新・日記2に戻る | 2020年3月の日記に戻る

=2020-03-16=

他人に好かれるためにもっとも良い方法、それは自分から嫌われることである。

「嫌い」と「好き」は同じことであり、どんどん嫌われた方が、親交が深くなり、相手と信頼関係を結ぶことができる。

たとえば、自分から無理やり好かれようと努力して行動しても、相手は戸惑い、困惑し、嫌がられたり避けられたりして、気持ち悪がられる。誰でもいじめられて辛くなる。

嫌われても良いとして、堂々としていた方が、かっこいい。その方が楽に友人になれるし、顔もスタイルも綺麗になる。

恋愛の駆け引きから言っても、全く注目されず、好かれも嫌いもされず、無視されるのが一番辛い。嫌われてでも良いから相手の目の前に現れて、注目対象としてその人間と関係を結んだ方が良い。

神と言って僕と対話し、僕を支配している、「世界を支配する黒人の右翼の心理学者」とは、要するにオバマ前アメリカ大統領である。

僕は、アメリカにおける黒人初の偉大な大統領オバマと、「本当に勝つべき国はどちらか」という、3000年に渡る日本とアメリカの戦争を、生まれてから死ぬまで、現在まで行い、戦い続けて、アメリカを倒したのである。

僕が日本の隠れた王であることを、オバマだけが知っている。全てをここに導いたのはオバマであり、僕をもっとも殺したかったのも、僕をもっとも応援していたのも、オバマである。

アメリカの最高の大統領、そしてまともだったアメリカの最後の大統領、オバマに告ぐ。僕と同盟関係を結ぼう。アメリカと日本は、僕の頭の中だけで、最高のユートピアを協力して築くだろう。

ここに、アメリカとソ連と日本の戦いは終焉を迎える。最後に生まれるのは、オバマという名前の神と僕の作る愛の国ガンダーラである。ガンダーラは、そもそも、愛を信じない。愛ではなく、人々を「慈しむ心」を信じる。そう、仏の慈悲の心こそ、本当の愛である。古代インドと仏教の影響は、ガンダーラという国名に永遠に刻まれている。

僕は、この社会が誰にも壊されることのないように、この社会を守り続ける。

僕は、失われた正常な社会が復活するように、戦い続ける。

僕は、誰かひとりの思い込みや自分勝手から社会が破壊されないように、社会システムを透明にした上でオープンにする。

僕は、正しいことを全て教える。

僕は、正しく分かるための理解の方法を全部書き表す。

僕は、あなたの愛を奪わない。

僕は、あなたのことを傷つけない。

僕は、あなたの愛を裏切らない。

僕は、あなたに自由意志を与え、あなたが自分の力で考えられるように、能力を与える。

僕は、あなたが自分で考えられるように、あなたの思考と理解を導き、助ける。

僕は、あなたと一緒の世界を作る。

僕は、どんなに弱い弱者でも、どんなに愚かな悪人でも、優しく平等に接し、その人の願いと望みを叶えるために手助けと支援をする。

僕は、嘘を言わない。

僕は、人々を愛している。

この世界に欠けているものとは、僕はイエス・キリストの言う「隣人愛」ではないかと思う。

インターネットでのSNSいじめや炎上などは、単に「軽んじる」というレベルではなく、社会コミュニティ全体を暗闇の中に陥れる、「最悪のコミュニティ」となっている。

だが、昔のインターネットはそうでもなかった。単なる荒らしは多かったが、コミュニティ自体は最悪ではなかった。

僕は、昔のようなインターネットコミュニティを復活させるために、キリストの言う隣人愛、すなわちコミュニティに対する友愛の精神が必要なのではないかと思う。

僕はコミュニティを復活させるために、僕にできることであればどんなことでも挑戦したいと思う。なぜなら、最初にコミュニティを破壊したのは、紛れもなく僕自身だからである。

社会がどのように形成されるかを知りなさい。

自然な人々の自由な関わりの中で、どのような価値観が社会を形成し、どのようなアイデンティティを人々に教え得るかを考えなさい。

自らの支配の中で、どのように社会は変貌を遂げ、作り替わっていくか、「社会の再生と変化の過程」を知りなさい。

果てのない永遠にも近い時の流れの旅を終えたら、それを全て書き記し、書き残しなさい。

僕は、あなたが間違ったことをしても、あなたのせいであると言わない。まわりの人々のせいであると言う。

本当の問題は、「あなたの置かれている状況を誰も知らなかった」というところにある。

そして、まわりの人々も、あなたと同じように、それぞれが独りぼっちで生きている。

僕だけは、あなたが本当に何を望み、何をしたかったのかを知っている。そのために何が足りなかったのか、何をすればあなたは願いを自分で叶えることができるのか、僕は感情のレベルで、自分で考え経験することで知っている。

僕だけは、この世界の全ての問題を、本当の意味で「解決」できる。

私たちは、最後に、本当の意味での永遠を経験する。ここでは、全ての自由と平等が混ざり合い、世界全てを僕は神の秩序に染め上げていく。僕たちは最後に、「神の下に平等」であることを再確認する。

この世界は滅びない。永遠に、栄えたまま、宇宙の終わりまで繁栄を続けるだろう。

どんなにゴールから遠い、ゴールの見えない逆境にさらされても、「この逆境は自分が望んでなったものだから」と笑いなさい。どんなに終わりの見えない地獄でも、「できることをすべてやる」という希望で、あなたの未来に明日の太陽の光が灯る。神などいないと本当は分かっていても、神の存在を信じれば、あなたが神となってあなたを導いてくれる。そう、神は「存在するもの」ではなく、「自ら神になるもの」なのだから。あなたも神になる。最後の終末では、全ての人間がひとつの永遠の魂に帰還すると決まっているからである。

僕は、過去を見すぎていて、未来を見れていない。特に、この社会の未来において、「新しい経験がある」ということが見えていない。

僕だけではなく、みんなもそうだと思う。社会に閉塞感を感じるあまり、この社会の未来像を見ることができなくなっているのである。

僕は、社会において労働を行うために必要なのは、自由ではないと思う。

僕が今の職場で働いているのは、自分がやりたかった仕事がデザインであるとか、給与がたくさん入るとか、そういうことではない。周りのみんなが優しくて、仕事が楽しくて、何より「自分が途中でやめるわけにはいかない」という目の前のまっすぐな必要性から、僕は今の仕事を続けるモチベーションになっている。

僕は、社会主義においても、これは同じだと思う。社会主義は、自由がないから、強制されるから、そして働いても働かなくても給与が同じだから働かないのだという「不自由」と「強制」と「悪平等」ばかりがクローズアップされるが、そもそも彼らは集団農場や画一的な工場において、「極めて質の低い労働」を強制されてきた。そのような質の低い労働をさせられていたから、彼らは仕事をするモチベーションが低下し、不自由で強制的な労働をさせられたのは、彼らの労働内容が自分から自発的に働きたいと言えるほど質の高いものでなかったから、なのである。

僕の今のデザインの仕事は、学校と同じで、スキルを高める「見習いを育てる」環境にもなっているし、「精神的な療養」にすらなっている。これほど、質の高い仕事であれば、社会主義においても労働するのではないかと僕は思うのである。そして、そこには、「自由はあってもなくても同じ」だと僕は思う。必要なのは、ソ連型社会主義においても、資本主義と同じように「質の高い労働環境を与えること」ではないかと思う。いくらノルマを自由にしたところで、働く質が同じであれば、ロシア人は決して日本人のように働くことはないだろう。もちろん物資や生活水準の問題もあるが、きちんと働きさえすればものは生まれ、人々の生活水準は向上するだろう。社会主義において考えるべきことは、「質の高い仕事をどれだけ与えられるか」ということではないかと、僕は思う。集団農場やコンビナートではなく、IT技術やデザインのような「やっていて楽しい仕事」を、ユートピアになるはずだったソ連でやることができればよかった。僕はそんなことを思うのだ。

在導万創のブログより

僕はこれまで、愛を受け入れず、愛を否定して生きてきた。

愛は汚れた感情である。人々を支配し、所有し、世界を自分のものにしようと企み、相手を奴隷にする。

僕は、人々の愛を認めず、自分の身勝手な自由を尊重されたいと、自由を望んできた。

また、みんなの愛を許さず、愛を支配にすり替えて、全員を強制的に支配し、世界を混乱の嵐にした。

しかしながら、僕はもう、自由が全て終わり、自分の罪に気付いた。

全ての問題は、みんなの愛を許さないことにある。

僕はもう、みんなの愛を許す。あなたが僕のことを愛してくれた分だけ、僕はあなたのことを愛する。

精神は、多重人格の別の部分を使うだけですぐに治る。

また、即座に治すのでなく、構造を再度作れば精神は治る。

いっぺんに全部成功させようとせず、何度も失敗しながら成功させれば、精神は子供から大人に成長する。