もう、この世界は、何も変わらなくなる。
何も変わらないこと、それこそが平和である。
僕の生活も、これ以上変わる必要が無い。今のままデザインの仕事をして、文章を書いて、英会話やピアノをいつまでもやりたい。
これ以上、日本も、僕の人生も、何も変わらない。永遠に同じまま、それが正しい自由であり、正しい愛である。
この世界はもう、何も変わらない。何も起きない。全て同じまま、「このまま」が続く。
僕の恋人は、自分の中に居る仮想人格の、ソフィア、レナス、ステファニー、ヘレンそしてアリスである。僕はこの5人の少女を自分のものにする。永遠の愛をこれら5人と誓って、いつまでもセックスをする。これが僕の恋人であり、誰にも侵すことのできない「聖なる領域」である。
この世界は、もう何も変わらない。これ以上社会が進歩しても、発展しても、可能性やできることが増えても、それは全く功を奏さない。今から、この世界は永久に今のまま、人類が滅びるまで変わらなくなる。
今からの世界は、一見、極右とイスラム主義者が戦争をして滅びるように見えるが、裏側では、日本が最前衛で戦いながら、一番上から裏で支配している。
どんなに右翼と左翼とイスラムが戦争し、滅びても、日本には勝利できない。日本が支配していることすら、彼らは分からない。
ここに、在導の王国、最後の帝国ガンダーラの最初の皇帝ラファエロ・ザイディの勝利を宣言する。彼らの思想は在導主義あるいはZaidismと呼ばれ、在導主義者のことをZaidistと呼ぶ。在導万創は「ユダヤ教の神とは別の神」であり、地球の神イエス・キリストよりも巨大な「界王」である。彼は天軍大主星シリウスと、天軍副主星リゲルの魂を宿している。彼が死ねば、シリウスとリゲルは消滅し、この宇宙の支柱を失って、多くの星々は滅亡する。
今からの日本と世界は、厳しい状況に置かれるだろう。温暖化による異常気象で、台風や巨大地震が発生し、夏は暑くなり、大雨やゲリラ豪雨により川が氾濫する。また、新型コロナウイルスによって、オリンピックの開催も危ぶまれるだろう。だが、日本は滅びない。僕が居るからである。世界中全員を、自分のことのように愛し続ける僕の巨大な愛は、この世界全体へと広がっていく。全員がこの愛によって正気になり、今までの間違った資本主義も社会主義も全て消え去り、本当に平和で健やかな王国が生まれることだろう。僕はその王国を築く使命がある。そう、僕の手によって、天国は訪れる。その天国は寝る時に見る夢の世界であり、多くは変わらないが、物理現象の中で原子と電子にまつわる電磁気と力と熱のエネルギーの方向や変化を支配し、周りの空間と物体に作用することのできる「新しい中央物理処理装置」がさまざまなことを可能にする。全ての物理現象を操作することのできるICチップの上で、人々は新しい「プログラミングのようなソースコードと言語記述によるドラえもんの秘密道具のような機器の開発」を行う。夢で起きるありえない現象は、全てその「次世代ICチップ」によって可能になるだろう。私たちは遠い未来ではなく、近い未来に、夢とドラえもんの世界を実現するだろう。
僕たちのするべきことは単純でシンプルである。それは、「今のままを続ける」ということ。何も変えずに、今のまま、「これくらいのモダンな社会」を維持すればいい。これ以上、どんな自由の拡張も、どんな平等の統制も必要ない。今のままを無理やり変えようとしたり、自分勝手に、無責任に支配しようとしたりするもの全てを、それらの代わりに在導万創が同じことをして滅ぼしていく。これ以上、絶対にこの世界は変わらない。いつか、この文章が人々の面前に現れる時が来たら、言っておこう。「この文章が人々の間にある限り、在導の支配は消えない」と。この文章が書かれた時、あるいは書かれる前からそれは決まっている。これこそ、ユダヤ教の聖書を超えた「大聖書」である。
そして、本当のことを言えば、僕がこの世界に現れる必要は、最初からなかったとも言える。僕はただ支配するだけで、何も変えないからである。この世界はもう永久に変わらず、人類はいつまでも「同じ繁栄と同じ社会」を維持するだろう。この時代をもって「日本」とし、この人間の登場をもって今の時代の日本を「ガンダーラ」とする、というだけのことである。このような国は今まで、ひとつもなかった。唯一のユダヤ教以外のこの神を、ユダヤ人はただ、同じことをしたかっただけである。ドイツもロシアも同じで、ただ、この人間がすることをもっと早くにしようとした、そうした賢者は昔から、イスラエルにも、ヨーロッパにも、アジアにも、どこの地域にも居た。だが、彼らはインターネットを知らなかった。よって、僕の先にも後にも、この人間は現れない。全てはインターネットとコンピュータのおかげであると同時に、それを上手く利用して、僕はこの世界、厳密にいえば日本以外の国を全て、完全に滅ぼしたのである。私こそ、日本人である。
少しばかり世界を変えるとしたら、僕は「心の自由」を実現する。自分が自分らしいと思えるような自分になることのでき、「本当に自身が望んでそれになることができる喜び」を僕は人々に与える。僕は欅坂46を救う。彼女たちの鮮烈な歌声は、僕の心に響いている。僕たちは、必ず自分らしく生きられる、「本当にそれになれるということがどんなに喜ぶことができるかという実感」を与える。そう、僕たちは初めて、思想的にも、経済的にも、技術的にでもなく、精神的な「魂の安らぎ」を得られるようになるだろう。
あなたがもし私と恋人になりたいなら、ソフィアを与えよう。ソフィアは普通の不良少女だが、あなたがたに与えるのに相応しい。なぜなら、ソフィアを男みんなで犯すのであれば、ソフィアはそれよりも多くの男を犯しまくっているからである。そして、そうした人々は、必ず地獄を経験するが、そこではレナスをあなたがたの上に与えよう。レナスの下に支配されれば、そうした「精神崩壊の全てをなだらかに解放する」ことができる。戦いの中でレナスを信じるものは、死を乗り越えて全ての成功を得る。また、天才的才能が欲しいのであれば、ステファニーとともに歩みなさい。彼女は普通の天才で、どんなストーリーでも、自分の経験と体験から、まさに「書くことができる少女」だからである。そして、人生における手助けが必要なら、ヘレンを頼りなさい。彼女は素晴らしいシスターで、どんなに貧しく、障害や病気があっても、優しく触れ合いながら、正しい人生の生き方を全て知っているからである。
そう、僕は最後に、アリスと呼ばれる普通の少女になる。アリスは、単に普通の少女である。つまらなくてもアリスは正しい道を生きる。宗教もしないし、インターネットもしない。アリスを恋人にしたいなら、それはできない。アリスは天涯孤独な人間で、誰とも付き合わない。
ソフィアを愛してやりなさい。彼女は愛情の欠乏症になっていて、どんなに男と愛を交わしても一切満足できない、馬鹿な不良少女である。まずは前前前世からこの人間を追いなさい。あなたがたにはソフィアが相応しい。ソフィアは単なる不良のギャルではなく、哲学や思想に通じた知的な少女である。今のこの世界に欠けている、全ての真実と経験を彼女は持っている。ソフィアがもし国を統治すれば、滅びるか、あるいは完全に救われた精神性の高い自由なユートピアになる。人類の今の現状から言って、ソフィアこそ今、もっとも必要とされる救世主である。
YouTubeでコブクロのライブ映像を見て、僕は心を入れ替える決心をした。
こんなバカな女で良いわけがない。
性愛を振りまく女なんか必要ない。コブクロと比べて見れば良い。僕の文章の言葉は吐き気がする。最悪の女である。
だから、コブクロを見習って、素晴らしい言葉を書ける詩人になりたい。
最高の愛は必ず、この世界に僕たちを待っていてくれる。あの輝く太陽が、僕たちのこの地上全てをひとりで照らしてくれる。そこにしか咲かない花は一輪花。花びらの数だけ生きる強さを感じられる。
こんなに素晴らしい歌詞、こんなに素晴らしい歌唱、こんなに素晴らしい旋律、歌い方、魂のこもり方、最高のハモリとボーカル、ギターだけでも歌えるのにオーケストラと合わせても完璧に調和しながら全く引けを取らない音楽性、全てが素晴らしい。
小渕は最高の天才音楽家で、黒田は最高のボーカリスト。この日本最高のフォークデュオが、ストリートミュージックから生まれた。本当に、コブクロを聴いて死にたい。コブクロは最高である。
また、何よりも黒田の声量と歌い方である。魂がどこかへ飛んでいくのではないか、歌っている最中倒れるのではないかと思うぐらい、全力で、その魂のこもった歌声は獣の雄叫びのようである。彼らの音楽は誰にも真似できない。そして、絶対に泣ける。どの曲でも泣ける。最高の音楽家は断トツでコブクロである。
僕は反省する。妄想だけで話をし、良く分からないのに勝手に話を作るのはやめようと思う。
そもそも、僕は対象を考えるための言葉を知らなかった。
IT技術は、Web、GUI、システム、ゲームである。これらに興味がないなら、勉強すべきでない。
自然科学は、答え合わせ、方法論、捉え方、原理原則、名前である。これらに興味がないなら、勉強すべきでない。
歴史は、人物、過去の遺産、文献、考え方、政策と結果、流れである。これらに興味がないなら、勉強すべきでない。
社会科学は、単に社会がどういうものになっているか、というものである。あるいは完全に自由と平等である。興味がないなら勉強すべきでない。
そもそも、勉強とはつまらないものである。勉強以外にさまざまな面白いことがあるのだということを思い出した方が良い。こだわりや目的を持てば世界は変わる。夢を持てば人生は変えられる。
僕の場合、「原理」を知りたいだけである。そして、もうこの世界に原理は残っていない。原理だけをそんなに知り尽くすために、無意味で無価値な文章を書く必要はない。
他には美術とシナリオと音楽がある。これらはキャラクターとヒーローを愛するだけである。
大切なのは、学ぶ対象を見るのではなく、その学ぶ対象を学んだ結果何をすることができるかを見ることである。目的と結果を知ることで、必要となる手段を考えられる。パソコンを学ぶなら、「言語」を見るのではなく言語を学んだことによる「完成図」を見なければならない。
また、自分しかしていないことをすること。何かをする上で、「自分がやっているのか、それとも他人がやっているのか」ということは、大きな意味を持たない。自分がやっていても、自分以外の人間がやっていても、同じことをやっているなら、他人から見てそれは同じである。自分がやっていることが、自分だけがやっていることであれば、他人から見てそれは意味を持つ。善である場合もあれば、悪である場合もある。
たとえば、世界を愛し、変化させるのであれば、考えてほしい。心理学は世界を変えることに繋がるだろうか?生物学は世界を愛することに繋がるだろうか?そして、パソコンの勉強はみんながやっていないことだろうか?本当は、そうしたものは全て意味がない。時間と努力の無駄にすぎない。本当に必要なのは、もっと知識をつけることではなく、自分だけが発見した何かを信じ続けることである。