結局、僕は何をしたくて、何をしているのでしょうか。
僕という人間は、結局どういう人間なのかということが、この文章からはちっとも分かりません。
ですが、僕自身のみんなと違うところは、「賢い人間」と言えるかどうかという基準が、みんなとは違うということです。
僕は、「賢さ」という定義がみんなと違います。
僕にとっての「賢い人間になる」とは、みんなにとっての「賢い人間になる」ということと、全く違うことなのです。
なので、「賢い人間」という定義をみんなと同じような意味に設定すると、僕がどのような人間かということを知ることはできないのです。
また、僕は、本当はこの文章を書いている際に、「いつもの文章と同じ文章を書く」ということ以外は考えていません。
僕は、いつも自分が書いていた文章を、今でも同じように書いているだけです。
Reolが言う「審美眼」は、僕には本当はありません。「才覚を引き出す」ということをしているわけでもなく、「第六感」もありません。
Reolは分かっていません。そのような特別な才能は僕には何ひとつありません。
言えることは、「何もしないことはいいこと」であるということです。
成功するか失敗するか分からない、リスクのあることをやるには勇気が要りますし、そこで結果がどうなるか分からないため、努力と継続がいったん中断してしまいます。
ですが、「何もしない」ということは100%成功します。
何もしない中で、確実に成功することだけをやることで、大きな目標に向かって、途切れることなく永遠に取り組み続けることができます。
宇多田ヒカルは、「タイムリミットのない頑張りなんて続かない」と言っていますが、僕にとってその言葉は正しくありません。無限に続くことだからこそ永遠に続くのです。
この世界に対して、散々迷惑ばかりかけてきた僕ですが、何一つ良いことができていないわけではないと思います。
僕のおかげで、この世界はかつての荒くれた世界よりも、安心して楽に生きられるようになりました。
Official髭男dismも「やけに優しい世界」だと言っているように、僕はとりあえず安心できる優しい世界を作ることには成功したと思います。
また、昔の僕と今の僕をどちらも行うと、あまりに賢い人間になります。これも、CHiCO with HoneyWorksなどの音楽を聴いているとよく分かります。僕の人生を昔と今どちらも行えば、どんな試合にも勝利できるほど強いスポーツチームを作ることができるぐらい、この人間の昔と今の人生は優れています。
ですが、僕は本当はもっと別のことをやりたかったのだとそう思っています。僕はこの世界を一度「最高の希望」によって救い、みんなに「本当のこの世界で生きる意味」を気付かせるということを行いましたが、そのような夢と希望はその後に自分自身の手で完全に破壊しました。ですが、それはCHiCO with HoneyWorksが「番狂わせ、壊してしまえ」と言っているように、この世界をさらによい世界にするためのチャンスだったのだと思います。
なので、僕はさらにこの世界を壊し続けます。ですが、必ずこの世界を素晴らしい世界にしてみせます。必ず僕が世界を救います。Adoが言うように、勝機は確かに見えています。
最近、僕はやることがなくなった。
もっと別のことを勉強したいのに、もう、勉強するべきことがない。
本当は、勉強することはたくさんあるのだが、その勉強をすると、その分野の専門を選ぶことになってしまい、ほかの分野のことまで学べなくなってしまうような、そんな分野しか残っていない。
だが、これ以上、広く浅くすべてのことを学ぶことはできない。そのような「各分野の重要な基本的事項」はすべて知ってしまった。
そして、同時に、僕はひとり、自分だけがプロ並みにできる、ということを昔から目指していない。僕は自分自身がやるよりも、みんなにやってほしいと思うところがある。つまり、他力本願だ。自分がやるのではなく、みんなにやってもらうために、自分はみんなのことを助けることを目指していた。昔から、そのような「自分で行わず、他人に行ってもらいたい」と思うような少年だった。
結局、本当に今から何かを学ぶなら、その学んだことを最後まで学び続けなければならない。今、Windows APIやC#のことを学ぶと、そのままWindowsエンジニアになってしまう。PHPであってもUNIXであっても同じで、そのままUNIXエンジニアになってしまう。
本当は、僕はもうこれ以上学びたい分野はない。だが、それでも、「いつも自分がしていたことをしたい」と本能的に望むのが人間であり、かつてLinuxをやっていたのは子供時代テレビゲームが好きだったのに、大人になってそれ以上ゲームをしているわけにいかなかったからにすぎない。今、僕はその時と同じになっている。これ以上、同じようにすべての分野の基本的事項を学ぶことはできない。それは既に知り終えてしまった。だから、これ以上は専門を深く狭く学んでいかなければならない。
興味のあることについての勉強なら、たとえつまらない知識であっても面白く学べるということは確かに分かった。本当はこのまま、いつまでもさまざまな分野を学んでいたかった。だが、それはもう叶わない。新しい分野を学ぶために、「僕の本当に興味のある分野とは何か」を考えなければならない。それはLinuxではない。Linuxはゲームとインターネットの延長線上にすぎない。Linuxは決して、僕の生涯を捧げるべき対象ではない。
結局、やることは何もなくなった。これ以上は、むしろ「作る」ということを目指すべきだ。自分ではなく他人にやってほしいのをやめ、最後まで自分ひとりで行うべきだ。他人には、作ったものを楽しんでもらったり使ってもらえたりすればいい。最後まで自分の作品を作るべきだ。僕の残りの人生に残されていることは、むしろそれだけだ。
深層心理のレベルで、体中全身を殺して、女の精神をすべて消すしかない。それで男になれる。
posted at 23:55:20
女は、考え方が変わらない。いつまでも同じ固定観念に囚われる。男になると、考え方が変わる。結局、男のほうが正しい。
posted at 23:28:41
男になることしか、解決方法はない。
posted at 23:21:59
男になろう。男になると、ひとりで生きられる。
posted at 23:21:30
男になることに決めた。女はつまらない。
posted at 23:11:12