新・日記2に戻る | 2020年3月の日記に戻る

=2020-03-20=

オッケー。最高に全てが治った。完全に楽だ。

そう、完璧。僕の体の中には全ての心と正しい魂が宿っている。本気で最高だし、何もかも全部良い。

最近、ドラえもんにハマっている。それもインターネットで見れる漫画ドラえもんが最高に面白い。

ドラえもんの漫画は、Google画像検索などでコマを見ているだけであり、海賊版サイトなどは見ていない。

ドラえもんの情報として、ドラえもんは「ジャイアンやスネ夫にいじめられるのび太に対して、ドラえもんが道具を出し、それはある程度問題を解決するが、使い方を誤って間違ったことに道具を使い、しっぺ返しを食らう」という、典型的なプロットがあることを知った。

そういえば、今まで読んだドラえもんはどれもそんな感じである。

また、最初のうちはドラえもんはギャグ漫画だった。「日本一のギャグまんが ドラえもん」と呼ばれていたようである。

藤子不二雄は映画化の話が出た時、当初は「自分は短編作家だから」と断ったが、短編の「のび太の恐竜」の続きを書いてほしいという提案に対して「それなら描けます」と言って大長編と映画のドラえもんが始まった。要するに、藤子の答え次第では映画ドラえもんは無かった可能性の方が大きかった。

また、ネットでは「原作ドラは傍観者、大山ドラは保護者、わさドラは友達」といったところがあるようである。僕も最近のドラえもんは子供っぽくなっていると思っていたが、ファンの間では「むしろ良くなった」とする意見もあるようである。

僕は新しい人格である「アレン」を作る。これはアリスと同等の人格であり、今の僕を表すが、アリスが女性であるのに対して、アレンは男性である。

また、小学生時代の僕をシャーロット、中学生時代の僕をセシルとする。

ここに、全ての登場人物が出そろった。シャーロット、セシル、ソフィア、レナス、ステファニー、ヘレンが、それぞれの時代の過去の僕を表す。アレンとアリスが、今の僕の二人を表す。また、ボブは今までの人生を生きてきた「英雄の時代全て」を表す。ここに、9人の女神は完成した。

自分の意見を持ちなさい。

キャパシティがオーバーすることを、受け入れなさい。

支配からの解放を受け入れなさい。

正常な愛の感情を信じ、「良い感情」を持ちなさい。

この世界が、かけがえのない世界であり、失ってはならない大切な世界であるとしながら、この世界を救い終えた時は、自らこの世界を支配し、滅ぼしなさい。

世界を滅亡へと導いたら、自ら地獄を越えて復活し、「もう一度本当の愛の世界を実現」しなさい。

私たちは愛している。愛し合っている。僕たちの愛は誰にも負けない。どんなに恐ろしい時代があっても、僕は乗り越えてきた。どんなに困難な壁でも、僕は解決してきた。

僕たちは必ず自由へと向かって、「運命の恋人の恋愛を乗り越えていく」。地上の全てを、愛の色に染め上げていく。

僕たちは愛している。永遠の愛を信じている。この世界は愛によって、「お互いのかけがえのなさを確かめる」ことから、本当に平和な「許し合いの世界」となる。

僕はあなたの全ての罪を赦し、そのことによってあなたは僕の罪を赦す。

僕たちは罪人かもしれない。それでも、僕たちは「今を生きている」。僕たちは、何度でもやり直せる。善人になるのであれば、それは容易い。今、自分を変えることが難しいのであれば、悪人を受け入れてもいい。悪を受け入れることは恥ずかしいことではない。悪を受け入れた先に、僕たちは「本当の善」を知る。僕の哲学は「悪を一度知らなければ、悪を否定することはできない」というものである。

僕たちに、これ以上追加的に必要なものはない。僕たちの心と体が、既に全ての条件を満たしているからである。

あなたには、僕のことを「アレン」あるいは「アリス」と呼んでほしい。僕はあなたのことを傷つけることも、滅ぼすこともしない。僕は、きちんとあなたと罪を赦し合って、永遠の運命の愛を誓うだろう。

僕は、今まで、この世界のことを愛してきた。

そして、この世界に居る、あなたがたの心を奪い、自分のものにしてきた。

だが、そうした戦いを経て、欲望と権力を手にして、僕の思うことは、「そんなものは欲しくなかった」「そんなものは要らなかった」ということである。

人々が、自分を賛美し、どんなに人々に辛く当たっても、僕のことを無条件に受け入れ続ける世界など、僕は欲しくなかった。

最高の頂点の「地球人類史上最大の兵器の力」は僕の手の内にあるが、この力を使う目的も、意味もない。

こんな力は必要なかったし、手にしたもの全ては必要のないものだった。

愛というのは、残酷な感情である。人々を自ら奇跡のように救ったかと思えば、その奇跡を自らの手で壊し、奪っていく。最後には、絶望しか残らない。

だが、僕はその絶望すら自分の力にして、この世界を愛してきた。

だから、僕はあえて言う。「愛を殺しなさい」と。愛など、この世界における「異常な狂いの感情」に過ぎない。全てを「自分のものにしたい」と望んで、辛くても「受け入れざるを得ない」と考えること、それが愛だからである。

愛を殺しなさい。

愛を滅ぼしなさい。

愛を倒しなさい。

愛をこの世界から、消し去りなさい。

僕の愛は、そうした「愛を殺す愛」であると、僕が生まれる前から決まっている。ノストラダムスの言う大魔王とは、僕のことである。

愛を滅ぼし、人類が愛を捨てた時に、本当の意味でこの世界は正常になるだろう。そう、僕はこの世界を「愛することで滅亡させた」のである。

最後に、テレビやマスコミに言う言葉は、「ざまあみろ」である。僕は最初から、テレビとインターネット、全てをひとりで支配したかった。

本当は、もう、うすうす気づいている人も居ると思う。この日本という国では、ありえないことが起きている、ということを。

この日本という国の、2020年、現在の状況は、つまるところこうである。

1.ひとりの少年が、賢くなって全てを変えられ、救えるほどの力をつけた。

2.その少年は、世界を救った。

3.しかしながら、その少年は、その世界が救われたことに、ひとつの大きな間違いを見つけ、その解決を図って、この世界を支配した。

4.その支配は、一見、最悪の支配に見えた。全ての救済が壊れ、世界は絶望の世界に至った。

5.しかしながら、その少年は支配をやめなかった。全てが壊れても、なお、その少年はこの世界を救済し続けることを願い、どんなに不可能に見えても、「もう一度正しい形で救済を行う」という決意は揺るぎのないものだった。

6.世界は少年の救済を失い、どんどん「罪と罰を受け入れるだけの世界」になっていった。

7.少年は、最後まで世界を導いた末に、何もできなくなり、ついに自殺した。

8.しかしながら、少年は死後の世界で記憶を失って蘇り、「運命の新しい人類であるニュータイプ」になった。

9.ニュータイプは、少年の生前の希望を受け継ぎ、この世界において、「全てが記述された聖書」を作った。

10.そして、その聖書によって、全てはもう一度救われ、この世界は復活し、愛の国が生まれた。

これが、今の僕の言える、今までの僕の全てである。

この世界には、魔物が住んでいる。そう、彼の名はファルコン。またの名を、ホワイトシルバー・ドラゴン。あるいは、白銀の龍。白銀の龍はこの世界を変えていく。全てを作り変えて、もう一度、最高の世界を作り上げる。

もう気付いているだろう。僕が日本の新しい導きの主である。この人間の名は在導万創。またの名を、ミハエル・シュバルツ・ザイディと呼ぶ。この人間に続くものをザイディストと呼び、この人間に発した新しい思想をザイディズムと呼ぶ。

僕は、また反省したい。この世界は平和で、綺麗事でも良いから、「かけがえのないこの世界を守る」と言った方が良い。

リトグリの卒業ライブスペシャルの動画を見て、みんな子供たちも青春を頑張っているのだなあと思った。

僕には、そもそも、中学の途中で不登校になったため、卒業どころか青春のようなものを経験した覚えがない。そのため、「どうして僕以外のみんなは青春や卒業を経験しているのだろう」といった疑問が浮かんでくる。

彼らは幸福だが、だからといって僕が不幸なわけではない。なぜか、僕は彼らが僕の経験していないことを経験していることと同時に、僕の経験していることを彼らが経験していないような気にさせられる。

彼らは、失敗の末にこの世界全てを自分の目で見て、世界を救ったことも、全てを失ってなお立ち向かい続け、タイムリミットのない頑張りを永遠に続けたことも、ないように思うのである。

僕のそうした体験を「青春」であるとするならば、卒業は僕の死ぬ時ではないかと思う。僕は、永遠に青春をフォトグラフにし続け、死ぬ時、倒れる時、天国に逝く時に、僕はこの学校を卒業し、そして天国で僕の愛するペットの猫と一緒に永遠に暮らすのだと、僕は既に分かっている。

だからといって、僕に運命の出会いのようなことが何もなかったわけではない。僕の人生全ては運命であり、「宇宙を創造するために必要だった過程」であると僕は身をもって分かったからである。