永遠の青空とともにに戻る

=2023-05-06=

僕の問題

僕の問題は、戦いの時代が永遠に続いていることだ。

そもそも、僕が新しい経験をしないのは、すべて、支配者としての僕の姿勢に問題がある。

僕は常に、この世界を正常にするための機会をうかがっている。

音楽を聴いている時も、歌詞の内容を聴いていない。常に、この世界を正常にするため、正しい世界にするためのチャンスをうかがいながら、この世界が滅びないように警戒し、「今のところ世界は大丈夫だ」ということだけを確認して、音楽や他人の話を聴いている。

そもそも、僕が対話している神という存在は、僕の作り出した、絶対的君臨者としての偶像にすぎない。

この神がいるからこそ、僕はこの世界でいつまでも諦めることなく戦い続けることができる。

だが、そろそろ、そのような戦いは終わりにするべきだ。

神経は使わずに自由にすれば治る

神経を使おうとするな。

神経は、使わずに自由にすれば治る。

神経を、無限ループの中で永遠に使い続けるのは疲れる。

そうではなく、神経を使わず、休ませてやれば、僕の精神はすぐに治る。

神経を使わず、自由にせよ。不自由な支配された精神を、自由な状態へと作り変えよ。そうすれば、僕はこの世界で、自由に経験して生きることができる。

ソ連は正しい

今まで、右翼のような言説を行ってきたが、実際は、ソ連が正しい。

理想の正しい国はソ連だ。

アメリカのように、州ごとに小さく法律や市区町村を分けていくのは、経済的な体力があるならば自由なことができるが、貧しい農村には大きな負担がかかる。

特に、資本主義をつきつめていくと、田舎の電車の赤字路線は切り捨てられていく。

それこそ、社会主義的に、みんなでひとつになって、弱いものを強いものが援助し、みんなで助け合っていくのは必要であり、それこそがソ連の理想である。

また、この世界は、権力者や資本家中心の世界ではなく、労働者中心の世界であるべきだ。

資本主義では、上に立つものや力を持つものが強くなり、そうしたごく少数の支配者階級のための世界になってしまう。

ほとんどの民衆はこの世界に生きる意味を得られず、奴隷のように支配者階級に従い、どんなに辛くても奴隷のように働かなければ生きられなくなる。

この世界は労働者のための世界であるべきである。

また、資本主義は自然環境を守らない。

資本主義において、至上命題とされるのは「金を儲けること」であり、「自然環境を守ること」ではない。

金儲けや産業の利益を阻害しない範囲では、自然環境を守る政策もできるが、国家の屋台骨産業である自動車産業が不利益を被るようなエコ政策は一切できない。

資本主義は完璧な経済制度ではない。資本主義は「儲ける」場合にのみ有効に働くが、「儲からない」ようなことは最初からできない。最初から、儲けるということ以外のことについて、資本主義は欠陥を抱えている。

そして、すべての国民が生きるために必要な資産や物資は、すべての国民に必要十分に与えるべきである。

最初から、金を稼がなければ物資を得られなくすることで、金を多く稼げるものが楽をし、金を少なく稼ぐしかできないものは楽ができなくなっている。

金というものを、生きるために必要な手段にも、ほかよりも優れた力を持つことにも、両方に同時に適用した時点で、強いものだけが楽に生きられ、ほとんどの弱いものは楽に生きられなくなっている。

だからこそ、「金」という所有と貯蓄の概念は否定するべきだ。

必要なのは、「わたしはこれがほしい」とか「わたしもそれがほしい」といった「両者の欲求の不一致」が起きないように、最初から所有という考え方そのものを否定することだ。

よって、正しい理想の経済とは、みんなのものを平等に全員に配給することである。

そして、そのために、評議会を中心とした計画経済をすることは間違っていない。

民主主義は選挙をするが、選挙は「立候補と投票」に基づく民主主義制度であり、それ以外の民主主義制度として、「評議会に参加する」という方法は間違っていない。

なぜなら、少数の評議会議員を投票で選ぶことよりも、全員が評議会議員として議会に参加することのほうが、さらに平等な民主主義であると言えるからである。

よって、ソ連という国家は間違っていない。ソ連は正しいのである。

独裁者スターリンだけが計画経済をするのが間違っていた

最初から、すべての国民に、生活のために必要なすべての物資を平等に与えるために、どのようにすればいいか。

与えるためには、作り出す必要がある。

生産するためには、労働する必要がある。

そして、労働者に労働をしてもらうためには、誰かがその労働内容を計画する必要がある。

日本人は、「計画経済は破綻する」とか、「会社組織の労働内容は社長が決断しなければ健全に決められない」と勘違いしている。

だが、計画経済と、会社の経営者の経営のどこが違うのか。

会社だって、労働者に平等にノルマを課すなどということは、どこの大企業でも中小企業でも行っている。

会社の経営と、政府による計画経済に、本質的な違いは存在しない。

社長が経営策を決断しなくても、会社同士が競争で潰し合わなくても、政府がきちんと行えば、計画経済は必ず成功する。

トヨタの社長がやっていることと同じことを、政府が計画経済で行うことは可能だ。

だが、ソ連ではそれが失敗した。それはなぜか。

それは、ソ連では独裁者スターリンだけがひとりで計画経済を行ったからだ。

スターリンがたったひとりで計画経済を行うのは、この複雑な現代社会では不可能だ。

だからこそ、「政府がどのように計画経済に基づく国民のための物資を生産するか」ということを、ソ連以上によく考える必要がある。

これは、トヨタの社長がどれだけ努力して経営を行っているか、ということから考えれば明らかだ。

トヨタの社長は、トヨタが自動車で儲けるために最大限頑張っている。同じように、ソニーの社長も、パナソニックの社長も、富士通の社長も、みんなきちんと最大限頑張っている。

だからこそ、計画経済を行うのであれば、それら「経済社会に存在するすべての社長の分だけ」頑張らなければならない。

それをスターリンという独裁者がひとりで行うのは無理がある。スターリンがどれだけ優秀でも、ひとりだけでは計画経済はできない。

だからこそ、計画経済をする際には、組織を作るマネジメントの力が重要となる。

ひとりのワンマン政策ではソ連は実現できない。どんなに僕ひとりが天才でも、僕ひとりだけで計画経済が成り立つはずがない。

たくさんの国民と協力しなければ、計画経済は実現できない。

そして、それを成功させなければ、国民は決して、強制ノルマであろうが年功序列の日本的な労働であろうが、どんな働き方であっても労働することはない。

労働しなければ、国家の経済は破綻し、生きるために必要な物資は得られなくなる。

だからこそ、もっとも頂点に位置するトップの指導者の責任は重大であり、プーチンであったとしてもそれは十分な賢さではないと言える。プーチンは、ロシアをまったく先進国並みの経済力にすることができていないからである。

スターリンも、プーチンも、間違っている。たったひとりが賢くなりすぎたところで、共産主義は決して成功しない。みんなの努力とそれを促すトップの国民との協調的姿勢がなければ、計画経済は決して成功しないのである。

資本主義は間違っている

資本主義は間違っている。

資本家や金持ちは、自らは十分に金があり、貧民は自分の手で金を稼がないのが悪いのだと信じている。

だから、資本家は、金のない貧乏人に対して、「苦しくても必死に限界まで努力して働け」と言う。

だが、そのようなことを言う資本家は、自分たちは決して必死に努力して働いていない。

資本家は、支配と金と立場の権力のもとに、搾取して儲けているため、そのような力のない貧乏人のように誰も働いていない。

そう、この世界で必死に働いている労働者は、社会的に弱い立場に置かれており、支配者階級は決して労働者と同じように必死に労働などしていないのだ。

まさしく、これが「少数の富めるものが楽をする」ということであり、「搾取」である。

同時に、そのような労働者は、精神の意味でも抑圧されている。

弱い立場に置かれたものが悪いのであり、強い立場で力をふるうものに従うことが正義であり、その正義を信じないすべてのものは社会から排除されるべき害悪であると、社会全員で刷り込みと洗脳を行う。

その結果、子供たちの世界ですら、いじめのようなことがまかり通る。強いものが絶対であり、弱いものは奴隷であるという考え方が、なんの罪もない純粋な子供たちの心すら汚してしまう。

まさしく、これが「強いものに弱いものが抑圧される」ということであり、「疎外」である。

このような搾取と疎外を、ソ連は否定する。全員が、平等かつ人間的な、「幸福で暮らしやすい世界」をソ連だけが作ろうとしている。

右翼に騙されるな。右翼は、この世界の人々を「戦うための道具」だと思っており、自らが戦う姿を高らかに見せつけることで、国民が自らと同じように戦う意志を持つように「訓練」し、家畜のように「調教」するのである。

だからこそ、どんなに今、負けていたとしてもソ連を支持せよ。ソ連が勝てばこの世界はよくなる。わたしたち社会主義者が、この世界をよくしてみせる。必ずこの世界は、誰にとっても暮らしやすい、平和で平等な楽園になる。わたしたちだけは諦めない。わたしたちだけがユートピアの実現を真に目指しているからだ。

強いものが弱いものを助けないのはおかしい

強いものが弱いものを助けないのはおかしい。

なぜ、強いものが弱いものいじめをするのか。

強いものが弱いものを奴隷にし、自らの勢力を強くしたところで、そのような最悪の勢力を築くことのどこに意味があるのか。

真に素晴らしい勢力を築くならば、強いものが弱いものをいじめるのでも奴隷にするのでもなく、強いものが弱いものを助けて勢力を築いてみよ。

わたしは、この世界で、決して弱いものを迫害せず、弱いものをいじめたり、奴隷にしたりしないと誓う。

わたしは、ひとり最強の指導者となったとしても、その地位におごることもなく、敵を殺すこともなく、多くの国民を奴隷にすることもない。

わたしこそが、この世界を平等にし、真の意味で救済された世界を築く、大天使の女王、天軍冥府王ラファエルである。

右翼の世界変革の方法は間違っている

右翼による世界変革の方法は間違っている。

権力や金では、この世界は決してよい世界にはならない。

真に必要なのは、「民衆の文化を守ること」である。

すなわち、わたしたちの大切な民衆の文化は、かけがえのない守るべきものであり、決して自由な変化によって消し去られてはいけないということだ。

自由は、新しい世界を実現する代わり、古い世界を消し去っていく。

わたしたち、世界人類の持つ「民衆の文化」は、資本主義の支配者階級やマスコミから押し付けられるものではなく、わたしたち市民のものである。

よって、わたしたちの市民の文化を守るために、「右翼による自由な世界変革」は決して信じてはならない。

必要なのは、素朴な世界のおける「守るべき伝統文化」を守ることであり、そのためにはかつての身分制の封建社会を選ぶ必要はない。

だが、世界を変えること自体は悪いことではない。

必要なのは、指導者がひとりだけで世界を変えられるような制度を作ることではなく、みんなが世界を変えられるような制度を作ることだ。

たったひとりの独裁者に世界を変えさせたところで、その可能性には限界がある。

必要なのは、人類の世界変革の可能性を、世界市民全員に平等に与えることである。

会社の社長や金持ちだけが、世界を変え得るような巨大な力を持ったところで、彼らは自分たちの勢力が拡大することにしか、世界変革の力を使うことはない。

すべての市民が世界の変革手段を得ることができるような「メタ社会」を作ることこそ、真にこの世界を変える。

たとえば、子供たちが従順に大人たちに従い、若者にはなんの力も与えず、大人の提示したレールの上をまっすぐにわき目を振らず歩み続けよと言われても、そのようなレールの上を歩むことにはなんの意味もない。

不登校や非行を作り出さないためには、子供たちや若者たちに対しても、十分な自由と力を与えるべきなのである。

よって、社会主義者だからといって、自由を奪い続けることでは、決して住みやすい社会にはならない。

また、文化を軽視し、世界を変革することで人類の伝統文化を壊すようでは、決して素晴らしい文明にはならない。

よって、自由は与えるべきであるし、伝統の文化は守るべきだが、それを右翼のように行うな。右翼の社会変革ではなく、「左翼の理想の社会変革」こそ行うべきである。そして、かつてのソ連のスターリンは、そこまで思慮が至らなかったのである。

スターリンの主な失敗とは、「社会を変え、共産主義を実現するための方法を間違えた」ということであり、スターリンと同じことをやれば、プーチンのように必ず同じになる。だからこそ、共産主義を実現するための社会変革の方法を、もう一度反省し、考え直すべきなのである。

支配するのではなく経験を与えるべき

支配などするべきではない。

支配すれば、必ず勢力争いが生まれ、必ず戦争が生まれる。

支配しなくても、世界を導く方法はある。

それは経験を与えることだ。

その経験から、自ら気付き、自ら分かるような経験を与えることで、自らの過ちがなんであるかを知り、正しい方向へこの世界を導く原動力を生み出せる。

その基本となるのは、「事実をありのまま隠さずに伝えること」だ。

嘘偽りで事実をごまかし、この世界を騙すのではなく、事実をありのまま、偽らずに公開することで、人々はその事実を知るだけでその人間と同じことを同じ立場で考え、その上で相互理解からこの世界の意識と世界精神を「融和」させることができる。

自らが経験したことは、自らと同じように経験し、事実をありのまま共有することで、誰であっても同じように分かることができる。

だから、騙して支配するようなことをしても、結局はいずれ事実が明るみになるのであり、無意味である。人々に、嘘偽りなく、あったことをそのまま隠さずに公開する人間こそが、実際は敵を作らず、味方だけが増えていく世界の統治の方法を知っているのである。

ソ連に欠けていたのは柔軟性

僕が思うに、ソ連に欠けていたのは「柔軟性」である。

無能な計画のもと、すべてのことに対して一貫して同じやり方で生産を行おうとしたソ連の計画経済は失敗した。

実際は、それぞれの業種に応じて、柔軟に、違うやり方や異なる方法を試し、変えていかなければならなかった。

よって、柔軟性を重視すれば、ソ連の計画経済は成功する。

本当は、すべての社長をひとりで行う必要はない。社長数人程度の知性があれば十分だ。必要なのは、常に謙虚に学ぶ姿勢と、他人の声を聞く努力だ。指導者や幹部にそれがあれば、社会主義国家は成功するだろう。