新・日記2に戻る | 2020年1月の日記に戻る

=2020-01-31=

在導万創のブログより

プレアデス

いつものおかしな宇宙の裏側の体験は

言ってしまえばプレアデスだった。

プレアデスは、

宇宙の全てを分かっているが、

実際は現実のことを何も知らない

狂った人間で、

プレアデスがさまざまなものに変わりながら

自分に宇宙の真実を教える。

自分は勇敢に戦いながら、

プレアデスと対話している。

「対話の神」はすべてプレアデスで、

プレアデスが仲介することで、

地球上の全ての人種や存在と対話していた。

デザインは視覚要素の極み

僕は、デザインとは視覚要素の極みではないかと思う。

「視覚で伝わることとは何か」ということを良く考える。

イラストや飾り付けやレイアウトのデザインだけではなく、

視覚にどのようなことを訴えかけるかを考えれば、

おのずと、どういうデザインが可能であるかが分かる。

毎日続けるとは、場所を得ること

また、デザインの習熟に必要なのは、

毎日続けることである。

そのためには、デザインの仕事や課題を与えられる

「場所」が必要である。

デザインを教えてくれる学校に通ったり、

僕のように福祉施設に通うことで

デザインは毎日きちんと頑張って、

さまざまな注意事項を覚えればできる。

プログラミングも同じ。

課題と場所だけ与えられれば、

誰でもできるものである。

独学でやろうとしない方が楽である。

独学でやるなら、書くこと

独学でやりたいのであれば、

文書を書くこと。

自分で本を読んで、それを自分で書くことで、

何でも独自に勉強し、研究できる。

これは、Linuxなど、

誰も教えてくれる人が最初から居ない分野では

効果的である。

先生はどこにでもいる

また、持つべきものは先生だが、

先生はどこにでもいる。

僕は、身近に、

プログラマや

ピアノの先生や

外国人英会話教師がいるせいで、

何でもできる。

だが、教師だけに頼ってはいけない。

自分独自にやりたいなら、

毎日日記を書くなど、

「書くこと」が必要になる。

天才になりたいなら

天才になりたいのであれば、

「自分の人生を偉大にすること」である。

一度自分の人生を偉大に生きて、

その上でその人生を書けば、

それだけで偉大な作品が書ける。

簡単である。

偉大な人生を一度生きるためには、

どんなに馬鹿なことでもやってみること。

どんなに愚かでも、

人のやらないことをやること。

たとえば、神を信じるとか、

自分なりに科学技術の発想を研究するとか、

他人とは違った考え方をするとか、

そういう「オリジナリティ」と「偉大な人生経験」を

両立させることで、

才能ある天才作家になれる。

精神を治す方法

精神を治すためには、

何が分かっても動じないようになった上で、

分かったことを無視しなさい。

それで、赤ちゃんから大人になれる。

逆に、赤ちゃんになりたいなら、

新しく分かること全てを捉え、

全てをくまなく分かればいい。

それだけで、宇宙の不可能なことは

全部分かる。

賢いのは赤ちゃんである。

Spotifyを削除

Spotifyを使っていると、「利用期限はあと一時間です」みたいな表示がでたので、

パソコンからSpotifyをアンインストールした。

無料とうたっていたが、無料ではなかったようである。

僕は家入レオの5枚のアルバムを持っているので、

m4a音源で引き続き家入レオを聴こうと思う。

それにしても、無料で使えると言っておきながら、

利用期限が来るのはちょっとずるいような気がする。

やりたいことをやれ

やりたいこと、好きなことをやりなさい。

自分のやりたいように、自分なりにやりなさい。

やるべきことを、それに適した場所や環境でやりなさい。

自分にしかできないことをやりなさい。

恐れる必要はない。

手を伸ばせば、その先に道と力がある。

必要となる行動は何か

ただやるだけではなく、

行動しながら覚え、考え、試し、

結果から反省しなさい。

そして、繰り返しのサイクルを作って、

計画的に、

どのような準備が必要かを知りながら

世界を知り、

調べながら行えば、

ネットと仕事しかできない「恐れの病気」は治る。

判断

必要なのは、

行動しながらどのようにすれば良いかを

自分で判断して考えることである。

判断できない人間は、

判断だけをきちんと自分の力でつけるために、

「自分で判断力を使う勇気」を持てば、

すぐに何でもできるようになる。

判断を行うための前提として、

何を分かっている必要があるかを

考えなさい。

自分が判断し、

ものを作り、

会社の中で仕事をするためには、

何をする必要があるか、

「必要となる自らの行動は何か」を考えれば、

きちんと大人として行動できるようになる。

原理の解明

同時に、社会や機械の仕組みを知り、

原理を知り、

そのシステムが作られる裏側にある知識や歴史を

理解し、覚えなさい。

照らし合わせること、

前提を想定することから、

自分でもそうした原理原則を作り、

発見し、実験し、説明し、再構築できるようになりなさい。

学習し、習得したことに対して、

それが何に応用できるか、活かせるかを考え、

何をするために

どのような技術や経験を習得できるかを考えなさい。

また、一度起きた問題が再度起きるかもしれないと想定し、

事前に予測し、

ふるまいから法則性を見出し、

原理原則を見つけ、

その原理原則がどのような場合や状況において

共通するかを考えなさい。

そのために、何が正しく、何が間違っているかを、

分析し、

「本当に必要な命題は何であるか」を考え、

命題を共有することが、哲学だと知りなさい。

社会の解明

社会全体については、

可能性において人々が何をし得るのかから、

この世界の別の可能性を考えなさい。

心理については、

集団となった状況において、

それぞれの行動がどのような反応から至るのか、

ということから、

関係と影響力を考え、

正しい環境の構築の仕方や、

自由な社会の構築の方法を考えなさい。

また、人々がさまざまな活動や行動を経験し、

自らの人生において自由と経験を重ね、

事実を知り、

この世界における「事実的な反省」を知ることから、

この世界が将来的に至る可能性を知り、

世界のレベルや段階の向上を考えなさい。

社会において、

何が本当に成熟した社会なのかを考えなさい。

そのために経験し、

自らの能力を増やしなさい。

社会の状態を知る

社会がもしそうなったとして、

その社会が何から生まれるのか、

その社会において現実のその社会の状態が

どのようなものになるかを知り、

そこから自然に導かれる、

正しく成熟し、高みから見下ろした、

人生と社会の在り方を知りなさい。

社会が至る可能性がそうなるということを

現実と理想から知り続けることこそ、

正しい人生の生き方であり、

成長の仕方であると知り、

そうした社会が至る可能性を知っている自分が、

この世界における社会の構築ができるように、

この世界にとっての精神的支柱になれるような

そんな存在になりなさい。

そして、人々を導くことのでき、

愛によって分かり合うことのできる、

理性と情熱のある大人になりなさい。

愛を信じる

愛を信じなさい。

人々のことを「救われるべき存在」であると考えなさい。

世界において、

経験と考えたことを積み重ね、

再度同じことを同じように考えることから、

愛の数学を作りなさい。

可能性

社会における可能性は、

その環境がどのように変化していくかを

自然な自由な行動の共有から

感じ続けることだと確信し、

ありのままを許すということを追求していきなさい。

社会が実際にそのようになることを

自分の目でありのままに見つめ続けながら、

その社会がそうなるのであれば、

その社会が別の社会になることもあると、

そのように、可能性を拡大させていきなさい。

実験

そして、可能性を実験し、

試し、改めるとともに、

既に知った己の経験と世界観から、

積極的に行動し、

その結果、本当の自分に対する愛を知りなさい。

支配しない

支配しないことが、本当に正しいということが

そろそろ分かった。

支配すると、他人のことを軽んじ、

この世界の全員に死んでほしくなる。

支配するべきでない。

自分の命すら軽んじるようになって、

何も自分だけの力でしようとしなくなる。

だから、支配しない。

高望みせず、

分相応に自分に相応しいことをし、

ずるい方法で勝利しようとせず、

きちんと努力し、

きちんと正しく生きるようになれば、

悪党になっている今の自分は治る。

それが一番、デザイナーになるためにも正しい。

きちんと正しく生きることができなければ、

どんな仕事でも、

一流になることは難しい。

ずるい方法で勝とうとするものには、

勝利のチャンスも、成功も、

成長も反省も存在しない。

勉強

最近、音楽は聴きたくなくなった。

十分聴いたし、音楽や歌手のことも十分知った。

音楽についていえば、

みんな恋愛を歌っていて、つまらない。

だから、僕は勉強しようと思う。

ただし、僕は数学も物理も経済も嫌いである。

好きなのは哲学と心理学だが、

それももう、これ以上深掘りしたいと思わない。

これ以上詳しく知りたいと思わない。

だが、どんなにしたくなくても、

勉強をしているうちに好きになるものである。

だから、最初は嫌いでいい。

そもそも、昔からプログラミングも嫌いだし、

デザインも最初はできなかった。

きちんと頑張れば、そのうちそれをやることが

大好きになる。

よって、僕は勉強する。

真面目に生きて、

ずるい方法で成功したり、

ずるい方法で流行させたり、

そういうことをせず、堅実に生きたい。

英語

ただ、いきなり一朝一夕で物理学が学べるわけではない。

だから、今自分がやっていることから始めたい。

そのため、僕は英語を学ぼうと思う。

英語は、今僕は英会話学校に通っているため、

分からないことがあれば、

すぐに外国人教師に聞くこともできる。

英語を勉強するために一番いいのは、

生の英語や英文を読むことである。

僕は、技術文書を英語で読むことにしたい。

たとえば、Linuxカーネルのドキュメントや

FreeBSDの開発者ハンドブックを英語で読むことで、

英語の学習にもなって

OSの仕組みも勉強できて

一石二鳥である。

Linuxカーネルはつまらない

ただ、今、Linuxカーネルのドキュメントを少し読んでいたが、

つまらない。

Linuxカーネルの文書は、明らかにつまらない。

もう少し、違った文書から始めたいと思う。

むしろ、ネットやIT技術と、

僕はそんなに関わりたくない。

もっといい英語の文書はいくらでもある。

ただ、むしろ、さらにLinuxカーネルのドキュメントを見ていると、

むしろ、けっこう興味深いトピックはあるから、

悪くない題材ではあると思う。

英語のレベルとしても、技術を知っている人間にとっては難しくない。

だが、見ていると、そんなに文書のクオリティは高くないように見える。

ただ、普通にLinuxを使う上で、

「こんなこと学ぶ必要ない」ような内容もある。

開発者になることは、そんなに素晴らしいことではない。

カーネルは賢くない

実際のところ、パソコンは賢くない。

Linuxカーネルの文書を読んでいると、

その「無目的さ」に気づかされる。

目的が何かあるわけではなく、

単にLinuxカーネルのさまざまな領域や分野について、

何かしらの貢献や開発を行うこと自体が目的になっている。

これは、Linuxカーネルに特有かというとそうではなく、

会社のソフトウェア開発プロジェクトも同じで、

無意味なものを無意味に学んで作っているだけになる。

賢いのはパソコンよりも、もっと他の技術である。

純粋に技術要素を知りたいなら、

カーネルはやめた方が良い。

カーネルは、技術に精通するというよりも、

仕様と規則に精通する、といった面がある。

技術的要素としては、

面白い発明というよりも、

インフラ的・基盤的なものであり、

それだけを開発してもどうこうとなるものではない。

データベースがいいかも

僕が思うに、MySQLなどのデータベースの知識がほしい。

それは、僕はデータベースの知識や経験が欠けているからであり、

知れば何かできるかもしれないからである。

ただ、MySQLは普通に、日本語でもたくさんの情報がある。

英語の勉強にはならない。

パソコンへの拒否症状

そして、僕はもうパソコンやIT技術について興味が薄れてしまっている。

少しずつパソコンに対する情熱が無くなってきている。

同時に、音楽やJ-POPについても、興味がいきなり無くなってしまった。

よって、これ以上、家でパソコンを使う意味がないのである。

だが、パソコンをやめてしまうと、

本当に何もしなくなってしまう。

文書を書いたり、絵を描いたりするのはいいが、

僕はそうしたことをどうやればいいのか、

まだ分かっていない。

人間が何をするのかを考える

実際のところ、人間が何をするのかを考えればいい。

たとえば、人間と人間はじかに会って話をするし、

バッグの中にものを入れて持ち運ぶ。

音を聞いて危険を察知したり、

時計の数字を目で見て、

今の時間がいつなのか、

待ち合わせまで何時間あるのかを知る。

そのような、「人間の生活と生きる力」を知っていけば、

パソコンによって奪われた理性も

もう一度最初から付け直すことができる。

パソコンを無視して

現実の三次元空間における

人間とものの関係と必要性だけを考えれば、

それらは少ない。

ものを持って運んだり、

食べ物を買ったり

お金を貯蓄したりする。

火に手を当てれば火傷をするし、

汚れを落とすために手を洗う。

そうした「生きる上で分かっておく必要のあること」を考えれば、

パソコンで無意味なことばかり分かろうとする、

おかしな「大学病」は治る。

言ってしまえば、

「動物的な人間の性質」を考えればいい。

耳を使う、目を使う、手を使う、足を使う、

そうしたところから、

生きるために必要なこと、

生活するために行わなければならないこと、

リスクや危険に対する対処、

楽しいことをどこから得られるか、

さまざまなシチュエーションなどを考えることで、

人間の「本当に必要な理性」を考えられる。

また、理性のための前提となるのは、

カントのいうように「時間と空間」、

すなわち人生と場所である。

畑を耕したり、

学校に行ったり、

職場に行ったりする、

そういうところから、

この世界にあるさまざまなことを考えられる。

人生で言えば、

過去に何をしていたかとか、

今から何がしたいかとか、

何をしたくてそのことをやったのかとか、

そういう「過去と未来」を考えられる。

また、「考えないといけないことは何か」を考えることで、

リスクや対処策、

あるいは必要なものの購入に必要なお金など、

さまざまなことを考えられる。

自分の欲求に対して、

どのようにすればその欲求を満たすことができるか、

なども考えることができる。

自分の感情や行動がどこから生まれるのか、

どのようにすれば感情をコントロールできるのか、

などといったことも考えることができる。

結論

僕の結論として、

真面目に勉強して真面目に生きるのであれば、

Linuxカーネルでは悪い。

もっと違った分野をきちんと学べばいい。

今興味が持てなくても、

やっているうちに好きになる。

僕は物理学が良いと思う。