新・日記2に戻る | 2020年4月の日記に戻る

=2020-04-07=

心の中に溜まっている抑圧を全て開放しなさい。

もう、この世界は正常に治った。

あなたの愛を、僕にぶつけなさい。僕はその愛を受け止めて、あなたを永久に愛するだろう。

もっと、否定すればいい。色んなすることを否定すれば、すぐに想像力がつく。

仕事なんか、決められたやることやマニュアルに従って、単純作業をするだけである。

学校なんか、何もできない。学校の教科書を覚えるだけで、無意味な不自由に支配されるだけである。

生物学は、無意味な体の仕組みを覚えて、生物の種や名前を覚えるだけである。

政治経済や、地理歴史は、つまらない。

心理学や哲学は、学んでも分からない。自分で考えなければ意味がない。

芸術は賢くない。絵なんか誰でも描ける。

数学や物理は、技術的なプラクティスに過ぎない。考え方を学ぶのであれば、計算や証明をするよりも、自分で考えた方が良い。

英語は誰もできない。日本語と何も変わらない。

プログラミングは、APIやライブラリを覚えて、言語の仕様通りの記述を行うだけに過ぎない。ルーチンやアルゴリズムの記述は数学的で、パズルを解くように難しい。簡単にできるわけがない。

社会の経験を積んで、さまざまなことを知っていけば、分かる。それ以外のことをする必要はない。

必要なのは、「できること」ではなく、「愛すること」である。

できることの全ては、経験である。そして、経験は闇雲に積んでいっても意味がない。経験を正しく疑っていけば、きちんと人々の「何が分からなくなっているのか」が分かる。

単に当たり前のことを、当然であると信じていると、分からなくなる。実際は当たり前のことが起きているように見えて、もっと複雑で高度なことが背後にあり、それを理解しなければ何もできない。

背後にある正しいことを考えることのできる人間を哲学者と呼ぶ。

世間には何もない。テレビやネットを見れば明らかである。人々は自分の考える視野の狭いことだけを正しいと勘違いしている。

人々はそれぞれ違う。同じことを考えても、人によって違う。その人によって違うのがなぜなのかを考えなければ、正しい答えを知ることはできない。そのためには、実際にさまざまな人の意見や声を聞かなければならない。自分だけで考えていると、真実を見失う。

人々の意見を聞いて、経験を疑う。その中で分かったことや自分自身の心から生まれたものを信じれば、未来は開ける。

正しいのは、「よく考えられた自由」である。間違っているのは、「愚かな王が支配すること」である。

人々の環境を、決して滅びることがないように分かっているものが支配しながら、それぞれに自由を分け与え、許し、環境を変化可能にしていけば、環境はそれぞれの協力と自発的な努力によって、経験豊かなものになっていくだろう。

しかしながら、自由が正しいわけではない。自由では、人々は先に言ったような「間違った経験」のせいで、何一つ分からなくなってしまう。それぞれが「正しい考え方」を持たなければ、この世界を理解する理性すら失ってしまう。そして、多くの社会の強制する考え方は、正しい考え方ではない。自らの認識と人々との心の通い合いから生まれた考え方こそ、正しい考え方である。