日本語を忘れなさい。
言葉の意味を忘れれば、
それで、子供のように分かるようになる。
はっきり言って、
僕はパソコンのことしか勉強できないと思う。
物理や化学を学ぶモチベーションがないからである。
教科書だけで、環境もない中で
ひとりだけでできると思わない。
よって、もっとデータベースの勉強がしたい。
データベースやSQLのことを学ぶことにする。
それから、Pythonの勉強がしたい。
ただ、何というか、
僕はパソコンの勉強はむしろしたくない。
本当に、物理の方が正しいと思う。
そういうわけで、物理を頑張って勉強したい。
あるいは心理学の勉強がしたい。
物理学の勉強とは言うが、
そもそも、僕は物理学の意味が良く分からないのである。
何のために物理的に考えるのか、
良く分からない。
僕には向いていないのかもしれない。
よって、僕はむしろ、心理学の勉強がしたい。
心理学の意味は良く分かる。
僕は最初から、物理学よりも心理学に向いているのだと思う。
ただし、言ってしまうと、
分かりたいだけでは意味がない。
分かるだけで、しないのであれば、
それではできない。
理解だけではなく、
習得には行動を伴う。
そのため、心理学を勉強しても、
ただ心理学に詳しくなるだけであり、
それは意味がない。
ピアノも、英会話も、絵も、
やろうとはするが、
実際にはしない。
ためになることを分かりたいのは分かるが、
そろそろそれは意味がない。
よって、僕は文章を書くことしかしないため、
作家になるしかない。
唯一できることは、
Adobe製品を使ったデザインであり、
それだけで生きていくしかないのである。
また、おかしな神を信じる宗教は
そろそろやめようと思う。
神を信じたせいで、
自分のない人間になった。
自分が神なわけもなければ、
神のように偉大なわけもない。
作家をするために都合が良かっただけで、
そろそろ神の助けは必要ない。
僕は、唯一素晴らしかった点、
そして他にも代えがたく素晴らしかった点は、
面白い人生を生きられたということ。
哲学的で、文学的で、
そして試練と才能にあふれた
面白い人生だった。
ただ、僕には中卒並みの学力しかない。
だからといって、
勉強しなければいけないわけでもない。
普通のことをするためには、
きちんと理性を持って考え、
最低限の知識は得る必要がある。
能力やスキルをつければ、
これでも色んなことができる。
言えることがあるとしたら、
「自分でやらないとつまらない」ということ。
会社や国やパソコン任せにして、
自分でしないのはつまらない。
特に、IT技術の向上によって、
何も自分でできなくても、
ソフトウェアを使えばできるようになってしまった。
それこそ、自分で何もせず、
パソコンのメニューを選ぶだけで
何でもできる。
だが、それは自分で何も生きようとしていない。
必要なのは、
自分で生きることと、
自分で行うことではないかと思う。
それも、単に行うだけではなく、
目的をもって何かを行うこと、
それが正しい「命の使い方」ではないかと思う。
また、必要なのは時間をかけること。
すぐにそれを得ようとするのではなく、
時間をかけてそれをやろうとすれば、
成功する。
精神を治したいのであっても、
すぐに治したいと望むのではなく、
時間をかけて治したいと思うことで、
神経は10年あれば治る。
よって、何をするにも、
焦らずゆっくりが大切である。
僕はこの世界を変えたい。
正常で、自然で、
素晴らしい進歩と発展のある、
そうした良い世界にしたい。
思いやりと愛のあふれる、
誰も苦しまない世界にしたい。
この世界に居る、
みんなのことを助け、
救いたい。
この世界は今、
完全な地獄になっている。
悪いのは悪党である。
自由主義者の悪党によって、
この世界は滅びている。
自由主義者はただやるべきことはやるが、
世界そのものを変えようとしないし、
そもそも政治家には
そんなことはできない。
また、悪党にとっては
この世界は滅ぼす対象である。
そうした、自由主義者の悪党が
この世界を支配している。
僕は、この世界から自由を奪う。
自由は必要ない。
この世界は、僕以外の人間には
何もできなくなる。
自由をなくしてしまえば、
いくらでも社会の変えようがある。
問題は解決し、
最高の社会が作れる。
そもそも、ネットワークを通じた
不特定多数とのコミュニケーションが、
そのものが悪い。
そうした交流の自由が無くなれば、
すぐに正常な賢い世界になる。
また、戦いも必要ない。
互いの相手を憎しみ合い、
支配者にうまく利用されて、
犠牲を出す必要はない。
自由が無くなれば、
戦争や言い争いもおそらくなくなる。
自由は、人々を戦争に向かわせ、
「支配が悪い」と騙すことで、
世界を滅ぼそうとしている。
不満の向く方向を、
国民に互いに争わせることで、
上へと向かわないようにし、
支配する正当性と、
自由で上が何もせず、
それぞれが自己責任であるとする考え方を
信じ込ませている。
このような互いに争う戦いの構図は、
即刻やめなければならない。
支配者も、自由も、どちらも悪である。
国は、国民に自由を信じさせ、
同時に、自由を嫌わせるだけであり、
人々はうまくそれに乗せられて、
互いに戦うことしかできないのである。
あなたが、神によって差し伸べられた手を
拒み続けるのであれば、
ここが、その限界となる期限である。
もう、あなたが救われることはない。
どんなに願っても、
もう願いは叶わない。
人種差別をやめなさい。
人種差別を正義と信じるものは、
自らの価値あるかけがえのない理想を
全て壊し、
哀しみと苦しみの世界を自らの手で作る。
どんな人間を愛するのであっても、
人種差別主義者を愛してはならない。
賢い人間になりたいのであれば、
動物を愛しなさい。
動物を愛することができるものは、
人間よりも賢い存在が何であるかを知っている。
そのため、動物を愛することができると、
普通の人間よりも賢い人間になれる。
僕はこの世界を救わない。
僕はこの世界のことを愛していない。
どんなに辛い苦しみや、
最悪の嘲笑があったとしても、
僕はあなたのことを「どうでもいい」と言う。
あなたがたの生き方が愚かで、
この世界が僕よりも賢明でなかっただけのことである。
僕はあなたのことを許さない。
僕を許さない限り、
あなたが僕に許されることはない。
僕は悪いものすべてに罰を与える。
そこから逃れるためには、
あなたが自分で作り出した地獄の中で
あなた自身が罪を償うことしかない。
なんだか、やる気がなくなった。
新しい人間になったことで、
これ以上、何もやることがない。
つまらない。
やることが何もない。
YouTubeを見たくもないし、
テレビもネットも見たくない。
いつも生きる意味はないが、
楽しみや娯楽すら愛せなくなった。
テレビのニュースで政治の解説をしている。
色んな国会の制度があるが、
なんか、民主主義って駄目だなあと思う。
国会もきちんと崇高な理想があるのに、
野党のやっていることは田舎のプロレスのような批判や
アンチ与党・アンチ閣僚のようなことばかりで
与党も、ただの「大人の言い訳」のようなことを言うだけで
批判に対して真正面から答えず、
「それについてはこういう考え方で適切にやっています」としか言わない。
「今更言うことでもない」かもしれないが、
日本の民主主義は愚かで、
国会議員という考え方はうまくいっていない。
その証拠に、国の借金はいつになっても増え続ける。
民主主義の政治家は無能だ。
政治家を選挙で当選させても、
ただ、その政治家の後援会や仲間が得をするだけで、
逆に、弱者や少数派は必ず損をする。
政治とはそもそも利害関係の調整だが
民主主義では多数派と強者が勝利し、
弱者にとっては全く良いものではない。
ただし、社会主義も終わっている。
弱くて何もできない弱者が集まっても、
金も力もなく
影響力もなく
いくら平等な社会を唱えても、
それは現実的ではない。
そもそも、社会主義が勝っても
何の良いこともない。
ポーランドのような貧乏国家になりたくないなら、
与党を支持するしかないが、
アメリカ型民主主義社会は
まさに今一番最悪である。
結局、僕がひとり支配するしかない。
他に代わりは居ないし、
やろうとしてもこんなことはできない。
実際のところ、
資本主義社会はそんなに悪いものではない。
たとえば、SONYやトヨタのような
賢い会社や技術もあるし、
また、ものも安く、多い。
だが、資本主義社会は完璧ではない。
たとえば、新型コロナウイルスの影響で
マスクを必要とする人が増えると、
ドラッグストアからマスクが売り切れになる。
たくさん必要となった時に無くなるのは、
需要と供給の関係である。
それでも、常に食料も日用品も足りない、
社会主義よりはマシである。
よって、こんなに良い社会になった
ということは確かに言えるのだが、
自由すぎる社会において、
子供たちも大人たちも疲弊している。
民主主義は最悪だが、
他の全てよりはマシである。
そもそも、自由は意味がない。
自由がなければ批判できないとは言うが、
今の自由なネットは、批判しすぎである。
批判を少し抑えるために、
自由をなくす必要があるのではないかと思う。
人間は自由によって狂っている。
一度狂ったものが
正常になることはない。
精神がおかしくなってしまえば、
その精神は壊れたまま、
元には戻らない。
特に、幼い頃や若い頃から
狂った状態で人生を長い間生きたものは、
その狂いから抜け出すことはできず、
正常に成長した健全な人間と
同じように生きることはできない。
この病気に治療薬はない。
あなたは「正常」だからである。
暗闇を選ぶものには、
永久に光が灯ることはない。
自由を壊してしまえば、
二度と自由は戻らない。
イエス・キリストの言うように、
世界を裁くものは、
自ら裁かれる。
善良な人間を裁くものは、
たとえ悪事をしていなくても、
神から同等の罰を与えられる。
その神は、
あなたが善良さを取り戻さない限り、
あなたのことを許さない。
たとえ許しを人々に与え、
たとえ最高の恐怖の中で勇敢に戦っても
それが虚構の中から生まれたものであれば、
神はそれを尊重せず
彼の全ての努力を無視して
彼は地獄から抜け出すことはできない。
妄想にとらわれ
現実を見ようとしない人間は
現実を変えることも、
妄想を打ち砕くこともできない。
人々から大切なものを奪えば、
自ら大切なものを失う。
この世界すべてを滅ぼす人間は
未来を失い、
自らを永遠に滅ぼし続ける。
世界を滅びのリスクに陥れる人間は、
常に最大の恐怖と向き合い、
この世界すべてを支配する
最大の責任と報いが与えられる。
終末はそろそろ訪れるが、
裁きと神が言っているのは、
僕のことである。
僕が最後にこの世界を裁く。
そう、全ての地球の歴史は
そのためにあったのである。
滅びは全て終わり、
最高の楽園が訪れる。
全ての問題は解決し、
人々は永遠の命を手にするだろう。
永遠の命は、
再生医療とともに訪れる。
体全体をiPS細胞によって
若いものへと取り換えることができるようになる。
疑うな。
疑うものは、勘違いばかりを繰り返す。
疑うことが目的で生きている人間は、
真実の全てを知らず、
未知のことを正しく考えることができない。
不思議と、何も起きていない。
世界は完全に大丈夫である。
何も問題ない。
新型コロナウイルスなど、
大変な事態は起きているが、
それでも、日本は滅びない。
テレビは劇場型の詐欺だと思う。
彼らは犯罪者でない人間を犯罪者のように扱う。
何も分かっていない。
彼らこそ滅びるべきである。
さて、これからどうするか。
とりあえずこの世界を平和にしたい。