新・日記2に戻る | 2020年3月の日記に戻る

=2020-03-04=

あまりに突飛なことばかり書いているので、もうまともなことを書きたいと思う。

あなたは、愛されるべきである。

この世界に居る全員は、愛される権利がある。愛されなければならない大切な存在であり、傷つけるものは間違っていることをしている。

人々は、現代人も原始人も同じである。原始人が行動するのと同じように、周りの雰囲気や空気に流されて、現代人も「雰囲気」で行動している。

間違った「傷つける」という発想に至るのは、その場の状況や空気によって、「傷つけてもいいのではないか」という誤った「子供心の反抗心」から生まれるものであり、「傷つけられるものには罪はない」のと同じように、「傷つける人間にも罪はない」。

なぜなら、本当に経験し、成熟した大人であれば、傷つけるよりももっと別の「正しい解決策」があることを知っている。「力を奪わず、自由を奪わない方法で、みんなで健やかな社会と環境を作る正しい方法」を大人は知っている。

子供は、それを経験から学ばなければならない。そのためには、同じ環境や状況に慣れきってしまうのではなく、別の環境があることを知って、「こんな世界があったのだ」ということを知り、その上で、今までの自分が「本当はどのように行動すればよかったのか」が分かる。

人々を、特にあなたを傷つけるものを、僕は許さない。

それは、「許さない」という「強い否定の気持ち」が、あなたを守り、愛することに繋がるからである。

あなたは愛されるべきであり、この世界の全員はあなたと同じように愛されるべきである。

世界を変えるためには、誰かが愛さなければならない。よって、僕は愛するのである。

愛する経験を積み重ねることで、「人を愛するためのすべ」を人間は学ぶことができる。そこで言えるのは、「単に愛されるということよりも、それぞれに自由と力を与えることが大切」という「エンパワーメント」の原則である。不自由な愛がもしあったとして、それが愛される人のためになるかというと、そうでないこともある。愛の前提条件は自由である。自由がなければ、正しい愛は生まれない。力を行使するもっとも基本的な行動原則は、「自分の力を相手にも与える」ことである。

世界を無理やり変えようとするな。自分のやりたいこと、思ったことをまず相手に伝えるところから始めなさい。多くの問題が、そうした「伝達不足」から生まれている。コミュニケーション不足は、不自由な愛へとつながる。

支配するな。傷つけるな。殺すな。レイプするな。そういう全ての「犯罪的自由」には、地獄に堕ちるべき「本当に間違っているとされる理由」がある。そして、その本当に間違っている理由を知らずしてその間違いを犯している人間は、普通分かることが分からなくなる。間違いは行為からではなく、「知らないこと」や「気付かないこと」から生まれている。

また、セックスには何ら良い点がひとつもない。終わらない恐怖と苦しみと狂いと辛さを生む。どんなに怖くても、それに耐えるしかない状況が生まれるのは、ほとんどがセックスのせいである。そうしたもの全てを排除して、ピュアな気持ちで考えなければ、どんな狂いや精神異常も治らない。

全ての経験や絆を大切にして、自分の今やっていること全てに誇りを持ちなさい。そこから、自分の力で世界を変えられるようになる。習熟すること、振り返ることから「体得的反省」が生まれ、どのようにすればどのようになるのか、人がなぜそうした間違いを犯すのか、正しいやり方とは何であるのかが経験的に分かってくる。これが、「子供が大人になる」ということである。人々は、なぜそれをするのか、本当は何をすべきなのかを、経験的に分かろうとし、想定し、分析し、把握し、改善し、自らの「力」を「世界全体」へと昇華させていきなさい。最終的に、「地球の全てを作り変える」ことができるようになる。自己啓発は、社会全体に対する「啓蒙」の力となり、それは宗教のような「善悪の判断基準」を生んで、「善良なる哲人の権力者」を生み出すだろう。そこには、「全ての戦争と争いを終わらせる戦い」があり、「全ての矛盾を矛盾なく書き記した聖書」が生まれるだろう。自分の人生の時は「自らが世界に宣言した通りの永遠」になり、世界全ての時は「もっとも正しい自由な愛の状態で停止する」だろう。