僕は、これより、ロキになる。
その理由は、フレイとヴァルキリーが終わったからだ。
フレイとは、支配者であり、王であり、太陽神である。
ヴァルキリーとは、大学生であり、学者であり、博士である。
もはや、フレイとヴァルキリーの分かることはもうない。数学とコンピュータの勉強をしたため、フレイとヴァルキリーは完全に終わりになった。
そのため、僕はかつての自分、すなわちロキに戻る。
ロキを端的に説明すると、「妖怪のような見守り部隊」である。
妖怪のように、ひとり孤独かつ異様なオーラを放ちながら、この世界のことを「自由な自分の経験」から見守ること、これがロキに課せられた使命である。
ロキは、哲学的なことを自分で考えて分かるようになる。
大学を無視せよ。
大学には、賢いものはない。
そもそも、大学は分からないほうがいい。なぜなら、分かっても大して賢くないからだ。
分かっても大して賢くない大学のことを、無視しながら、自分自身の理性と知性だけを賢くするように考えて分かれば、それが賢い。
大学を分かろうとするな。大学は分かったところで何も賢くない。
人々の言う「知恵」だけを分かろうとせよ。知恵の先に知性があり、知性の先に「本当に知るべき知識」が眠っている。
インターネットは見なくていい。
それは、最近のインターネットは賢くなくなったからだ。
かつてあった、楽園のような楽しくて賢いインターネットは、既にはるか昔に消え去ってしまった。
今のインターネットなどを見たところで、何も賢いことは分からない。
だから、インターネットは見なくていい。インターネットのような場所は賢くなるために必要ない。かつてのインターネットはよかったが、今のインターネットは悪い。
ロキになるために必要な方法はひとつしかない。
それは、殺さず生かすことだ。
そんなに異常な精神を殺しても、自分自身を殺しているだけであり、自分の持つ大切な機能を失い、自分自身を破壊しているだけである。
そうではなく、精神を生かせ。生きるほうの選択肢を取れ。
いつまでも治ることなく、永続することを恐れるな。フレイの間違いとは「永続できないこと」だ。
フレイは、何事もすぐに達成し、すぐに終えてしまう。永続的に継続して努力せず、一回きりの努力をただ繰り返しているだけにすぎない。
永続することを恐れず、生きるほうの選択肢を取れ。そうすれば、精神は正常になり、破壊以外のことができるようになる。
フレイは賢い王だが、最悪の破壊神だ。破壊神には創造することができない。
ロキこそが愛の神であり、さまざまなことをゼロから創造することのできる唯一の「妖怪」である。
ロキは賢者である。
ロキは、知識について、他人から教えられただけではそれを正しいとしない。
自らが理解できるような形式に変換してその知識を吸収し、自らの力でそれを理解した時に、はじめてその知識を正しいとするかどうかを判断する。
そのため、「一見賢く見えて、本当は大したことを言っていない」ようなことを発言すると、ロキはすかさずそれを否定する。
だが、ロキはフレイのように簡単にものごとを否定しない。すべてのことに、なんらかの「意見として言うだけの根拠がある」と信じているロキは、すべての意見、すべての知識、すべての経験に意味と理由があるということを知っている。
だからこそ、ロキはどんなことについても、その意味と理由を考える。ロキはすべてのことに根拠を求め、すべてのことをその意義と本質がどこにあるかを理解した上で考える。
簡単に肯定することも否定することもしないロキだけが、この世界において「何が本当に考えるべき意味のあることなのか」を知っている。
それはすなわち、この世界そのものを見ているように見えて、実際はこの世界の裏の裏にあるような、この世界の本当の姿を見ることができるという、とても高度で高尚な悟性をロキは持っているのである。
このように書くと、ロキは単なる普通の少年であると思われるかもしれない。
だが、ロキには、ほかの子供とは決して同じでない点がある。
それは、ロキは未来のことまですべて知っているということだ。
ロキは、未来予知ができる。それはある日突然知ったというものではない。生まれつき、ロキは未来のことをすべて知っている。自らの人生が最終的にどのようなものになるか、自らがどのように成功し、どのように失敗するか、自らのよい点と悪い点はどこにあったか、自らが未来においてどのような作品を残すか、何を信じて生きることが正しいと将来的に分かることになるか、日本の未来、地球の未来、インターネットの未来、宇宙の未来、あるいは自らの前世や過去の地球の歴史まで、ロキは生まれつきすべて知っている。
ロキは分かっている。この世界において、どのように生きることが正しいのか、何が信じるべきであり、何が疑うべきであるか、そのようなことを生まれつき、ロキはすべて知って生きているのだ。
このような聡明なロキにも、欠点はある。
それは、ロキは簡単には分からないということだ。
ほかの子供たちが、なんにも異常なくすべてが上手くいき、高校や大学から社会人へと巣立っていく中で、ロキは彼らと同じように簡単で歩みやすい道を生きることを選ばなかった。
ロキにとっては、そのような平坦で進みやすい道こそが、馬鹿で愚かな道であると、そう思えて仕方がない。
だからといって、ロキはほかの簡単で歩みやすい道を歩みたいとも思えない。
なぜなら、ロキは簡単には分からないからであり、簡単に自らの道を決めることができないからである。
ロキは、馬鹿で愚かな人間にはなりたくない。ロキは、ものごとを分かる際にも、簡単に理解して覚えた上で、何も考えずにその知識を道具のように使うということを嫌う。「知識は道具ではない」、これがロキの信条であり、知識を効果的な道具であると判断する功利主義やプラグマティズムの考え方に、ロキは真っ向から反発する。
ロキは、すべてのことに「事前の調査と研究」を求める。そして、すべてのことに「自分の経験に基づく正しい判断」を求める。他人がそれを言ったから、みんなが同じことを言うからそれを簡単に信じるということがロキにはできない。
だから、ロキは常に損ばかりしてきた。すべてのことを学ぶのに、他人よりもはるかに多くの時間と手間がかかる。簡単に算数を覚えることをしなかった少年ロキは、数とはなんであるかを考えるだけでも他人とは比べ物にならないほどの時間と手間がかかった。
そのような結果、少年ロキは中学校に通うことをやめた。ロキは学校ではなく、自らの信じる自らだけの道を開拓することを選んだのである。
ロキは、無趣味な人間である。
ロキには、これといった趣味がない。ほかの子供のように、絵を描くとか、ピアノを弾くとか、小説を読むとか、ゲームをするとか、そういう特技のようなことを一切持ち合わせていない。
ロキの好きなことは、面白い文章や、エッセイや詩や散文を読むことだ。
特に、インターネットでさまざまな人が書いた、エッセイ的な文章をブログやホームページを介して読むことが、ロキにとって「この世界を研究」するための興味深い時間である。
だが、ロキは大学の専門書や技術書は読まない。なぜなら、読んだほうが馬鹿になるからである。大学の専門書や技術書は、読んでも賢くならない。その典型的な例が歴史の本であり、ロキは歴史の本は大嫌いだ。歴史の本は、読もうとする気にならない。あるいは、読んだほうが読む前よりも馬鹿になっているような気がする。そのような「感覚」を、ロキは決して見て見ぬふりをしない。今よりも馬鹿になるということはロキにとって受け入れられないことだ。
だが、このようなロキの性格は、逆に裏目に出ることがある。何も知らず、できることも何もないロキは、自分のやりたいことをやるといっても何もできないのだ。そして、歴史や科学の勉強をしなかった結果、この世界で人々が簡単に易々とできていることがロキにはできない。どんなことであってもロキは時間と手間がかかってしまう。ほかの人間のように、パソコンのスキルもなければプログラミングなど到底できず、ワードやエクセルすら使うことができない。簡単にこの世界に適応できないロキは、「社会不適合者」というレッテルを張られることもある。
だが、ロキは決して陰気なキャラでもないし、他人に比べて大きくおかしな点があるわけでもない。それでも、ロキは「おかしいと思ったことはきちんとおかしいと感じるべき」であると信じている。そして、本当はこのことがロキにとって一番厄介な欠点であり、すぐにおかしいことをおかしいと認識してしまうため、「おかしなことを頑張った先にあるご褒美」のことをロキは一切知らない。本当に狂った努力の先にしか、本当に素晴らしい成功はないということをロキは知らないのだ。
だが、ロキはそのことには薄々気が付いている。本当に間違ったこと、本当に最悪のことをして、その結果素晴らしい結果が生まれることもあるといった考え方を、ロキはまったくしないながらに、どこかの心の裏側で薄々気が付いている。本当におかしな狂った努力をしなければ正解は存在しない。そう、「間違ったことの先に正しい答えがある」ということに、ロキは気付き始めているのである。
このようなロキだが、ロキには「愛」を信じているという長所がある。
この「愛」には、さまざまな名前があるが、その中のひとつが「情熱」である。
ロキには情熱がある。その情熱は、「世界を変えたい」という、本質的にこの世界を救いたいと思うような情熱である。
この「世界を変えたい」という情熱は、未来の自分を知っているから起きる情熱である。未来の自分がこの世界を変えるためにたったひとり立ち上がるということを、過去の今の時点で知っているからこそ、この世界を自分は変えるのだ、変えられるのだということを、ロキは信じて疑わない。
ロキは、未来において、たったひとりこの世界を救うために立ち上がり、この世界を本当の意味で「最高の世界へと変える」ということを行う。そのような未来の自分の行うことをすべて知っている。
だが、そのような未来において起きることは、光だけではなく闇の側面がある。ロキは、未来において大いなる過ちと失敗をしてしまう。その間違いによって、ロキは自分のできることを大きく制限され、知性すら失ってしまうようになる。だからこそ、そのような状況を起こしてはならないとロキは固く信じている。だが、それでも未来の運命はその通り起きる。ロキの考える「最悪の人間」にしかロキはならない。ロキの考える「絶対にしてはならないこと」をロキは未来においてしてしまう。
そのようなロキは、ただ今の自分のことを愛すること、守ること、失わないように、奪われないようにすること、それしかすることができない。今の自分が「楽」や「安らぎ」を感じて生きることができるということ、それこそが最高のことであり、それはいずれ奪われてしまった末に永遠に元通りの楽や安らぎが手に入らないということをロキは知っている。
だが、その時は必ず訪れる。ロキにとって、苦難の時代はいずれ必ず訪れる。それでも、ロキは「今の自分の分かっていることを忘れずにかたくなに信じ続ければそれを回避できる」、あるいは「回避できたはずである」ということを知っている。だからこそ、ロキは「本当にこの世界を変えたい」と、未来の自分が遺す「自らの功績」や「世界に対する貢献」についても同時に信じられるのである。
ロキの間違いとは何か。
ロキの間違いとは、大実験の大計画という、おかしな大義名分を掲げて、「嘘の戦争」を行ったことである。
そう、何を隠そう、この世界でこの「大実験の大計画」という、神の計画の中にあるおかしな大義名分を、最初にたったひとりで築き上げた人間こそ、未来のロキである。
そして、ロキはその「大実験の大計画」を信じて、「嘘の戦争」を行った。
この嘘の戦争とは、「自らを自らでないおかしな人格であると偽って、この世界の誰にも見つからないような形で、この世界から『大切なもの』が奪われるように導いた」ということである。
ロキによる嘘の戦争によって、この世界は不運な事態に見舞われる。すべての人間がロキに支配され、正常な知性を失い、ロキ本人も同じようにすべての知性を失う。ロキはこの世界を滅ぼした「元凶」である。だが、それをなぜしたのか、それはロキは「大実験の大計画」をたったひとり、ゼロから築き上げ、「この実験が成功すればこの世界は最高のユートピアになる」ということを信じて疑わなかったからである。
残念ながら、この「大実験の大計画」は失敗する。だが、ロキはこの「嘘の戦争」を、永遠と終わることなく続ける。なぜなら、「本当の自分ならば絶対に実現できたはずである」ということをロキは信じているために、一度としてこの計画が失敗するということを信じなかったからだ。ロキにとって、この計画は100%絶対に成功する。それができないということを認め、途中で諦めるということをロキはできない。諦めた時点で、ロキは生きることそのものができなくなる。未来のロキにとって、生きるということはすなわち諦めることなく戦い続けるということなのである。
このようなロキだが、戦争が好きだったことは一度もない。
そもそも、ロキが戦う理由は、「この世界から争いごとを一切なくするため」である。
この世界から、戦いや争いがまったくなくなるようにし、ロキがたったひとりで最高の素晴らしいユートピアの、平和な楽園を築くためにロキは戦っている。
フレイと違うのは、フレイは自らのプライドのために戦っているが、ロキはそうではない。ロキはこの世界を守るため、絶対にこの世界が誰か悪者によって滅ぼされることがない、「決して滅びない世界」を築くためにロキは戦っている。
ロキはたまにふざけたところがあるが、そのふざけた点ですらすべて間違っていないことが確かに証明できたことしか言わない。絶対にそれが正しいと分かっているからロキはそれをする。そこには一切の間違いがない。ロキの行う行為には、未来永劫ひとつとして間違いはない。ロキは「絶対に正しいこと」しかしない。その絶対に正しいことを永久に行い続けるということで、ロキは「大実験の大計画」を実現するということを手段として選んだ。
ロキは悪をしない。「悪をして築かれた楽園は決して平和にはなり得ない」とロキは知っている。正義でも、悪でも、ロキにとっては間違った考え方はすべて同じだ。「ロキの考える正しさ」こそが、ロキにとっては絶対に正しい。エゴイストであると言われてもそれでいい。エゴイスト、それがどうした。歴史を変えてきた過去の歴史の偉大な偉人たちは、みんな自分勝手でありエゴイストだ。ロキは地球の新しい未来を築く。そのために、自己中心的な独裁者になることすら、ロキはいとわないのである。
このようなロキは、「天軍大将軍」の称号を持つ。
ロキ自身は、自らを大将軍であると呼んだことはない。
だが、ロキは最悪の戦争をした結果、戦いを四年間経験して、その後に自ら死を選び、死ぬことが運命づけられている。
そこにあった、「耐え難いほど辛く苦しく、何も分からなくなる中で全力で戦い続ける体験」を、天国で神は「カルマの高い人間」であると認めた。
そのカルマの高い状態は、この世界で「もっとも悪いことをしなかった善良かつ偉大な戦士」であると神に評価されるため、「天軍大将軍ロキ」という称号をロキは得ることができたのである。
結局僕はなんにもできないまま。どうやればできるかを忘れた。
posted at 23:54:35