新・日記2に戻る | 2020年3月の日記に戻る

=2020-03-19=

僕は、これ以上、もう何も望まない。

環境に適応するためには、精神を治そうとしないこと。精神を治そうとすると、新しい精神を育て、維持することができなくなる。精神を治すのをもうやめるのであれば、環境に適応できて、精神には根が生える。ようやく、頭の意識や感情もそれで賢くなって楽になる。

僕は、昔意識的な反応を考えて、「反応から人格の形成」を考えていたが、これは親の影響がある。親が賢すぎて、人格がおかしいため、それを克服するために人格の反応を考えていた。結果、「あらゆる全員を包括する」かのような「人格解明と融和の心理学」を自分だけで作っていた。社会の自由化や支配も、同じように「決定し直すこと」から行っていた。

決して親の影響は悪くない。自分だけで自立して成長するようになった僕は、ネットでさまざまな心理学のコンテンツを読みながら、「自らの全てを克服するかのように成長」した。それで、僕はこの世界全ての哲学が分かった。それは社会的な経験と応用的な思考に根差した「環境哲学」だった。

僕は、これでもう多重人格は終わりにする。最後に、ボブとアリスになって、永遠の愛を誓う。最終的にこうなるのが統合失調症である。僕はもう、精神病を治すことをやめ、ただ、全てを受け入れる。

はっきり言って、僕にはできることは少ない。プログラミングもできないし、デザインも素人に毛が生えたレベルをやっている。

人生経験も少ない。単に引き篭もりが狂って戦っているかのようなおかしな文章を書いているだけである。

そういうわけで、まあ、何もない。僕には何の意味もなければ価値もない。死の経験を乗り越えたというのは、橋から飛び降りて自殺未遂をしたことがあるだけのことである。それによって足に障害ができて、障害者手帳を持っているから、今の作業所にお世話になることができたが、本当は単なる障害者で、こんな男とは誰も付き合わないだろうし、付き合うべきでもない。

無意味な人間だが、僕にはひとつだけできること、それは「この世界を自由にすること」がある。僕は常にこの世界を自由な世界にしている。僕たちは自由である。それ以外に何もなく、いつもの自分はそうした「自由な世界の創造」をしていただけであり、グループや集団になった上で社会がどのように生まれるか、ということ以外何も書いていない。

これでもう、僕の狂っている根元の原因は治った。

僕が引き篭もりになったのは、家族の干渉を逃れたかったからである。一度、家族から自由になりたかった。

また、虫歯はこういう風になる。虫歯は、馬鹿になっているように見えて、本当は大人になっている。虫歯を抜くと、それ以上もう何もしなくなる。こういう人間が老人に多い。普通に狂って、普通に死ぬ。そこまでをやるのが人間の宿命である。

そういうわけで、僕はそろそろやることがない。もう、死んだに等しい。

ある意味、誰かときちんとセックスすれば治るだろう。それはしない。僕は家入レオのことを陰ながら愛しているだけで、十分である。