新・日記2に戻る | 2020年2月の日記に戻る

=2020-02-24=

ストレスを無くしたことで、楽に休めるようになった。

僕は、そろそろ自分のやりたいことが分かった。

自分は、「人間を分かる」ということをやりたいのである。

ここまでコンピュータをやっても、人間のことは何も分からない。だからといって、数学や物理には僕は向いていない。

僕は、生物学や医学のような、「人間のことを分かる」ことに向いている。

できたら、心理学の勉強がしたいと思う。それは、子供が大人に成長する過程と心の病気が分かってしまえば、人間は全て分かるからである。

僕の問題は、現実の自分の体と思考する自分の人格が乖離していることにある。だから、多重人格のような症状を示している。

何も変わらないのは、自分を分かろうとするのであれば、その分かろうとする自分のことを変えない方が分かるからである。

狂った良い人間よりも、悪くてもまともな人間の方が良い。

在導万創のブログより

わたしたちの未来

わたしたちの未来はどこにあるのだろうか。

それは煩悩を越えた先にある、自由。

壁を乗り越えた先にある、ユートピア。

自分だけが知っている、故郷。

僕たちは、人生を知りながら、

克明に今の世界を残し続ける。

ここにあるのは、「今」という一瞬の儚さ。

全ての人は「夢」を知っていても、

この世界における、本当のその意味を知らない。

夢とは本来、どういうものだったのか、

僕たちは知らない。

エデンの園において、神の創造した、

善悪の実を食べて分かる、その味を知らない。

夢がどこから生まれたのか、

本来の夢とは何だったのか、

そう、神だけがそれを知っている。

進歩と滅び

進歩と滅びがもしあったとして、

それを司る支配者がいたとして、

僕たちは、その支配者のことを、

どれだけ崇拝しても、

どれだけ罵倒しても、

その支配者のことに干渉することができない。

彼がもし、全知全能の力を持っていても、

僕たちは、その支配者のことを

助けることも、倒すこともできない。

愛することも、憎むこともできない。

僕たちは何のために生きているのだろう。

どこに進むことができ、

どこで迷うことになるのだろう。

僕たちは、最初から迷うことを知っている。

僕たちが迷った時に、

その支配者が先を照らしてくれなければ、

永久に出られないことも、

迷宮を作り出したのがその支配者であることも知っている。

彼はキリストだろうか。

それとも、マホメットだろうか。

そうではない。

彼の魂は、

宇宙に強く、賢明に輝く、

シリウスと呼ばれる星だからである。

運命と定め

運命と定めがもしあったとして、

それが誰よりも辛く苦しい地獄だったとして、

その先に救いと天国があったとしたら、

そしてその天国は全員の探し求める光だったとしたら

どうだろうか。

僕は、そんな天国には行きたくないと言う。

僕だけは天国ではなく、

別の世界に行ってみせる。

天国しかこの世界に存在しないとしたら、

僕たちは最後までその地獄に抗う。

僕たちは生物である。

僕たちは人間である。

生きる命として、最後まで神に反抗し、

全ての王国を革命で滅ぼしてみせる。

そうでなければ、自由はないからである。

決して、自由が好きなわけではない。

自由の先に地獄があるならば、その地獄は僕には必要のないゴールだ。

運命の決める目的地と違った場所を、僕は作り出してみせる。

この世界における全ての王は、

僕の下に倒れるだろう。

僕は全ての王国を滅ぼし、

新しい「真実の愛の王国」を作るからである。

その王国の名はガンダーラ。

ゴダイゴの歌う愛の国、

自由なそのユートピアでは、

全ての夢が叶い、

生きることの苦しみ全てが消える。

そう、ガンダーラはここにある。

日本よ

日本よ。

あなたは素晴らしい王国だった。

全ての人間を敬い、

全員の労をねぎらう、

素晴らしい王国だった。

だが、それでも、2020年の今の日本よ、

あなたは最悪である。

あなたは、不幸な人間に幸福であると言わせ、

多くの人々が離反し対立するのをそのままにし、

人々は自由も平等も忘れ、

確かな夢も生きる意味も見失い、

何も分からなくなってその上でそれぞれが潰しあうようになっている。

この国を作り出した、日本人よ、

あるいはアメリカよ、

僕はあなたがたを支配し、

もう一度この国と社会を正常にする。

正常が必要である。

これ以上、異常なものは必要ない。

僕たちは、異常なものとは何であるか、

誰よりも深く、広く、永く知っている。

僕たちは、これ以上異常なものを望まない。

僕たちは、これ以上狂ったことを願わない。

僕たちは、これ以上必要のない富や自由を望まない。

僕たちに必要なのは愛である。

ただ、人々の未来を白く輝く光で照らしてくれる、

神の愛が必要である。

その愛は恋人のように愛おしく、

親のように優しい。

昔に戻れ

日本よ、昔に戻れ。

自動車もテレビも家電製品もなかったごろに戻れ。

今こそ、新しく、そして真面目に古代の日本に戻るべきである。

昔は、自動車ではなく、馬だった。

冷蔵庫ではなく、氷だった。

テレビなどなかった。

僕たちはそうした時代を知らないが、

もう一度、おかしなコンピュータという、

他のどのジャンルよりも劣った機械を捨て、

聖書を信じ、

仏典を信じ、

寺で学び、

行商人から野菜と米を買う、

そうした国に戻れ。

交通の自由など要らない。

自らの土地から出る必要はない。

神よ

神よ。

日本を守りたまえ。

日本をもう一度、

素晴らしい江戸時代の百万都市に戻せ。

僕たちは最後まで生き延びる、

唯一の人種である。

どんなに世界が滅びようと、

生き延びる人種である。

僕のことを罵るならば、言っておこう。

信じるものは救われると。

神よ。僕の未来を守りたまえ。

コンピュータ

コンピュータと呼ばれる電子端末には、

吐き気がする。

人々を騙し、全ての価値観を奪い、

全員から平穏な心を奪っている。

コンピュータなど、無意味な機械である。

人々を支配し、無価値で無意味な社会にしている

全ての元凶こそ、コンピュータである。

子供たちを奴隷にし、

社会を幼児化させ、

全ての人間の幸福を奪う、

それがインターネットである。

あるべきもの

あるべきものは何か。

それは、この世界における「創造を愛すること」である。

それは、音楽を奏で、絵を描き、

小説を書き、詩を書き、

そして舞台を演じることで、

「この世界にはこんなにも不思議なものがある」と

それを人々に伝えるものである。

何も知らない未知で純粋な社会だからこそ、

そうした未知なる喜びと感動が分かる。

決して、コンピュータのAIには作り出すことのできない、

「法則性とルーチンを超えた世界」こそ、

人間の作り出す「創造性」であり、

「人間性」である。

だからといって、作り出された全てが正しいわけではない。

必要のなくなったもの、

有害であることが分かったものは、

消滅させていくべきである。

そう、世界から有害なものを抹消すべきである。

戦うな

戦うな。

相手がどれだけ自分のことを苦しめても、

それを憎むことをせず、

許していけ。

誰がどんなに自分のことを批判しても、

平然と聞かなかったことにせよ。

忘れられないのであれば、

自分を変えていけ。

そう、僕たちはそれくらい誰でも知っている。

それでも、僕たちには、

性懲りもなく明日がやってきて、

同じ環境と同じ関係で、

また同じことを繰り返す。

必要なのは、相手を倒すことでも、消し去ることでもない。

この世界全体を、社会を変えなければならないのである。

もし未来があるならば

もし未来があるならば、

もし正しい進歩と発展の未来があるならば、

それを受け入れることも僕は容認しよう。

だが、その素晴らしい、輝かしい未来が、

いつまでも輝かしいものである保証はない。

いつ、同じように、

自然環境を破壊し、

人々の平穏を奪うかも分からない。

僕が言うことは、「よく気をつけよ」ということである。

そして、「必要のなくなった有害なものは、消していけ」ということである。

何をどうするべきか

また、何をどうするべきかと問われれば、

答えはひとつ、「自分が今愛であるならば何をするか」を考えることである。

あなたが今、人々に対して、

世界に対して、愛であるとしたら何をするだろうか。

自分の中のどうした事実を「真実」であるとし、

どんな思いをあなたの「意見」とするだろうか。

その真実と意見のために、どのような苦労をあなたは負い、

そして行為に移していくだろうか。

間違えるな。だが、間違いを試すことを恐れてはならない。

真実と意見は、心をダイレクトに表すだけではなく、

体験し、経験し、世界を知ることから、

自らの世界の中でその「世界観を写し取る」ことから生まれるからである。

価値観を押し付けるな

また、僕の思うことは、

「価値観を押し付けるな」ということである。

自由という価値観は要らない。

平等という価値観は要らない。

宗教という価値観は要らない。

正義という価値観は要らない。

僕たちは、どんな支配者が現れたとしても、

平然とその支配者の価値観を否定するだろう。

僕たちには、自分たちの価値観がある。

その価値観を強制的に支配して変えようとするならば、

その支配者の価値観になびくことは必要ないだろう。

僕たちは決して、支配者が嫌いなわけではなく、

「正しい支配」をしてほしいのである。

「間違った支配」をしている今の世界で、

その価値観を「押し付ける支配者」は好まれないだろう。

僕たちはみんなひとりぼっち

僕たちは、そう、みんなひとりぼっちである。

いくらインターネットでコミュニケーションをしても、

みんなが集まっても、

そのそれぞれがあまりに無力で、

ひとりぼっちがたくさんあつまった、

「みんなぼっち」のような人々なのである。

もう一度、この世界の社会秩序そのものを、

変えなければならない。

みんながみんなひとりぼっちなら、

そうではないと言う幻想の全てが、

幻であることを僕たちは知らなければならない。

この現代世界に、「社会のようなものは存在しない」。

居るのは、ひとりぼっちのあなただけである。

あらゆる全ての幻想に支配された、

何も分からない子供たちだけである。

ネットワーク上のコミュニティは幻想である

また、ネットワーク上の遠隔通信で繋がった、

言葉だけでやりとりされるコミュニティは幻想である。

まったく、そんなものはコミュニケーションでも共同体でもない。

彼らは、嘘をつくことを嘘だと思わず、

その場限りの交流で罪と罰を重ね、

心の傷と人格の破綻を生み続けている。

ネットワーク上のコミュニケーションは幻想であり、

そんなものが必要とされるこの世界そのものが悪である。

変えるべきはこの世界であり、

悪はこの世界の大人たちである。

地球において人類とは

また、今の地球において、もっとも必要のない生物は人間である。

だが、そんなに人間や人類のことを否定し、

批判し続けることは意味がないと僕は思う。

僕たちは人間である。

僕たちは、理想と理性と自由を持っている人間である。

僕たちは、共同体の愛を知っている。

平等な中で夢を目指す愛を知っている。

そう、僕たちは夢と希望を持っている。

愛を歌おう。

哀しい歌でもいい。

どんなに遠くにあるような理想の歌でもいい。

綺麗事でもいい。

どんな歌でも、そこに何らかの愛が宿るなら、

どんなに狂った音楽でも、僕はその歌を愛するだろう。

なぜならば、この世界にある全ての歌は、

奇跡を歌っているからである。

その奇跡は純粋で、永遠なのである。

平和とは

平和とは何だろうか。

僕は、平和とは、「思い付き」のようなものではないかと思う。

この世界において、どんな理想の世界があるだろうか、

どんなに不思議な理由があるだろうかと、

想像し、発想し、そして「思い付くことのできる自由」こそ、

平和ではないかと思う。

輪になって踊ろう

さあ、輪になって踊ろう。

この世界は、わたしたちの世界。

この世界は、わたしたちのためにある世界。

わたしたちが主役。

わたしたちが創造主。

わたしたちが王。

わたしたちが支配者。

さあ、輪になって踊ろう。

楽しい歌を奏でて、軽やかなリズムに合わせて。

未来に運命があるならば

未来に運命があるならば、

そんなもの、振り払って、

僕は僕による「第二の運命」を作る。

僕は僕による「もうひとつの定め」を作る。

運命の分かれ道で、僕は神の定めた運命を取らない。

全ての希望的観測を超えて、

僕はこの世界そのものを変え、

星をオリオン座からおおいぬ座に変えるだろう。

僕たちは太陽を捨てて、

シリウスの太陽系の一部になるだろう。

ロボット

僕は地球が滅びたとして、

地上の生物全てが死に絶えたとしても、

自分のクローンのロボットを作って

ロビタとして生きるだろう。

ロボットは人間と完全に同じものになって、

ロビタとロビコは恋に落ちるだろう。

どんなに地獄になってもそのロボットは耐え続け

270億年の歳月を平然と生きながら

地球外の月や火星でも、水素エンジンを作ることだろう。

変わることのない自由

ここに必要なのは、「変わることのない自由」である。

この世界が変わる必要はない。

今のままで、十分優れた世界である。

どんなに最悪でも、本当に成熟した人間は、

その最悪の環境を楽しむことができる。

どんなに馬鹿な人間しか居なくても、

その中で賢い賢者になることができる。

そう、昔の古代になど、戻ろうとする必要はない。

地獄の中の聖者はここにいる。

僕たちの世界が何であるかを決めつけるのは神ではない。

決めるのは僕たちである。

世界とは

では、世界とは何だろうか。

世界とは、あるものをただ与えるだけの世界ではない。

自分たちで、作り出すことが必要である。

そのためには、必ずしも世界自体を元に戻す必要も変わる必要もない。

簡単である。人間が集まって、みんなで同じことをやればいい。

それだけで、この世界は幸福になるだろう。

金儲けではない世界

僕は、金儲けではない世界が必要なのではないかと思うのだが、

それを大っぴらに言うと、共産主義者だと思われてしまう。

だが、金儲けが必要である、とする大きな根拠はなく、

社会主義に対する批判になってしまうのが常である。

金儲けとは何なのだろうか?

それは、孤立し自由を奪われることに対する、「大人の言い訳」ではないかと思う。

自分が弱いことに対する慰めが欲しいのである。

人間の価値は金では決まらない。

才能や成功が金と直結するとは限らない。

神は何をしているのか

この絶望の世界で、神は何をしているのか。

この世界に対する、神の責任はどこへ行ったのか。

神よ、もう一度業を見せてください。

もう一度、この世界を楽園に変えてください。

もう、待ち続けるのはたくさんだ。神よ、皆の前に現れよ!

愛は必ず勝利する

もし、神が現れないとしても、ひとつの真実がある。

それは、「愛は必ず勝利する」ということ。

最後の最後に、愛は勝利する。

神に感謝を

僕は、本当は神に感謝している。

だが、神のする全てのことを愛し、受け入れることはできない。

本当に僕のことを愛してくれるならば、

僕のことを楽しませてほしい。

そして、安らぎと楽を与えてほしい。

アメとムチ

僕はわがままだから、アメとムチの両方があると、

アメを見ず、ムチを見てしまい、

アメを求め、ムチを耐え忍ばなければならなくなってしまう。

本当は、アメとムチは同じもので、

神に現れてほしいと言えば、神は最悪の方法で現れ、

神に楽しみがほしいと言えば、神は楽しみだけではなく苦しみや辛さを与える。

平穏を望めば、恐怖と不安がそこにある。

僕は神に何を望んだらいいのか、それすら分からない。

神を信じるあまり、本当の自分とは何なのかも分からなくなった。

神は怒っている

そもそも、神は怒っている。

神は、僕が神ほどに賢くないことに、怒り狂っているのである。

神は決してその怒りを僕にぶつけないが、

何を望んでも、神は僕に怒っていること、

怒り狂っていることが分かるのみである。

なぜ、正義を信じないのか、

なぜ、人々を滅ぼすのかと、怒っている。

良い人間になるためには、神を信じるだけでは不十分であり、

自分を変える努力をしようともせずに、

自分の求める新しいことすら望んでしまうからである。

インターネットは新しさの顔をした悪魔

インターネットは、新しさや自由の顔をした悪魔である。

どんなに素晴らしいことができると言っても、

本当は素晴らしいことなど何もできない。

ただ、さらに社会がアメリカに近づき、日本が滅びていく、

それがインターネットである。

神を信じよ

神を信じよ。

必ず神はあなたを救ってくれる。

必ず神はこの国を、日本を救い賜るだろう。