新・日記2に戻る | 2020年3月の日記に戻る

=2020-03-22=

精神は、一度治した部分を再構築すれば楽になる。

そもそも、「治す」という行為がおかしい。強制的に統合して、殺しているだけにすぎない。

一度治した部分を再構築することで、不可能な部分が治る。既に消え去った精神が治っていないからである。

今、僕はこの世界の全てを治す。この世界の全てが平和になる。

普通の自由な世界になる。

僕はある意味サイコパスで、自分がどんなに支配していて狂っているか、人々は全く知らない。

だが、この文章に全てが書かれている。

僕は、この世界を「もう治らなくする」。この状態のまま、治らなくなれば、誰もが楽になる。

もう、全てが終わる。

何も分からない、何も覚えられないのであれば、「決まり」を覚えなさい。

決まりのようなことなら何でもいい。決まりを覚えることで、きちんと知性が働くようになる。

そして、できれば決まりがどのように生まれ、どうして決まりとなったのか、そうした「決まりの背景」や「決まりを作る決まり」を考えると良いだろう。

決まりを知り、覚えることで、この世界で何をどのようにすべきなのか、対処策を再考することができる。思考と判断からこの世界を、「自由な反抗の科学」によって全て知り尽くすことができるだろう。

決まりについていえば、具体例をたくさん知ることがとても重要である。たとえば、車には4つのタイヤがついていて、川は高いところから低いところに、海に向かって流れる。こうした「決まりのようなこと」を考えれば、それだけで純粋だった少年時代に戻れるようになる。

決まりを考える上で重要なのは、「主体と客体」「必要性」そして「対処」である。そうしたところから理由を解明していけば、「宇宙の裏側の精神まで全てを解明する」ことができる。信じることと疑うことはどちらも必要で、どちらかだけに偏ってはならない。また、自分でコントロールできないよりは、自分で制御できた方が良い。その代わり、手放すことも必要であり、自分で支配することと相手の自由に任せることを適切にバランスよく行えば、「社会の分析における必要なこと」は全て見えてくる。

信じるに値する真理を知りたいのであれば、「世界は常に生み出されている」という単純な現象学を信じると良いだろう。そこから、体験や実像や存在の必要性全てが見えてくるからである。

さて、そろそろ、今までは十分だ。

今から、僕はこの世界を、恐怖や不安ではなく、安心と楽になるようにする。

そのためには、エロを消すことである。エロのない世界になれば、この世界は正常になって、完全に平和になるだろう。

僕たちは大人にならなければならない。子供が賢いと言うが、それは子供の方が大人だからである。

余裕と安らぎをもって生きるためには、馬鹿な女のように男を犯しまくるのはやめた方が良い。

僕たちは、平静と理性を取り戻し、一つの大きな「目標」に向かって歩むことにする。この世界は自由である。もう、全ては正常に、全ては楽に、全ては普通になる。