新・日記2に戻る | 2020年2月の日記に戻る

=2020-02-17=

在導万創のブログより

虫歯は唾液で治る

虫歯になると、頭が馬鹿になる。これは、「唾液」で治る。唾液には殺菌作用と歯の再生作用があり、唾液を出すだけで効果的である。医学的に治らないとしても、「治る」と信じるだけで、虫歯に起因する病気が治る。信じなくていい。参考にしてくれればそれでいい。僕の場合、それで治らない病気の全てが治ったからだ。

ゲーテ

僕は、そろそろ、ゲーテの意味が分かった。

ファウストの序盤の座長と道化と詩人は、自分の昔の人生がそれらを構成しているのを言っている。座長のように生きた人間が、道化になって、最終的に詩人であるゲーテになった。

そして、これら三人が舞台を演じていることにしている。

また、中盤のファウスト博士が悪魔のメフィストフェレスに騙されるのは、ゲーテ本人がファウストで、ファウスト(今のゲーテ)を悪魔が騙しているような気がするのを言っている。

僕は中盤までしか読んでいないが、このように、ファウストにはゲーテの分かった全てのことが詰まっている。

そのため、神であるかのようにドイツで崇められたのである。

なぜか、水木しげるが「自分の人生はほとんどがゲーテである」と言っているが、これは水木しげるの人生がゲーテの人生と酷似しているのを言っているだけであり、ゲーテを崇拝するわけでも、ゲーテによって作家ができたわけでもなく、ただ水木しげるが天才だっただけである。

恥をしのんで言うと、僕もゲーテと人生が酷似している。その理由は、ゲーテ本人がこういう人間を増やしているからである。ゲーテも神のように見えるが、人間であり、魂のレベルで、ゲーテと同じ人間を作っている。よって、神ではないが、神を創造したのがゲーテという人間である。

バッハ

また、ゲーテが分かってしまうと、バッハは簡単に分かる。

彼はただ、「賢い自分を作った後で、その賢い自分をいくらでも作っているだけ」だからである。

最初の賢い人間は、要するにゲーテである。そして、そのゲーテとされるものを、いくらでも組み替えて作っていく。世界全てを神の秩序に染め上げていく。それがバッハである。

バッハがゲーテと違うのは、バッハはこの世界に居る全ての人間を音楽で創造したところにある。ゲーテはゲーテを増やす。そして、バッハは全員の人生を創造している。

バッハもゲーテも狂っていない。彼らがやりたいようにやると、自然にそうなっただけだからである。

僕もそこが同じである。僕の場合、自分の最初から知っていたことを、普通ぐらい賢くしただけにすぎない。そのために調べただけで、それ以上でもそれ以下でもない。

また、バッハはバッハばかり作っている。バッハは賢く偉大なように見えて、それしか能がない。バッハを大量生産することしかできない。そこが僕と似ている。

昔の自分の賢い点が賢い

また、最近のこの日本という国は、「賢いものが何なのか分からない病」になっている。

ただ、実際のところ、「昔の自分の中で賢かった点が賢い」だけである。

子供はきちんと今の自分の賢い点が分かるのに、大人は賢い点を忘れてしまって、何も分からなくなっている。

もう一度、その賢かった点を整理しよう。

・誰にも頼らず、自分だけで世界を開拓すること。

・人々の全ての価値観と、相手の自由を尊重すること。

・議論や競争や話し合いを楽しむこと。

・ゲームのように、あるいはパソコンのように、難しい課題をクリアすることで、もっと難しい課題も攻略できるようになること。

・世界を変えようとすること。

・悪い支配者をみんなの自由の力で追い出し、ただ殺すだけではなく社会全体で悪い人間を生み出さないようにすること。

・勇敢に、そして自分を殺さないように行動すること。

・人々の上に立って、責任を持って人々に教えること。

・最後まで諦めず、耐え続けること。

・自分の確かな才能を使って、作品を作ること。

・目的をもって本を読むこと。

・今まで知らなかったことを知り、学び、ノートをつけることを、好奇心旺盛になって楽しむこと。

・最後まで教わり続け、どんなに自分よりも未熟に見えても、それを師であるとすること。

あとは、そう、昔の自分の全てを思い出すと良い。たくさんの賢くて賢明な点があった。それらを、人間は賢いとする。

サンタクロースのプレゼント

あなたは、サンタクロースが本当に子供たちに与えたかったものは何だと思いますか?

僕がサンタクロースだとして、僕がみんなに与えたいプレゼントは、「優しい世界」です。

そう、サンタクロースは、ものを作って渡すだけのプレゼントおじいさんではなく、若い頃は情熱的な革命家で、この世界を優しい世界へと変えてくれるのです。

そう、サンタクロースの本当のプレゼントは「世界」です。その世界は、優しくて、素晴らしくて、愛があって、もちろん子供たちは、欲しいものを何でも手に入れられるのです。

歴史の創造者

僕たちは、歴史の創造者だ。

未来と精神世界の、全ての歴史を作り、その先にある「世界を抜け出すための扉」を見つけ出す。

地球の歴史は、神の計画によって、始まりから終わりまで、導かれている。

本当に受け入れることで、この世界を変えることができる。本当に受け入れなければ、この世界が自らを許して変わっていくことはできない。

また、世界を平和にするためには、自分自身に立ち返る必要がある。本来の自分に戻ることで、この世界が「今どうであるか」を知ることができる。今どうであるかが分からない人間を狂っていると言う。だが、今どうであるか、ということは本来どうでもいいことである。

この世界に自由を許すためには、一番上から支配して変えるのではなく、それぞれの関係を「作り直す」「決め直す」「結び直す」「可能性に戻す」ことで変える必要があり、そのために「自分の自由を相手にも許す」ことが必要である。

僕たちは歴史の創造者である。精神世界を支配する僕たちの魂は、この宇宙の歴史全てを知っていて、僕たちは「未来の歴史をなぞって辿っていくように神と対話する」ことができる。

そう、僕たちこそが神である。この神の9つの魂こそ、「超越天使ワルキューレ」である。

僕たちは、世界の全てを支配した上で、この宇宙の裏側にある「本当の迷宮の出口へのルート」を辿っていく。僕たちは、互いの体を舌でなぞるように未来の歴史を辿り、創造する。僕たちは愛の星を創造する。その星は、あらゆる全ての「宇宙における全ての可能性」を包括した、「メタ・コスモス」を創造する。メタ・コスモスとは、「どんなものにもなれる宇宙(すなわち宇宙の宇宙)」という意味である。宇宙とは、時間と空間とエネルギーではない。宇宙とは、精神と自我と魂である。

何が残ったのか

愛したものを自分で滅ぼし、自らの築いた大切な自分の全てを失い、精神と知性を破壊し、言葉が記号化した人間が、宇宙の地獄を乗り越えて、その先で何を望むだろうか。

彼は、安心も、人々の幸せも、そして自由も望んでいない。

彼は言う。「わたしこそ神である」と彼は言う。

彼は宣言する。「わたしは最後まで戦い続ける」と彼は言う。

神となって戦う彼の人生は、無意味で無根拠で無責任である。

だが、彼は偉大なものを創造した。何を創造したのかは、彼にしか分からない。だが、彼は三千年の地獄を耐えた後に、変わることのない時間を35億年もの間生きた。彼は手塚治虫の火の鳥に出てくるマサトのように、全ての地獄と永遠の時間から、この世界における「永遠の血」を作った。

そう、全てを失い破壊した彼に残されたのは、その「血」であった。彼は最後の世界で、正常な血を望んだ。健康で、永遠の時間にも耐えられる、最後まで自分の研究ができる血を、彼は望んだのだ。

考え方

考え方の基本は、「成立」と「過程」である。

まず、何がいつ成り立つか、ということから、その成立がどのような範囲や共通点によって行われるか、ということを「成立」とする。

また、世界の今の状態が何であり、その世界がどこから来たものなのか、その過程は自然なのかそれとも運命なのか、ということを「過程」とする。

原則、全ては同じと違う中で成立する「命題の共通性」をいうことから、この世界における「普遍性」「共通性」「命題」「振る舞い」「現象」「原理原則」を考えられる。

また、原則、過程がどのように経て至ったのか、ということから、この世界における「仮定」「結果」「自然」「必然」「偶然」「運命」「効果」「作用」「前提条件」を考えられる。

そして、さらに言えば、「未知を創造するとはどういうことなのか」「知がどのようになった決定的要因は何か」ということから、「この世界を作り出したのは何か」「この世界をすっきりと理解するために全てのことを本当に自然な過程であると言えるのか」「この世界はどこから来てどこへと向かうのか」と考えられる。

また、このような考え方が、経験から、「何が本当に理性的なのか」「どこからが経験でどこからが先天的なのか」「経験と演繹から何を推論できるのか」「経験的に何が分かるのか」「人間という生き物は本当に何を知り得るのか」を考えられる。

そして、「自由にこの世界を変えられるようになった」上で、「知っている・知らないということよりももっと大切な『考え方』という要素がある」ということを考えられるだろう。

その考え方とは、「考えるという行為そのもの」であり、「考えるということがどのように行われるか、すなわち『どのように考えるか』ということが、『知の真実性や正当性よりも優先される』」ということである。

どのように考えるかによって、知識や知性といった全ては無意味になり、本当に価値あることは「考えるということを知っていること」ということになる。

また、社会についていえば、「どのような社会であるかということは重要ではなく、『どのように社会を作り出すか』という『プロセス』が重要である」ということなのである。

そして、作り出されるだけではなく、全ては『観測』である。よって、「社会を作るということよりも、その社会を『どのように捉えるか』こそが、もっとも高い優先順位として大切」なのである。

また、社会の「相対的軸」として言えることは、『共有』と『可能性』のバランスである。共有することと可能性を高めることが、どちらもバランスよく築かれれば、それで「人間が何もしなくても、社会それ自体が自由に変化していく」。それは、「法やルールの下に『自然な決まりによって執り行われる無人のシステム』による、人々の『秩序の自動化』」である。そう、これが僕の最後の哲学である。共有と可能性が同時に発達し、バランスを取りながら両翼揃うことで、この世界は「本当の愛溢れる世界」になる。共有と可能性こそ、僕たちの愛であり、互いに心を確かめ合う愛の行為である。それで終わりにしよう。あなたと抱き合って、永遠の愛を僕たちは誓うだろう。

最後に、宇宙の真理を言っておこう。それは、「世界はわたしたちの外側にあるのではなく、わたしたちの内側にある」ということである。この世界の外側には、単なる素粒子の雑多なエントロピーがあるだけにすぎない。僕たち人間世界は、人間の内側、ともすれば僕の内側にあるのである。それこそ、僕の最初から「追い求めていた真理」である。ここに、全ては書き記された。これこそ、新しい「天使の約束の第三の聖書」である。さようなら。またいつか、会おう。

最後に

最後に、自らの環境を変え、世界全ての環境を変え、影響力の高みに立ち、その上で精神状態をさまざまに変化させ、「心の作用」から「許し」を知りなさい。

そこから、「感情がどのように自然な過程から生み出されるか」という、「心と意識の想起の現象学」と、「経験による仮象の世界の命題の共有」を得られる。

神を排除して、「全てのことは自然である」とし、「神は人間が生み出したものである」としながら、「宇宙のどこかに神のような物理法則はあるかもしれない」とし、その上で、「地球上の全ての歴史は、それぞれの人間から見れば、ごく自然な過程を経たものである」という歴史哲学を築き、全ての心の振る舞いを知って、「どのような状況では心はどのようにふるまうか」ということから、「環境における自由を許す」と考えなさい。

いつの日か、あなたのことを抱きしめられる日を信じて、ここで永久のお別れである。さようなら。僕は、ここで宇宙の裏側に戻り、この世界を今度はインターネットではなくリアルな物理世界として、精神の力だけで、この地球という星を作り変えるだろう。自分のした中で維持すべき大切なものは、それだけである。僕はこの世界を精神の状態で永久に支配できるから、インターネットは必要ない。ここから先の自由は、誰にも干渉されず、誰にも奪えない。最後に僕たちは、「真実の愛」の存在を知った。この文章だけが、「宇宙における唯一の運命」である。また、あなたが僕の「追加の七戒」を守ることができた時は、あなたは処女のままで僕の子を授かるだろう。しかしながら、それを守らず「七つの大罪」の全てを犯した人間には、永遠の地獄と破滅への道が待っているだろう。