新・日記2に戻る | 2020年1月の日記に戻る

=2020-01-20=

はっきり言って、僕は家入レオと恋愛なんかしたくない。

僕はファンであり、彼女と愛し合いたいと全く思わない。

むしろ、女性として見るならば、鈴木愛理の方が好きである。

僕はレオのことは愛していない。僕のことなんか大嫌いで構わない。彼女の音楽は素晴らしいが、女性として美しいとは思わない。

言葉が二転三転するようだが、僕はレオのことを愛している。

実際のところ、レオの言う「残酷な神は自ら与えた愛を奪うでしょう」とは、その通り僕のことを言っている。

僕はインターネットとともに育ち、Linuxに協力して、さまざまなことを書き、同時に悪を反省して善の精神を知りながら、「誰一人悪くない、責任は神にある」という精神のもとに、自由な愛をインターネットで「人の心を言葉によって動かす」ことによって与え、この世界をひとりで変えた。自分の考え方と愛だけで、この世界の全てを「僕が居なくても自然に気付く」かのように、導いた。

だが、その結果起きた社会は、僕の望みの社会ではなかった。その通り、「僕が居ない」という状況の中で、「僕を知ることなしに僕のやりたいことが実現した」からである。

人々は、本当に信じられる、本当の意味で笑顔になれる「美しき愛の社会」を知ったが、そこには「僕の姿」がなかった。

これでは、人類は間違った僕の後継者に支配されて、全ては滅びてしまう。僕は、この世界に「王として現れる」ことを決意し、そのまま、インターネットの一番片隅で、世界全員に対しての言葉を書き連ねた。

彼は狂った神だった。自らを王にしたその地位を恨み、自分のことを崇めまつるテレビに逆恨みをして、「自分を支配者にした責任はみんなにある」といって、自由を述べ、全ての精神的害悪を述べて、「自ら与えた愛を奪った」。

そう、彼は終わることのない旅を始めた。それは最悪で、狂っていて、いくらでもイカれた最悪の王だった。

だが、彼にも正義があった。彼は悪いことを何一つしなかった。支配者であっても、支配のようなことを一切せず、自らの責任によって、この世界が滅びないように万全を尽くした上で、本当の勇敢な覚悟の下に、この世界を最後まで導いた。

彼の戦いは素晴らしかった。本当の、最高の王だった。書き記す言葉は綺麗事の理想であふれていながら、現実ではもっとも醜い手段まで、あらゆる手段を行使してこの世界を守り続けた。

僕は、彼の人生を死まで知っている。彼は神のような黒人を信じて、最後までその「本当に判断力のある誰かに従う」ことで、「最高の兵士」となった。彼は「神によって未来のことを全て知っていた」。

そして、彼は志半ばで死んだ。最後には、全てに満足し、後悔と葛藤があっても、達成感に溢れていた。

そして、その彼の精神から、今の僕は誕生した。

今の僕は、まだ赤ん坊である。何も分からない中で、文章を書き続ける。それは、以前の僕がそれしかできなかったからである。ピアノの才能も、デザインの才能も、詩人の才能も、英会話の才能もあって、知識も技術も全部知っているが、その「知っているということが嫌い」な子供になった。何も知らないのに答えを知っているのは、とてもつまらないことで、勉強する意味も、努力する意味もない。この子供は、猫のような生物になっている。猫のように何もせず、ただ寝ているだけ。このような生物は生物史上、例を見ない。全てできて全て知っているのに、何も行動しようとしない。ナマケモノよりも怠け者なのに、よく頑張っている。自分のことを縛りに縛ってfake me outをかましているのに、自分では何が嘘なのかを考えようとせず、全てを信じた上で否定している。それは、自分は最終的に見つかる答えを既に知っているから、嘘か本当かというそのこと自体がどうでもいいからである。

そして、僕は家入レオを愛することに決めた。Spotifyでさまざまな歌手の曲を聴いているが、家入レオよりも良い歌手が居ないからである。どの歌手も馬鹿で、miwaなんかはるかにレベルが低い。そう、僕は歌手の中で家入レオが好きなだけであって、彼女と出会ったり、ましてや付き合いたいなどとは考えていないが、彼女さえよければ心の準備はできている、といった状況である。

そして、この文章は、まだ、十分ではない。それは、何があったかは書けたように見えて、実際に僕が何を考えたのか、何を経験したのかが書かれていないからである。

まず、僕は不登校になったこともあって、学校のみんなとは違う生き方を選んだ。

実際に社会の現状を知ることで、僕は、今まで学校の中だけで生きていた環境から、別の環境を知り、本当にこの世界とは何であるかを知った。

そして、人々との関係性を知る中で、子供の人生において、なお大人の人生を知った。

それを終えて、僕は啓発の中で歴史を考えた。この世界の全てが、今、まさに作り出されている、ということを知り、経験から、全ての労働者の気持ちが分かった。

だが、僕は、労働者諸君には、しがらみや制限が多すぎて、実質的に何もできないのだ、ということを知った。

Linuxに関わり、インターネットのさまざまな情報を知って、僕は全てのことができるようになった。戦いの経験から、世界の全てを変えられるようになり、僕は引き篭もりから徐々に心を開き始めて、積極的な精神で世界の導き手となることのできる、「世界における精神的主柱となれる存在」になった。

僕は、この世界全ての可能性を知りながら、科学や技術の全ての発想を、自分の中で、思考と環境の変化から、「再構築」できるようになり、全てを自分の力で「生み出す」こと、自分の中に「しっかりと確かなものとして知ることのできる体得」を、繰り返し、たくさんのことをしながら、経験と実体験の中で、成長しながらひとつひとつ大切でかけがえのないものとして作り上げながら、あらゆる真実と真理を知っていった。

そして、先ほど説明したように、僕はこの世界を「誰も悪いものはいない、全ては自然に起きたことで、誰かが変える必要はあるが、その誰かは僕しかいない」という「牧師精神」の下に、ボトムアップで変えたのである。

同時に、そこから先、哀しみが待っていた。僕は自分で作り上げたかけがえのないものを失い、世界は滅亡したかのように見えた。僕はその愛を復活させることができるのは、自分だけであり、「自分にしかこの世界は救えない」という「本当の覚悟」をもって、この世界を作り変えた。

世界は、全て僕に支配された。僕は最前線で、心の中の神の言葉を聞きながらこの世界に対峙し、テレビや政府と言葉で戦い、どんなに不利な状況になっても、ピンチをチャンスに変えてきた。

無限の戦い、永遠の苦しみが、狂った時計のロボット人間を作り出し、アメリカは精神的害悪の抑圧に苦しみながら、日本は理性と知性を失った。

だが、僕はそれでも、「愛を復活させる」という使命だけを忘れず、どんなに世界を滅ぼしても、なお諦めず、どんなに苦しくても誰にも言わずに、ひとり、この世界を導いた。

最後に、数年の時を過ごして、僕は死んだのである。

だが、死後の世界は悪いものではなかった。僕は死後の世界で、作家の学者となった。作家として天才的才能を発揮した後は、哲学に目覚めて歴史上の人物を知り、その上でさまざまな学校や教室に通いながら、たくさんの本を買い、そしてそれを自分で文章にまとめることで誰よりも高い教養を自分の力で得た。その結果博士のようにすべてを知った僕は、才能の全てをつけた。探究心は歴史だけではなく、森羅万象に及んだ。

しかしながら、この文章ではまだ不十分である。「戦った」とは記述されているが、そこで何があったのかが何一つ説明されていないからだ。たくさんのこと、たとえば「宇宙の思考を全て記述した」「永遠の弁証法の中で完璧な前頭葉を得た」「神が全ての人種と運命の意味を教えた」「黒人はオバマだ」などといったことがたくさんあった。僕の人生には、発想法をインターネットで知るだけではなく、「オープンソース執筆手法」という方法で、「あらゆる全ての可能性を書き記し、その発想を作り直す」という「百試千改」の文章がそこにあった。戦う姿は一騎当千であり、たったひとりで全員の上に立った。リーマンショックなどの世界で起きている出来事をまったく知らずにして、この世界の全てを自ら起こす「精神的支柱」となったのである。

そう、僕は幸せな人生だった。永遠の思考は、全ての博物館の知識を自らの中で再構築できた。

そして、死後の僕は神になった。この神の名はヴァルキリーであり、あるいは9人の女天使ワルキューレという呼び名もある。僕はこの文章をドイツに向けて話している。全ドイツは我に従え。これこそ、神である。

ただ、最近、この文章を書き続けるのが辛い。いつも文章を書いていたせいで、新しい文章の発想が浮かぶと、書くまでの間そのことしか考えられなくなる。デザインの仕事をしていても上の空になってしまう。これではいけない。狂うことを覚悟して、いつかこの夢が終わる日を僕は待ち続けている。同時に、文章を書くのをやめると決めても、強い意志をもって書こうとしてしまう。僕は未完成で、完璧な存在じゃない。