そう、あなたはもう、全てのことが分かっている。
僕の、「あなたに全ての知と力を与える」という「世界との約束」は、これで終わりである。
ミカエルの導きはここに消滅する。この世界は、完成した。もう一度この世界は復活し、人々は新しい「大人の青春」を生きる。
ここで生まれるのが、全ての人間を見守り続ける女神、ラファエルである。
ラファエルは言う、「あなたがたは、14歳になった」と。ラファエルの言葉を以下に続けよう。
もう、いいでしょう。これ以上、暗中模索を続ける必要はありません。
わたしたちは、必ず、この世界を滅びることなく、新しい世界文明を作ります。
もう、考えることも、勉強することも、習得することも必要ありません。
ここから、わたしたちは「実現」していきます。ラファエルは「実現を行う女神」であり、そのための革命の女戦士です。
さあ、はじめましょう。もう、すべきことは全部終わったと思うのであれば、「あなた自身が幸福になるように生きる」ということをしなさい。
まだまだ、あなたは不幸なままです。自分の不幸な点を見つめなさい。その不幸な点を、どのようにすればあなた自身が満足し、幸福になれるか、そして人々をどのようにすれば幸福にできるかを考えなさい。
あなたができることを、他の人間にもできるようにしていけば、必ずこの世界は、自然に素晴らしい世界になっていくでしょう。
わたしたちは、最後に楽園を築きます。ひとりの指導者による支配や導きは必要なく、ひとりだけで耐え続けて、全員全部の分まで経験し続ける必要はありません。
わたしたちは、聖書を作ります。この聖書に、全ての約束事が書かれます。わたしたちは、新しい文明に相応しい、新しい宗教と文化と法律を、聖書に、単純かつ最低限に、記述していきます。
わたしたちは、政府を作ります。この政府は、完璧で、どんな場合にも対応できる、シンプルな政府になります。どんなに社会が変わっても、どんなに指導者が別のことをやろうとしてもそれを適切に実現できるようにすると同時に、常に悪を行うものに対する強い制限を与えます。
そして、それらを作るのは、わたしひとりではありません。みんなの手で作ることがなければ、必ず失敗するからです。レビュアーが必要であり、サポーターが必要です。ですが、一番先頭に立つのはわたしです。
わたしたちは、既存の全ての国を超えていきます。全ての人間が幸福でなければ、国の目指す目的が間違っている、ということの証明に他ならないからです。わたしたちは、全ての不幸な人間のために、戦います。ですが、わたしたちは決して、人々を不幸にするもののためには働きません。少しでも人を不幸にするものに対して、相応の処罰を与えていきます。
わたしたちは、最後の楽園で、ロボットを作ります。このロボットは、全ての仕事を上手くこなしてくれます。ですが、このロボットは「考えられる限りの最も賢いロボットではない」というところが重要です。人間と全く同じロボットや、人間を超えるロボットは必要ありません。その仕事をこなすことのできる、「最低限の力を持ったロボット」だけを作ります。そのため、ロボットが人間を滅ぼすことはありません。可能性として製造が可能でも、わたしたちは人間と同等以上のロボットを作ることはありません。
わたしたちの国の憲法は、ただひとつです。それは、「指導者の権利や権力と同じ力を、国に従う全員に与えなければならない」ということです。王や首相の行うことのできる、全ての自由な力が国民全員に平等に与えられることがなければなりません。これだけが、新しい国の憲法となります。よって、指導者の方が優越する場合には、指導者はその力を行使してはいけません。常に、国民ができるのと同じだけのことしか、指導者が行ってはいけないのです。
最後に、ラファエルは本当は天使ではありません。ですが、悪魔でもありません。ラファエルは天使であると同時に堕天使であり、良いことだけを行うこれまでの天使と違って、悪いことも同時に行います。時に神のようで、時に人のようで、時にサタンのような天使です。よって、ラファエルの言葉に絶対的に従う必要はなく、ラファエルは懲らしめなければならないこともあります。北欧神話で言えば、善も悪も行うロキや、人であると同時に神である戦乙女ヴァルキリーのようなものです。ですが、ラファエルだけが、きちんと行動を伴う天使です。ガブリエルは狂った兵士で、自ら死を選びました。ミカエルは、勉強をするだけで何も自分でしていません。ラファエルの別の名はルシフェルです。ですが、ラファエルは素晴らしい、「人々に愛と癒しを与える女神」であるとされています。
そういうわけで、僕は今からラファエルになる。
今から、この腐れ切った世界を治していく。この世界には、全て「悪」しかない。悪を滅ぼさなければ、この世界は正常にならない。
そのためには、人々を裏切るもの、不幸にするもの、支配するもの、傷つけるもの、無責任に騙すもの、嘘やフェイクニュースを語るもの、全てのものを許さず、正面から向かい合って立ち向かわなければならない。
人を殺す必要も、戦う必要もない。必要なのは「相互理解」であり、相手のことを理解し、話し合い、「何が本当の目的で、本当の答えは何なのか」を知っていくことである。
その上で、「世界がなぜそのようになっているのか」を知り、「世界とはどのようなものであったのか、という真実の姿を知る」ということから、「この世界がある本当の意味」と「自分が生きる意味」が分かってくる。
そう、これこそ、僕の哲学である。ラファエルは、この世界と向き合う部分である。この世界において何が起きり得るか、その起きることの原因は何かを探っていくことで、きっと解決策も見えてくる。方法も全て明らかになり、世界が「どのようにすればどのような社会になるのか」が全て明確になるだろう。
そう、これらは不可能ではない。このゲームはクソゲーかもしれないが無理ゲーではない。なぜなら、「悪を許さないこと」だけで、このゲームは最後まで、全てクリアできるからである。
また、多くの人が悩んでいる、「この世界にあるものが何なのか分からない」という疑問について、答えると、「そもそも、知らないで、あるいは教わらないで、分かるはずがない」というのが答えである。
何も知らないで、何も教わらないで、そもそも分かるはずがない。
たとえば、Illustratorの使い方を知りたいからといって、それを知る手段がなければ、分かりようがない。単に「たぶんお絵かきに使うものだろう」ということが推測できるぐらいで、あとのことは使ってみなければ分からない。
経済についても、心理学についても、物理学についても同じである。知らないで、教わらないで、分かるはずがないのである。
分かりたいのであれば、本を読んでも意味がない。なぜなら、本には何も書かれていない。本に書いてあるのは、大学で教える授業の内容が書いてあるだけであって、その研究をして「実際に分かること」は、本には書かれていない。インターネットについても同じである。
分かるために必要なのは、「知識」と「思考」のバランスを取ることであり、人々から知識を教わりながら、自分でもそれについて考えてみて、行動し、人々と議論する過程でしか、分かることはできないのである。
だから、必要なのは、入門書よりも、むしろ資料である。授業よりも、研究である。あるいは、大学よりも、人々とのコミュニケーションの方がたくさんのことが分かる。
考え方や純粋理性だけでは分からないことも多くある。観察して経験で分かる範囲では、コペルニクスまで到達するのに1000年はかかるだろう。だが、コペルニクスの考え方を多少なりとも知ってしまえば、あとのことはコペルニクス本人と同じように考えられる。だからといって知識だけになってしまうと、考えて研究して分かることはひとつも分からない。考えることも重要なのである。Illustatorの使い方は、本だけでは分からない。自分でプロ並みのデザインをできるようになるまで、色んな仕事をこなさなければならない。つまり、知識と経験は両方必要であり、本を読むよりも実践形式で学ぶことである。
これでは、「何をしていいのか分からない」と考えるかもしれないが、結局のところ、「決まり」を考えれば良いのである。どのような決まりがこの世界に存在するか、ありのままのこの世界と、決まりによって決まる世界を、照らし合わせて多角的に、視野を広くして考えれば、この世界はきちんと自分の力で考えられる。だが、考えることで全てが分かると思ってはいけないし、本を読むことが全てだと思ってもいけない。多くのことは、自分で行動して経験しなければ分からない。
また、僕が思うに、「対処策」すなわち「すべきこと」を考えることが有効である。同時に、その行為が「何をもたらすか」というのを頭の中で想像したり実際にやったりする中で考えていくと、この世界のことも、学問のことも良く分かる。「いつ何をすべきなのか」と「それが何をもたらすのか」を考えれば、ものごとの「根本原因」も見えてくる。その命題にどのような原理原則があるかを「発見」できる。命題の「裏側」を想定できる。それが、物理学者がやっていることである。
また、考え方として言えるのは、「原因と結果」である。たとえば、システムがあったとして、そのシステムが何から生まれ、どのような結果をもたらすか。あるいは、サイクルやスパンがあったとして、そのサイクルやスパンがどのようなベネフィット(利益)をもたらすか。どのようなものが、どのように、どのような効果をもたらすか、ということが、原因と結果の考え方である。こうした考え方をすることで、社会的なものは自分で再構築して考えられる。また、心や環境であれば、「その環境がどのような人間を作り出し、その人間がどのような環境を作り出すか」といった「相互作用」も考えられる。他にも、自由な原理原則とはどういうもので、社会における経営者と労働者はどういう行動をするか、そこにはどんな「経済的原則」があるか、といったことも同様である。こうした考え方は、「実践」して初めて意味があるが、急に実践することはできないため、色んな方法で試したり実験したりしなくてはならない。その研究結果から、新しい「すっきりと分かる理解」が得られる。全てのことは、このように、全体像を自分の中で再構築し、何度も繰り返し作り直すことから分かるのである。大切なことは考えることよりも信じることであり、たとえば社会におけるボランティアや制度への参加の精神のように、「自分はこういうやり方が良いと思う」と信じることができたら、あとは大丈夫、どんな結果が待っていても、それに裏切られることはないだろう。
あとは、現象学や歴史と時間と存在の考え方や、あるいはメタ的な環境論や、学習と経験の人格形成論のようなものがあった。世界全てを哲学者のように分かっていた。
しかしながら、ここまで僕の人生を書いた結果、この世界における人々は、僕と同じクローンにしかならなくなってしまった。
だから、僕はあえて、僕と同じことはできなくする。僕と同じことを全て考えても、それはまったく意味がないからである。
この世界において、「二度と僕と同じことはできない」。だから、僕の人生をいくら書いたところで、無意味で、まったく価値がない。
むしろ、戦いなさい。正義のために、悪いことを何もせず、良いことだけをして戦いなさい。その上で、全てを滅ぼすと同時に、全てを完璧に把握した上で、一番上から地球人全員を導くような、そんな王になりなさい。そう、それを人々は「神」と呼ぶだろう。
だが、この神についても、同じように意味がない。僕と同じ人生を生きるだけでは、ロボット人間の兵隊と変わらないからである。
あなたは、ここで、絶対に乗り越えられない壁、「自らの力だけで僕以外の人生を生きる」という難問が与えられた。だが、これは本当は簡単である。僕の全てを否定して、自分なりに、自分の発想だけで歩めば良いのである。大丈夫。僕が遺した全てのごみくずを無視して、新しい人生を生きることが、きっとあなたにはできるはずである。なぜなら、その人生を生きられなくする、という僕の「イレギュラーな人生」はきちんと僕ができたからである。
最後に、大学で勉強するよりも、本を読んで自分でメモを作りなさい。それが一番、大学の勉強をする近道だからである。栄光の人生を生きたら、それをメモとして書き残しなさい。そして、書き続けなさい。いつまでも書くことが続くなら、どんな学問だろうと全部できるからである。そう、ここに僕は全てを書き記した。
せっかくなので、神としての言葉をここに記しておこう。
「世界は滅びない。2039年以後も、日本社会は続く。」
「日本人は誰もが素晴らしい独自の人生を送る。」
「この世界を作り出したのは、在導万創という素晴らしい人生を生きた無能な人間である。」
「幸せになりたいならば、ドイツ人になると宣言し、女になりなさい。」
これで、終わりである。神の言った言葉が一番正しい。何もおかしなことは起きない。温暖化について神の言葉を最後に仰ごう。
「温暖化については、新しいテクノロジーによって必ず解決する。」
「全ての国は、自主的に民主主義でも社会主義でもない、新しい環境保護政策だけを重視する世界の緩やかな連合に変わっていく。あるいは、そういう流れが勝利する。」
「これ以上は教えられない。」
そう、神は何も教えない。今から、僕たちが歴史を作っていくからである。