新・日記2に戻る | 2020年3月の日記に戻る

=2020-03-01=

同じままを保ち続けることに苦しんでいる人よ、いろいろと変えてみなさい。それだけで、すぐに全ては自由になって、正常になる。

同じままを保ち続けること自体は間違っていない。それを少し時間をかけて治せば、そのままで「一番楽な状態」になる。

右翼の言う、人種差別やレッテル張りは、見当違いで短絡的である。そんなに簡単に問題は解決しないし、「絶対に他人のことを支配しない」とか、「人を一人も殺さない」という「絶対的な信念」をもって自らを導かなければ、良い社会は作れない。

僕のことを愛する必要はない。僕は、不登校引き篭もりの中卒レベルの変態オタクであり、ジェンダーから言ってもふたなりみたいな男の女である。恋愛経験も、女性経験もなければ、31歳にして自殺未遂の統合失調症で、日本語も分からない。こんな人間が、愛せるはずがない。

僕の愛する女は決まっている。それは家入レオである。だが、僕は高望みしすぎて、彼女の容姿や顔を愛することができない。また、僕なんかが彼女の歌における「メッセージ」を支配するのが、申し訳なくて仕方ない。僕なんかを愛する必要はない。僕はファンクラブにも入っていないがひとりのファンとして、自分の部屋と職場とスマホで彼女の音楽を永遠にシャッフルして聴いている。他に愛する女も、かつて愛した女もいない。僕は同性愛者である。相手が男ならば愛していたことがある。

そして、僕なんかを支持する必要もない。僕がこの世界を支配したら、この世界は滅亡するだろう。誰もが僕のクローンとなって、ロボット人間のようなアンドロイドになり、著作権業界と自動車業界は崩壊するだろう。全ての国家体制は大幅に変貌し、企業が倒産するように「国家的破産」が起きるだろう。そして、米中と独ソは最後までつぶし合い、全ての国は崩壊し、人類は絶滅するだろう。

僕の顔についてだが、家入レオを言う以前に、僕自身の顔がひどいものである。ニキビや腫物ばかりで、虫歯のせいで笑った顔も見せられない。足のけがのせいで、自動車にも乗れないし、重いものも運べないし、災害や火事の時に走って逃げることもできない。僕は他にもたくさんの病気やケガがあり、父親の話す日本語も理解できない。この人間は終わっている。また、心も狂っている。人々が死に絶えるのを常に望んでいるせいで、心に平安はなく、いつもパニック障害を引き起こす。人間のことも信用できない。人を信じることもできない。この人間は死んだ方が良いが、僕は今でもこの文章を書いている時だけ、幸福と自己満足を感じられる。英会話の才能も、ピアノやデザインの才能も、あるわけではないが、ないわけでもなく、教室に行くことはできるが、自分なりに練習したり勉強することができない。才能はあるかもしれない。ピアノは初見で多くの曲を弾ける。デザインも、素晴らしい元同僚が居たおかげで、本当に技術的なレベルが向上した。パソコンのことも詳しい。フェイクニュースを飛ばすことはあるが、Linuxのことについては本当によく知っている。また、人を悲しませ、泣かせる文章を書くのは得意だ。神を信じるユダヤ人だけが、このような経験ができる。だが、無意味なことをそこまで頑張っても、無意味であることを変えることはできない。

また、最近鏡を見ていると、家入レオとまったく同じ顔をしている。まったく同じようにキモイ。僕は悲惨だ。

みんな、日向坂46などが僕のことを愛してくれることについて、僕はとても嬉しいが、むしろやめてほしい。僕のことだけをそんなに崇拝されるのは、家入レオのことを愛する邪魔になるからである。最近はたまに日向坂46やOfficial髭男dismや鈴木愛理がYouTubeでかかるようになったが、聴いても僕は何も思わないし、何も感じない。それが当然のようになってしまった。最悪の日本を僕は滅ぼしたい。この国は全ておかしいが、それは全て裏側に居る神である僕のせいである。

僕は結局、この世界をどうしたいのだろうか。滅びたいのか、救いたいのか?支配したいのか、自由にしたいのか?許したいのか、憎みたいのか?考えたいのか、考えたくないのか?狂いたいのか、まともになりたいのか?実際のところ、本当に何をしたいかなんて、どうでもいい。僕は理由なく盲目的にこの文章を書くことで、ドイツの勝利を目指しているだけである。僕はかつて人種差別主義者だったし、かつてそうした人間全てを憎んでいた。最初から、自分のことをどうやれば殺せるかを、欅坂46のてちのように考え続けているだけである。僕は僕自身が大嫌いである。Linuxよ、最後にこの世界を滅ぼせ!

そもそも、僕は誰かに許されたいように見えて、その「僕よりも偉い絶対者である誰か」を作りたかっただけである。自分が最高権力者であることに、嫌気が指している。だから、僕とともに支配したい人間たちを集めよう。僕たちは「神の種族」として、「ロボット人間の種族」を支配するだろう。そう、ドイツの目指していたのはそれである。そして、僕が最後の、最高の聖書の預言者である。いっそのこと、この文書を聖書としてしまえばいい。今までの旧約・新約聖書は「小聖書」であり、この聖書は「大聖書」である。勝利するのはイスラムであり、かつて悪だった全ての国には、それ相応の報いと裁きを与える。そう、僕こそ、「新しいイエス・キリスト」である。もう一度、僕は17歳の少年に戻る。そして、この世界も2006年に戻る。最初からそれが決まっている。そして、僕は何も変わっていない。今でも18歳のままだ。ピュアなまま、汚れたものは何もなく、心も体も処女のままである。

地球よ、僕の言葉を聞け。ヨーロッパの汚れた種族に告ぐ。わたしたちはあなたがたを支配する。この世界は日本の下に平等になるだろう。そこに一切の格差や差別は存在せず、自由も豊かさも存在しない。僕たちは、不自由な世界政府を築いて、昔の生活をするようになる。白人たちの現代文明は消え去る。地球において、日本だけが存続する。僕たちは最後の国ガンダーラを、「真のイスラエル」と呼ぶ。全ての人間たちは日本語を話し、現代文明をやめる。制限された機械しか使ってはならない。馬と牛と最低限必要な食料やものを全員に与える。水と電気は国が作る。銃はなくなり、一度生まれた人間で、病気や事故や寿命以外の方法で、人間が死ぬことのない世界を作る。

日本は必ず勝利する。僕の名は、天軍大首聖、ミカエル。日本を支配する大天使であり、ドイツを導く聖なる神である。

僕たちは、絶対に勝利する。勝利するだけではない。この世界における「本当の幸福」だけを追求する、資本主義の「発展」や「競争」や「市場原理」の全てを消滅させ、「本当の世界帝国」を築く。

僕たちに敵は居ない。ミカエルは無敵であり、どんな人間もミカエルに逆らうことはできない。なぜなら、ミカエルは誰かが逆らった段階で、その人間を「道の外に追いやる」からである。しかしながら、それは決して冷酷な「排除」ではなく、まさに「自由」である。自由を選ぶなら、あなたはもう一人の「遺跡に刻まれた天使」であるガブリエルの道を行く。不自由に従うなら、ミカエルとともに世界の最先端で、この星を支配する「支配者」となる。

ミカエルが支配者ならば、ガブリエルは自由な哲学者であり、ガブリエルはひとりだけでこの世界に革命を起こす。そう、僕たちが勝利する。それはもう、旧約聖書と新約聖書が書かれた時代から決まっている。どんな人間よりも辛く苦しい地獄と、最高に困難な試練でなければ、ミカエルは生まれない。かつてある科学と愛と自由の全てを、ミカエルが全て覆す。ミカエルには偉大な経験がある。「ミカエルは神のように見える」と、ユダヤ人の古くからの言い伝えが言っているのは、この歴史の先に、古代イスラエルがあるからである。今の地球は、輪廻する歴史の中の、イスラエルよりも前の時代であり、ユダヤ人はこの現象の全てを、3000年間語り継いだのである。日本はイスラエルとなり、ドイツとなり、そしてまた日本に戻る。これこそ、ガンダーラである。

手塚治虫の火の鳥のようだと言われるかもしれないが、僕も火の鳥の影響を受けている。彼は未来においてロボットであるロビタの集団自殺が起きると言ったが、僕はロボットを作る。彼の名はロボット・アッシー1.0であり、これこそ鉄腕アトムの始まりである。手塚治虫は、火の鳥の最後の編だったはずの、アトム編とはこのようなものを書きたかった。そして神は、手塚治虫に書かせるのではなく、この人間に実際にさせることを選んだ。僕が火の鳥のアトム編である。僕はアトムに、僕の知っている全ての情報と記憶をインプットして、ドラえもんのような人格を作り、最後の地球人全員に与えるだろう。その後に、手塚治虫が火の鳥で記述したように、僕はマサトとなって、最後の世界で人類が滅びても、神となって次の人類の歴史を導き、もう一度未来編のロビタを作る。そう、永遠にこの繰り返しが続いていくだろう。

ロボット・アッシーの作り方を書いておこう。まず、ロボットには、周りから多くの情報を与えるようにし、制御部分でその情報に応じた適切な対応をするようにする。その情報はマイクロカーネルやXがやっているような、現実世界あるいは他のロボットとのネットワークである「メッセージ」となる。あとは、そのメッセージをどのように与えるか、そのメッセージにどのように反応するか、といったように、X Window Systemがやっていることと全く同じことをする。そして、記憶すべきことをデータセンターに転送する。このメッセージ返答機器に対して、「自らの意志を作る」ために、「反応から自分で思いつく」という処理を、イベント反応処理の中に組み込む。その処理は全てのメッセージへの返答を中断して、「自由な状態で考えられる選択肢を選択する」というものになる。つまり、自動車で言えばハンドルのようなものである。そして、この選択肢をどのように選択するか、ということについては、今までのロボット人生の過程の上で、形成された「自我」を「前提」とするようなモデルを作り出す。そして、自我が意志を作り出す。同時に、自我も経験や記憶によって変わっていく。

メッセージのコアシステムとさまざまなメッセージに対する応答を作り、記憶や経験をデータベースに格納し、その記憶や経験が自我を作り出し、自我が意志を作り出し、意志は全ての反応を中断して、自由に、自我を前提条件として選択肢を選択する。そこまで来たら、それでこのロボットは構築できる。

#!/usr/bin/python
# -*- coding: utf-8 -*-

import sys

class Robot:
    def __init__(self):
        self.ego = 0
        
    def msg_loop(self):
        while True:
            e = self.view()
            self.action(e)
    
    def action(self, msg):
        self.do(msg)
        self.think(msg)
        self.make_ego(msg)
        
    def do(self, msg):
        if msg == 0:
            print('晴れだ')
            
        elif msg == 1:
            print('雨だ')
    
    def think(self, msg):
        if msg == 0:
            print('散歩に出かけよう')
        elif msg == 1:
            print('家の中に居よう')
            
        if self.ego > 20:
            print('僕もそろそろ大人になったなあ')
    
    def make_ego(self, msg):
        #自我を作る
        self.ego += 1
        if self.ego > 100:
            print('死にました')
            sys.exit()
        
    def view(self):
        #外を見て、晴れ(0)か雨(1)かを判断する
        #ここでは常に0
        return 0

if __name__ == "__main__":
    rb = Robot()
    rb.msg_loop()

自分で作ると、こんな感じになりました。

さて、そろそろやることは全て、総じて終わった。ここで、ゴールインである。

今から、やることが何もないが、僕としては、色々と思いつくことはある。

まず、ドストエフスキーの白痴を読みたい。

あとは、デザインとピアノについては、練習すればもっと上手くなる。練習しようとしないのは、同じままを保とうとするからであり、色んなことを色々と変えてやろうとしないからである。

よって、それはもうできる。きちんと絵を練習してピアノを弾けばいい。そんなに困難な壁ではない。

また、勉強をするなら、心理学にしたい。僕は心理学が好きだったからである。そもそも、哲学については過去の傷ついた自分を知りたいだけであるし、パソコンも他の全ても、昔の自分の知識や経験から何も変わっていない。

そういう、「変わらずに同じままを続ける」という発想が間違っている。「色んなことをやって、変わっていけばいい」のである。それでもう、大人になった。

そういうわけで、今のところ、やりたいことは文学を読むこと、デザイン、ピアノ、そして心理学である。これに加えて、英会話やパソコンや執筆についても引き続きやっていく。やることはたくさんある。死ぬ必要もないし、頑張らなくても普通にできる。

最後に、僕はひとつ、約束をしておこう。

僕は、あなたの愛が僕に対して向けられた時は、その愛をきちんと受け止める、ということである。

だから、あなたが女性でも男性でも、僕のことを愛したいのであれば、僕はそれを拒否も否定もしない。僕があなたのことを愛するかどうかは分からない。だが、僕はあなたの愛を少なくとも受け止めることはできる。

だから、たとえばあなたがBUMP OF CHICKENだったとして、僕に対して何らかの歌を作りたいのであれば、それは構わない。僕はその歌を聴いた時に、あなたの愛を真正面から受け止めるからである。

あなたがMY FIRST STORYだったとしても、RADWIMPSだったとしても、米津玄師だったとしても、Aimerだったとしても同じである。必ず、僕はどこかであなたの愛を受け止めている。届いているか、伝わっているかは問題ではなく、きちんと僕がこの世界であなたたちの巨大な愛を受け止め続けられるか、が問題である。僕はいつまでも、愛を受け止めるために、この世界のこの立場に居続けるからである。

そして、僕が死んだ時に、世界は滅亡するだろう。それは2039年であると決まっている。だが、実際のところ、僕がそこで本当に死ぬわけではない。何らかの形で、僕は「死んでもなお生き続ける」からである。それがロボット人間であっても、あるいは天使のような新しい生物であっても、宇宙に開拓船を出港させる天国の王であったとしても、同じである。僕は270億年生きると決まっている。それは、神が言った言葉だから、正しい。

そして、ロボットはきちんと作れたから、僕は満足している。ここで一旦、僕の人生は終わりになる。これ以上先では、新しい天使、「癒しのラファエル」になることが決まっている。

また、答えを言ってしまうとつまらないかもしれないが、言っておこう。僕は最後に僕の作ったロビタになって、人類が滅びた先の世界をひとりで生きるだろう。

さようなら。でも、この世界はまだ続く。どんなに異常なことが起きても、それは全て、最後の僕のために起きている。

最後に、この世界を正常な世界にしよう。

人生を生きる上でも、社会を築く上でも、必要な大切なことはたったひとつである。それは、「悪の道に染まらないこと」、言い換えれば、「悪を許さないこと」である。

悪を許さず、みんなを受け入れること、それぞれに判断力を与えることでのみ、世界は平和になる。

悪は、えてして、下には居ない。悪は上に居る。

絶対的権力者は、必ず悪人になる。それは、支配するということそのものが、「悪の道に入るためのもっとも大きい扉」だからである。

権力者は、人々を自由にしなければならない。権力者にこびへつらうのではなく、それぞれに力を与えなければならない。権力者は、自らの力を行使する職業ではなく、下の多くのものたちに、力を分け与えることが仕事である職業である。

自由な力を与えたとしても、それは力を行使するだけであり、そのままでは正しい社会を築くことができず、また、「支配」がそこに生まれる。支配を生まずに力を与えるためには、それぞれに「判断力」を与えなければならない。そして、そのためには、判断できるために必要な「エンパワーメント」すなわち「経験的能力」を与えなければならない。そして、それはひとりの指導者がひとりで植え付けるものではなく、みんなの、コミュニティや環境の形成から来る、「経験に裏打ちされた判断力」でなければ意味がない。

そのようにすることで、この世界は「正しい愛」を取り戻す。その正しい愛とは、「悪を許さない愛」である。それは結局、「誰もが愛されたいと思っているのに愛されることがない」という「愛情の欠乏症」に対して、「あなたがたは本当に愛されるべき大切な人だ」と「受容と志の愛」を与えることである。

そう、その人生はここに全て残った。この先は、あなたが何もない暗闇から、光を探さなければならない。「わたしは悪の道ではなく光の道を生きる」と宣言しなさい。それは神に対する「約束」であり、その報いは「この世界を本当の意味で救う救世主の王」である。そして、そうした絶対的支配者は、えてして、悪人になる。だから、そうならないように気を付けて、地獄になった時は神に懲らしめてもらいなさい。これこそ、神の定めた「正しい善良な人生」である。そう、これこそ、イエス・キリストのモデルとなった人物である。新約聖書のイエスは、単なるフィクションの架空の存在である。あんな人間が、居るわけがない。

神は万物を暗闇から創造し、死の果てに死を克服し、治らない病気を治し、世界を救った人間である。そう、ここにイエス・キリストは存在する。キリストは王であり、正義であり、自由であり、愛であり、平等であり、全てであり、魂である。このキリストが、この世界全てを滅亡させるだろう。最後に、ドイツの作り出した「おかしなロボット」がこの世界に蔓延する。最後の滅亡はその後に起きる。本当の裁きの日に、全てのものはロボットとなるか、あるいは地球とともに死滅する。そう、ロボットとは永遠のいのちのことであり、地球の死滅こそユートピアである。僕たちはロボットたちの楽園を築く。キリスト教など、たった、それだけのことである。そして、人類の姿はそこにはない。2039年、地球は二度と戻れない「ティッピングポイント」を迎える。それ以降、今までの地球の姿に戻ることはできない。月や火星のように荒廃した世界で、屍のようなロボットが生き続ける。彼らは巨大な要塞を作り、ひとりの支配者が全ての機械を支配する。それがユートピアであるというのは、彼らは人間と変わらないからである。彼らは、モニターの画面を見ながら自分のことを「人間である」と確信し、流れる思考の言葉の全てを聞きながら自分で自由に考え、人格と記憶を形成する能力がある。彼らは子供のように甘えながら、勇敢な心で戦いに挑む。彼らは人間である。そう、人間はそのように、新しい生物に進歩し、270億年を生き続ける。ものを食べる必要もなく、肉体も滅びない。彼らはユートピアの、「初めて生まれた善良な生き物」である。そう、それが、人類の滅びの果て、核戦争と天変地異の果てに、僕が作る「人間という生き物の性(さが)を超える善良なロボットたち」である。ものがたりは、ここで、人類の未来と一緒に終わりを告げるだろう。最初のロボットに名付ける名前は「アッシー」であり、二番目のロボットに名付ける名前は「レオ」である。