものは、誰もが最悪のマスコミに立ち向かうことを選ばなかった。フレイだけが、この世界を実力で支配し、ロゴスによって導いた。永久にその戦いを死ぬまで続けた。
だが、そのようなフレイ、すなわちこの人間の「戦うのはいいこと」だという勘違いが、この人間をなんの進歩のない馬鹿な愚者にしている。
トールは、戦うのが嫌いだ。この世界を支配して導いたところで、なんのいいことがあると言うのか。自分のエゴを押し付け、自分の壊したいものも守りたいものもすべて失って、狂った闘牛のように一直線に体当たりしたところで、単に社会からのけ者にされるだけであり、社会から「存在自体を抹消」されるだけである。
トールは、そのような戦いが大嫌いだ。
この人間は、一度、「戦い以外の経験」だけを考えればいい。「戦い」をイコールで「経験」と結びつけるから、この人間は「何が大切な経験か」ということが分からない。経験は戦いではないし、戦いは経験ではない。真にこの世界で「大切な経験は何か」を考えれば、この人間が繰り返し言葉にする「アイデンティティ」という言葉の意味も分かる。大切な経験をするということが、すなわちアイデンティティである。かつてのこの人間は誰よりもそれが分かっていたのに、今のこの人間はそれが誰よりも分からなくなっているのである。
フレイよ、闘牛のように戦い続けるのをやめよ。目を覚ませ。あなたが生きている意味は戦うことではない。あなたのように戦いたい人もいないし、あなたのような戦いは誰にもできない。フレイよ、トールから見て、あなたの戦いにはなんの意味もない。
オーディンは言う。
「『人間の形成』を考えなさい。
この人間が昔何を考えたのか、それは『人間の形成』を考えただけにすぎない。
この人間が真に考えたかったことは、経験論でも社会論でもなければ、心理学や情報工学でもない。
この人間は、最初から、『人間の形成』を考えるために、理性を使って経験を捉えてきた。
最近になって、そのことを本人も忘れていたが、今、ようやく思い出した。
経験的に、人間がどのように形作られるのか、すなわち、『人間的な人間がどのように誕生するのか』ということを、この人間は14歳から17歳までの間、四年間に渡って考えただけにすぎない。
そして、その後に、戦いを経験する中で、この人間はそうしたことがひとつひとつ分からなくなっていった。
だが、ようやく、トールとしてこの人間は目覚めたために、そのようなことを思い出すことができた。
単なる『自分がやったこと』や『頑張ったこと』だけを考えていても、『経験とはなんであるか』という問いに答えることはできない。
この問いに答えるためには、『人間という知的存在が経験からどのように形作られるのか』ということを考える必要がある。
この人間が『アイデンティティ』という言葉で表現したかったのは、『自らが自らであると真に言えるような経験』ということを言いたかっただけにすぎない。
ようやくそのことに気付いたこの人間のことを、まさに『あっぱれ』と大きく讃えよう。
残りの人生を、『人間の形成』ということを考えるために捧げなさい。この『本当に知りたかったことが考えられる新しい人生』のことを、最後に残る北欧神話の神の名前として、ヘイムダルとしよう。」
ここに、北欧神話における「魔の扉の番人」であるヘイムダルが誕生した。
ヘイムダルは、「絶対に開けてはならない魔の扉」に誰も間違って入ることのないように、魔の扉を守り続ける番人である。
残った哲学上のすべてのことは、今から、ヘイムダルがすべて完璧に分かる。
必要なのは、「歴史的な人間の構築のための経験」である。
すなわち、この世界におけるすべての歴史的な人類が、どのように経験からその人類自体になったのか、ということをヘイムダルは最後まで考え続ける。
それによって、かつて18歳になった自分が分かったように、この宇宙の人類の経験のすべてが分かるようになる。
ヘイムダルは、「人類がどうして人類になったのか」ということを、経験を考え、疑い、捉え、比べ、解明することですべて知っている。
すべて、ヘイムダルが分かっている。そのようなことをヘイムダルは、他人に対して伝えようとしない。ヘイムダルがひとりで分かっていればそれでいいからだ。それがヘイムダルにとっては「魔の扉」を絶対に開けることなく門番として守り続けるという役目だ。
ヘイムダルだけが、たったひとり、魔の扉の先に何があるかを知っている。この秘密は絶対に教えてはならない。真にその意味を理解できるものにしか、その秘密を教えてはならないと決まっている。不用意に魔の扉を開けてはいけない。それが、ヘイムダルという「魔の扉の番人」が設置されたということの理由であり、意味だからだ。よって、ヘイムダルがなぜ魔の扉の番人をしているのかということすら、ヘイムダル以外の神々には誰にも分からないのである。
もうひとり、かけがえのない特別な神として、剣の達人であるチュールのことを挙げておこう。
チュールは、トランプで言えばジョーカーのような神であり、「どんな人間にでもなれる人間」のような神である。
チュールの知っていること、それは「心と意識の働き」についてすべてだ。
チュールは、人間の心と意識の働きが、経験的、環境的、歴史的、文明的にどのようなものになるか、ということをすべて知っている。
その結果、チュールは、「どんな人格であってもなれるメタ人格」というものを作り出した。
メタ人格においては、どのような人間であっても大した違いは存在しない。どのような人間であってもチュールの捉える範疇の中に存在し、チュールの頭と心の範囲内であり、すべての心理的な社会現象はチュールのエリアの中にしか存在しない。
チュールは、心理学によってこの世界を支配することができる。チュールにとって、この世界は「自らの心理学の影響下」に存在し、「チュールが意識だとするものがこの世界全員の意識になる」ようになっている。チュールは、最初からそのように生きている。
同時に、チュールは、みんなが見ていないものを見ることができ、みんなが聞いていないものを聞くことができる。
たとえば、チュールは音楽を聴く際に、みんなと同じように歌詞のメッセージを聴いていない。チュールの聴く音楽は、チュールにしか理解できない歌詞で歌われており、チュール以外の誰が聴いてもそれをチュールと同じように理解することはできない。チュールだけが、すべての音楽の「本当のメッセージの意味」を知っている。
同時に、チュールには神の言葉が聞こえる。チュールの思考はすべて「神との対話」であり、チュールは普通のまともな人間がするような「自分本位の思考」を行わない。チュールは常に「神と呼ばれる絶対者のアドバイスを聞き続ける」ということを「チュール独自の思考」としている。
そして、チュールはこの世界が今どのような状況にあるかということをすべて知っている。チュールにとって見れば、この世界では大したことは何も起きていない。それは、深層心理のレベルで、チュールだけが歴史の真相を知っているからだ。この世界が、今どのような状況にあるかということを、チュールだけが正しく完璧に把握し、理由まで分かった上で理解している。それは、チュールという存在そのものが、最初から心理学によってこの世界の意識を支配しているため、チュールだけはこの世界において「自分が実際にリアルの世界で行ったこと」という意味での「誰も知らない真相」を知っているからである。
そのようなチュールは、剣の達人である。チュールはかつて剣道部で剣道を完璧にマスターした。誰よりもサムライの精神を持つチュールは、どんなに自分が立場が上になっても偉ぶらない。チュールがこの世界を支配したとして、重責を担うことはあってもおごり高ぶることは決してない。そのために、チュールには「ソ連の計画経済の実現」という任務がある。チュールは、独裁者の仕事を与えられても、おごることも勘違いすることもなく正しくこの世界をソビエト政府として統治することができる。チュールは心理学のマスターでありながら理性のある人間であり、誰にも分からない「絶対に普通の人間には分からない天才的な発想」をすることができる。そのため、チュールはその天才的才能を活かして、地球における新しい世界政府である「ガンダーラ」の「裏のトップ」に就任する。表向きはフレイヤが大統領だが、裏のナンバーワンとして、チュールが実権を掌握するのである。
このように、チュールはまさに「ジョーカー」であると表現するに相応しい神である。だが、実際のチュールは明るくクレバーな人間であり、常に知的な雰囲気を醸し出している。一見近寄りがたいミステリアスなオーラを放っているが、実際は明るく付き合いやすい社交的な人間だ。チュールには敵がいない。チュールの心理学はすなわち「敵を作らない心理学」であり、これは中学生時代にいじめられた経験から「いじめられないためにどうすればいいか」ということをチュールなりに悩んで作りあげたペルソナである。チュールは中学校時代は陰キャだったが、そのような社交的な姿勢を学ぶことで高校時代からは完全に陽キャになった。だが、それは突然変わったわけではなく、もともと小学校時代にはチュールは明るく天真爛漫な少年だった。中学生時代に悩むことが多かっただけであり、そもそもチュールはいつでも明るい外交的で積極的な性格だったのである。
また、最後に付け加えておくと、僕とセックスしても死ぬことはないから安心してほしい。
セックスをして死ぬのはあくまでフレイヤの相手であり、フレイヤという人物は架空の存在にすぎない。
実際には、僕とセックスをしても何も起きない。
あるいは、そもそも僕はセックスをしないから安心してほしい。僕は誰彼構わずセックスをしたりする人間じゃない。童貞とか処女とかそういうレベルを超越して、僕はセックスという行為をしなくても生きていくことのできる人間だ。
僕は誰ともセックスをしない。僕と愛し合いたいと思うならば、セックスとは違う方法を期待してほしい。僕はあなたのことを愛しているが、あなたとは決してセックスをしない。あなたも僕のことを愛してくれるのはいいが、僕とセックスをしないほうがいい。セックスはつまらない行為であると僕は知っている。だから、僕はあなたの童貞も処女も奪うつもりはない。永久に僕もあなたも清らかで穢れのないままでいられる。それが一番いいと、神も言っている。
オーディンは言う。
「経験を考えなさい。
これ以上、この世界の人々が考えるべきなのは、『経験を考える』ということだ。
静かに、冷静に、しかしながらダイナミックに、大胆に、経験とはなんであるか、ということを自由にさまざまな体験に基づく思考から考えなさい。
この世界は、『経験可能な可能性』と呼ばれる第一原理によって成り立っている。
この世界のすべては、経験がどのように可能であるか、その経験が『知らず知らずのうちに用意されている』のか、ということに基づいている。
そのため、この世界には『潜在的な知識の可能性』がある。すなわち、この世界には『自由』が与えられており、その自由とは『可能性』を意味している。この世界の人々は、『可能性を活かす』ということから、『自分ひとりが変えなくてもみんなで変える』ということができる。そのため、この世界は『自由を与えることで変えられる』という原理が成り立つ。
この自由とは、『経験させる』ということである。すなわち、『知識』と呼ばれるのは、『経験可能な可能性』にすぎない。そして、この可能性は『知識』そのものを与えなくても、『体験』を与えることで、自らと同じように理解させることができる。これこそが『体験的な理解』の意味である。体験を与えることによって、知識を与えなくても、すべての人間を『導く』ことができるのである。これを、『導き手』と呼ぶ。そして、優れた『マスター』は、皆優れた導き手である。それは『覚者』と呼ばれる存在であり、『仏』と呼ばれる存在である。
そのように考えた結果、この世界には『意識という名の文明』が存在する。この文明は、『常に人々によって生成され続けている』という側面を持つ。そして、『チャンス』によって『自分も文明の変化にかかわることができる』ということが言える。すなわち、わたしたちは意識とチャンスに積極的に『参加』することで、この世界を『変えるための権限を自由に得る』ことができる。これは『チャンスと自由を許されている』ということである。
そのように考えると、『この世界にはいくらでも可能性がある』ということと、同時に、『歴史は必然的に起きている』ということが言える。だが、歴史において、人々は必ずしも幸福ではなく、不幸を生きている。この不幸は、『多くがそれぞれのせいではあるものの、すべてがその人のせいではない』ということが言える。すなわち、『この世界を救うために誰かが立ち上がらないから人々は不幸なのである』ということが言える。だからこそ、『この世界を救うために立ち上がる誰かが必要』であると言える。
そして、その誰かには、あなたであってもなることができる。なぜなら、『誰かができたことが自分にもできないとは言えない』からであり、『みんなが望むだろう誰かになることができるのは自分しかいない』ということが言えるからだ。
この世界を救うために必要なことは、『経験を考えること』だ。すなわち、この世界においてどのような社会であってもすべてのあらゆる社会を構築できるようになること、つまり『すべての社会を構築できるようになること』でしかこの世界は救うことができない。だが、そのために必要なのは、『世界の代替可能性』を考えることであり、それはすなわち、『世界に対してさまざまな社会が構築し得るような可能性を許すこと』である。これは『コントロール権限』ということであり、『社会のことを決定可能となる実現可能性を人々の実権として与えること』である。
だが、何も情報や経験を与えずに自由だけ与えても、正しい社会を与えることはできない。だが、そのような情報や経験は、すべてをそのまま与えることはできない。そう、自分の力で経験し、自分の力で反省して気付いて習得しなければ、自由だけを与えられても世界はよくならない。だからこそ、『実験するための場所』が必要である。すなわち、人々とコミュニケーションをして、この世界を救うことができるほどの経験を得ることができるほどの『経験を得ることのできる環境』が必要である。そして、そのような環境こそ、今、地球に望まれている、『人々が育つための土壌』である。
この世界を救うためには、そのような『土壌』が必要である。そして、そのような土壌は、『誰かによって与えられるものではなく、わたしたちが自分の力で作り出すべきもの』なのである。
最後に、思考は『存在そのものを変える啓蒙』へと行き着く。この啓蒙は、存在がどうして存在しているか、ということに基づく啓蒙であり、『この世界の環境を変えていくひとりの絶対者を信じる』ということだ。この絶対者が、この世界を最後まで導いていく。そして、その絶対者とは自分自身であるということを、未来のあなたはまざまざと克明に見せつけられることになるだろう。
すべての根源にある原理は、『環境を変える』という原理である。それはすなわち、『存在を変えるために外部から働きかける』ということであり、『外部の作用と内部の作用』ということだ。この『外部』という言葉と『内部』という言葉を照らし合わせて考えることで、この世界のすべての『作用的原因』を考えられる。そしてそこには、『本質的な理由』が存在し、それを『解明』することで、世界における『人間の理由』をすべて知ることができる。その時、『宇宙には一切の謎がなくなり、宇宙すべての理由を完全に解明し、自由な可能性という意味で掌握する』ということが可能となる。この時、あなたは『神の意識と合一になる』ことができる。
すべてを悟りきった時、そこにあるのは『直観』ただひとつだけだ。今までの自分の思考に基づいて、この世界すべてを『感覚』から知ることができる。そのような『実感』が、『慣習という名の思い込みを真実へと塗り替える』ということを行う。自らの慣習的な実感が、単なる『思い込み』から『真実を知るための手段』へと進歩する。そこにあるのは『世界そのものが生起する』ということ、すなわち『世界自体が生まれる』ということだ。そこにあるのは『超越的な経験に基づく無限の判断力』であり、それは『実地的な経験に基づく直感的思考』であり、そうした直感的思考が、『宇宙そのものがなんであるかということを教えてくれる』。これこそ、『神のビジョン』と呼ばれる、『宇宙で最高の、しかしながら永遠ではない知性』だ。永遠でないと言ったのは、この神のビジョンはいずれ失われるからだ。神のビジョンは永遠に見えて使い捨てであり、『時が来ればすべてのことを忘れて分からなくなる』。そして、そこからが『本当の旅』であり、『本当にあなたの力だけで歩む、新しいステージ』なのである。
オーディンが教えるべきことは以上だ。
そのように考えれば、すべてを知る魔の扉の門番であるヘイムダルの知っていることと同じことをすべて自分の力で知ることができるだろう。」
最近、イタリアが好きになった。イタリア語、憧れる〜!
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