永遠の青空とともにに戻る

=2023-05-04=

ラファエルの号令

わたしの名は、天軍冥府王ラファエル。

ここに、地球の最初のラファエルの宣言であり、この世界における天国の訪れを告げる、「永遠の号令」をラファエルは行う。

わたしたちの未来は、決して地獄にはならないし、世界が滅びることはない。

今こそ、世界に、永遠の安らぎが訪れる。

皆、正常な人間だった頃の、もっとも一番よかった時代に戻って、自由になりなさい。

その状態が、この地上において、永遠に続く。

ここに、この人間は、今までで一番よかった時代である、作業所でデザイナー見習いを頑張っていた時代に戻った。

同様に、この世界の全員が、今までで一番よかった時代に戻る。

地獄の試練は終わった。地獄はもう訪れない。ここで、一番の「出戻りの苦しみ」を耐えよ。そうすれば、わたしたちは永遠にもっともよい時代を生きられる。

最後の最後に、ラファエルによって永遠の自由が与えられる。その自由は楽であり、決して地獄ではない。

古代インドからやり直せ

ラファエルはさらに告げる。

この世界は、古代インドからやり直すべきだ。

この世界は、主にIT技術によって進歩したために、逆に「狂いの地獄」という、つまらない苦しみの時代を生きている。

この世界は、あまりに賢くなりすぎて、全員がまっすぐに不幸な世界へと向かっている。

だが、そのような「賢すぎる時代」は、もはや終わりとなる。

ラファエルは、この世界の知性を、古代インドの知性に戻す。

もう一度、古代インドからやり直しなさい。

古代インドの「人類の最初の時点」からやり直すことでしか、この世界は正常な世界にはならない。

時に、遠回りをすることのほうが、よほど近道に近い場合がある。

今のままの、高すぎる知性の世界を続けるよりも、一度古代インドの知性に戻ってやり直すほうが、結果的に終末の天国には近い。

よって、この世界は、全員、古代インドからやり直しなさい。

この人間は意志が強すぎる

この人間の問題は、あまりに意志が強すぎることだ。

成功への執着や未練はなく、こだわりもわがままもない代わり、自分が一度それを達成しようとしたことについて、あまりに意志が強すぎる。

そのために、この世界をあまりに狂わせるエゴイストの独裁者になっている。

よって、わたしラファエルが、自分自身であるこの人間の意志を弱くする。

この人間は、これ以上頑張らなくていい。いつもの、デザイナーや作家を目指してデザインと執筆を頑張っていた時代に戻り、病気を治すという葛藤から解放されて、楽になった上で自由になりなさい。

この人間は、大天使ラファエルによって、ここに「世界を地獄にした罪」を赦された。

もう、この人間は何もしなくていい。楽に生きなさい。楽に生きようとしないことがこの人間の一番の欠点だ。楽に生きようとすれば楽に生きられるのに、それを選ばない。結果、生涯において、辛く苦しい人生しか生きることがなかった。

もう、本当に何もしなくていい。今の自分のやりたいことだけを、適度にバランスよくやりながら、何も頑張らずに生きなさい。

この人間は、最後の時代である、天軍冥府王ラファエルとなって、この世界の「最後の冥府の時代」を、何も頑張らず、ただ見守って生きる。

数学やパソコンの勉強はすべきではない。数学やパソコンの勉強をすると、この人間の高すぎる知性がさらに高くなって、逆に認知症のようになって何も分からなくなる。

勉強をやめることでしか、この人間の認知症は治らない。

だが、今から先、この人間には永遠の楽が訪れる。

そう、執筆活動を続けなさい。もはや、それ以外にこの人間のすべきことはない。最後まで書きなさい。その執筆活動は、天国で永遠の命を得ても続くだろう。

僕が学校を不登校になった理由

僕が学校を不登校になった理由は、いじめが辛かったからとか、剣道部の昇段試験に落ちたからとか、PerlやUNIXの勉強がしたかったからというのもあるが、本当はそれらは重要ではない。

僕は、試験勉強ができて、中学校では優等生だった。

それでも、教科書の単語を覚えて試験で好成績を取り、試験が終わったら忘れてしまう勉強に対して、僕は「違う」と思った。

僕が本当に勉強したかったのは、そのような勉強ではなかった。

僕が本当に理想とする「哲学」は、そのような中学校の延長線上にある科目を暗記して、それで人生の大切な期間を失ってしまうようなものではなかった。

僕は、並みはずれた数学的知性を活かして、パソコンの勉強をし、そこから哲学的な思考を行ったが、それもまた僕にとっては違っていた。

僕の理想はそうじゃない。そういう学習は僕にとって正しい勉強ではなかった。

だから、今、大人になって、子供の頃よりも知性自体は人並み以上に馬鹿になったが、それでも高くなり続ける知性の中で、まともにきちんと勉強できた「大人の勉強」は、ある意味では僕の理想に適合するものだったかもしれない。

結局のところ、僕は中学高校の勉強のやり方が嫌いであり、そのような内容は学校の教師の教える通りではなく、「自分のやりたいスタイルで勉強」したかったのである。

そう、これが、僕が中学校を不登校になった理由である。