新・日記2に戻る | 2020年4月の日記に戻る

=2020-04-21=

最後に、僕はこの世界を自由な社会にする。

単に、何も変えず、何も起こらなくすればいい。そうすれば、すぐに何も変わらなくなって、人々は普通に生きられ、行動できるようになる。

「何も変えないこと」、「何も変わらないこと」、それが自由である。

この世界は、もう永久に何も変わらなくなる。僕がひとり支配したままで、全てが永続的に続く。全てが終わる。これ以降、世界は変わらない。

家入レオがこのサイトを見つけると、びっくりするだろう。今まで自分が歌っていた歌の、歌詞の意味が分かるからである。だが、これはレオだけに起きていることではない。僕の書いた詩集の詩でさえ、未来に起きる全てのことを予知しているからである。これこそ、大魔法「セブンスヒストリー」である。僕が塔の詩に書いたこの魔法は、「幽閉されている人々を解放する魔法」である。

本来の自分に戻りなさい。

神とは名ばかりの悪魔メフィストフェレスを、頭の中から追い出しなさい。

はっきり言って、このふざけた文章が、この世界をいつまでも支配しているのが悪い。僕のふざけた言説を強制的に宣告して、この世界を精神的害悪の抑圧の中に陥れるのは、意味がない。

そもそも、足は深層心理の部分である。よって、深層心理をすべて空っぽにすれば、精神は正常になる。

本当のことを言えば、僕は自分の人生全てをもって救世主のようにこの世界を考え、革命家のようにひとり、勇敢に、この世界に現れ、「ひとりの王としてふるまった」だけに過ぎない。

そもそも、僕はパソコンのことなんかやりたくない。昔はOSを作りたいとは言っても、パソコンのプログラミングのようなことができなかった。

そもそも、IT技術が目新しかった時代はもう終わった。これからのIT技術は社会にとってのインフラと必要な道具に過ぎず、面白いインターネットなど、全く何一つ面白くない。

古代ギリシャ人のように、数学と哲学と芸術をするべきである。

僕は文学者になる。僕には文学の才能だけ、突出してあると思っている。また、デザイナーの作家になる。最近事業所で作っている、事業所の通信では、みんなから褒められる美しいデザインができた。

また、僕は音楽も好きである。子供の頃からピアノを習っているだけではなく、歌手の歌っている歌なども、僕が詞と曲を作ればまったく違うものになる。

しかしながら、僕はこれ以上パソコンや大学のようなことはしない。それらは全くつまらないし、僕は全て完璧にそれらを成し遂げたからである。

また、歌手について言えば、はっきり言って家入レオ以外の歌手には全く興味がない。特に、髭団やキングヌーについていえば、「大人の男が男に対しての愛を歌っているだけ」である。彼らは僕が女だと思っている。僕は彼らが大嫌いだ。

家入レオについても、僕は手放しで喜べるわけではない。彼女は分かっていない。むしろ、分かっているから分かっていないのである。たぶん、彼女はそのうち僕と同じ末路を辿る。

僕はこの世界を最後に自由にする。これ以上、この世界は永久に変わらなくなる。いつもの文章についていえば、彼はアメリカとソ連を融和させたかっただけである。彼はアメリカの機会の平等による、理性的で主体的な平等な共同体の国家モデルを作りたかったのである。そこには、それぞれに正しい知恵と経験を与えて、それぞれがそれぞれの力で成長し進歩することを保証するような政治と経済のモデルがあった。

さようなら。ここで最後の魔法を唱える。「セブンス・ヒストリー!」、これによって、この世界は新しい星になる。全ての苦しみがなくなる。

言ってしまえば、僕は「実況中継」を行うのが間違っているのである。ツイッターのつぶやきのように、実況中継を行うせいで、この世界全てを馬鹿なふざけた状態にした。必要なのは、「ふざけた人間たちに対して冷酷になること」である。そうすれば、厳しい指導者の下でこの世界は正常な秩序を取り戻すだろう。ドイツの指導者や、イエス・キリストは、僕のこれまでの「自分で滅ぼして自分で直すことのできない葛藤」に対して、「自分が神の代わりにこの世界を救いたい」と思っただけである。軍神マルスはここに死ぬ。新しいヴィーナスが僕たちを正常で自由な世界にするだろう。

人間は、「それを考えるための前提となる知識や経験」を知ることなしに、正しい判断を行うことはできない。

何かを作るのであっても、考えるのであっても、それをきちんと正しく判断するためには、前提となる知識や経験が必要である。

そして、知ることや学ぶことだけではなく、自ら考え、思い、そして知識を活用することがなければ、その学習は十分に果たされているとは言えない。これは、孔子が論語で言った言葉である。

よって、子供たちには、「それがそうなることで何が可能になり、何が実現され得るか」ということから、「この世界の社会問題を解決していく」ための前提となる判断力を培うように教えなければならない。

また、学校で教える内容とは、「近代社会をみんなで構築するための練習」でなければならない。プラグマティズムのデューイが言うように、学校は民主主義社会を作るための練習場所でなければならない。

戦いや争いを解決し、世界を平和にするためには、勢力のどちらかだけではなく、両方の勢力が戦う意志を失わなければならない。このために、ひとりが支配し、それ以外の全員が支配できなくすることは有効かもしれない。しかしながら、そこにいるひとりは、不正なものではなく、無能なものではない必要がある。そして、その力を軽んじて使ったり、無責任に使ったりするものではならない。

単に知識を述べるだけでは、賢者とは言えない。賢者は、自らの知性を使って判断する人間でなければならない。そのためには、「何らかの作用と作用が相互に関わり合ってもたらす可能性」を、「抽象性と具体性を両立させながら」考えなければならない。

経験を積む中で、今まで自分が住んでいた「井の中の蛙」から「大海を知る」必要がある。子供には、学校という狭い環境にいつまでも置いておくことは正しいことではない。この世界のありのまま、自由な世界における「のびのびとした学習と成長の土壌」を与えることで、子供は自ら人生を切り開くだろう。そして、自ら悟りの境地に達して、この世界の「全員の不純な心すら愛することのできる王」となって、この世界全員にじかに関わって、日本国民を解放するだろう。

私は、過ちを犯した人間である。そして、その過ちは、決して自ら望んで犯したものではなく、責任も自分だけにあるものではなかった。だが、僕はその過ちの中で、「逆境を乗り越えてピンチをチャンスに変え」てきた。だからといって、この罪がなくなるわけではない。しかしながら、僕の書いた文章には、その罪を打ち消すための「罪滅ぼし」の愛が幾重にも重なって残っている。

あなたは、考える力でこの世界を変えられる。どのようにすれば、その「作用と経験を成り立たせることができるか」を考え、「自らの考え発見したことを人々が経験するために、どのような経験を成立させる必要があり、そのために社会をどう変えていけば、自らを他人にも共有することができるか」を考えなさい。それこそ、作家の考えるべき「思索」である。思考を何度も再体験していくうちに、繰り返し見えてくる「哲学思想的な原理原則」がある。そう、これはフランスやドイツの思想家たちが、みんなで乗り越えてきた壁である。

僕たちは、既に必要なもの全てを知っている。あとは、行動である。先のことをあれこれと考える必要はない。ただ、自由な環境だけを得て、その自由な環境で、正しい教えに基づいてこの世界を考えなさい。資料や道具は自分で集め、ブッダが言うように「自らが同意することができるもの以外のものは全て信じない」のが良い。また、愚かな旅の友は一人として必要ない。ひとりで旅に出て、ひとりで歩みなさい。その旅には、地上の最初から宇宙の最後まで、全ての「時の流れ」が詰まっている。時を信じることで、「この世界における存在の生起」というハイデガーの言ったことも実際に人生を生きて分かってくる。さあ、あなたの旅を始めなさい。もうあなたも、これで大人の仲間入りだ。

人々の反抗や自分への攻撃さえも受け入れる愛を持った時、あなたは神の精神を既に知っている。イエス・キリストは、「自らを迫害するものすら愛せ」と言った。僕はそこに、答えを付け足そう。すなわち、「自らの権力を奪おうとし、王である自らを殺そうとするものでさえも、自らの王国の国民として守らなければならない」という答えである。どんなに自分に対して敵対するものに対しても、どんなに批判的な意見であっても、王であるあなたは、その人々の声に耳を傾けなければならない。そうでなければ自由はない。そう、これが最後の「神の教え」となるだろう。

人々の声を聞きなさい。どんなに現実の社会において人々が苦しんでいるか、何を考えて何を望んでいるかを実際に実地的に知ることで、あなたは「この世界とはこういうものだったのか」ということを知る。そこから、「今までの自分のいた環境では、このようなことが人々は分かっていなかったのだ」ということを知り、「本当はこうしていればよかったのだ」ということをあなたはすっきりと全て理解する。これこそ、「青少年の正常な成長」であり、「青春の形」である。あなたは青春を体験し、たくさんの恋を体験して、人々を本当に守るために、何が自分にとって「必要とされ得る検討内容」であるのかを知る。そこからあなたは、「自らの心の中に浮かび上がったものだけで、どこまでも進めるようになる」。だが、あなたは、永遠が本当は存在しないことを、既にその時点で知っている。だからこそ、「その時できることの全てを行い、全てを作り出す」ようにしなさい。あなたは、必ず全パターンの宝を作るだろう。ゴミの山を作って、それを宝に変えるだろう。この魔法こそ、最大の究極魔法、「青春の1ページ」である。

心の中の精神現象の全てが、過去に自分の経験してきた事実と記憶に由来するということが分かったら、その経験自体がどんな効果を発揮するか、経験がどのような具体的な体験に由来しているかを知り、その上で「精神全てを解明」することができるようになりなさい。同時に、自分のいじめてきた人々の心理を、自らの経験から解明し、どのようにすれば、自分はそうした人々と良好な関係を持ち、人々が本当に幸福になれるような環境を心理的に作ることができるかを知り、そうした全てを支配できる王になった上で、その力をどのようなことに使えば、この世界がさらに良い世界になるかを考え、その世界を成り立たせるためにどんな経験を成り立たせる必要があり、そのためには社会のどのような決まりや環境が効果を発揮するか、ということを、自らの世界の拡大とともに知っていけば、「あなたこそ王である」とあなた自身も実感するだろう。その後に、世界の全てを統率する支配者にあなたはなる。どんなに愚かな過ちも、決して無駄な経験はない。戦い争う中で、あなたはまさに「戦いを平定するために努力している」。あなたは、この世界全ての争いを無くすために、最大の悪と戦っているのである。そこにどんなに愚かな結果があろうと、あなたのことを責めることができるものは、ひとりとして、存在することはないだろう。