新・日記2に戻る | 2020年1月の日記に戻る

=2020-01-19=

なぜか、今日もまだ僕は生きている。

僕のような人間に愛されて、家入レオには迷惑をかけるが、僕はどんなに危険な恋愛でも構わない。僕のことを、どれだけ嫌いでも構わない。僕の方もあなたが嫌いだし、僕の方に迷惑がかかっても僕はそれを臨機応変に処理できる。

だから、僕の罵倒雑言にもう少し付き合ってほしい。

僕は、家入レオの愛し方が気に入らない。彼女は確かに僕のことを愛しているようだが、僕の文章が僕ではないことを彼女は知らない。

僕は、神のような人間でも、友達のような人間でもない。僕は危険の中で失敗を恐れず積極的に全てを賭けて全てを成し遂げる、気高き男だからである。

彼女の中では、僕は神であり、慈悲深い救世主のような存在なのだろう。

実際、僕のこの文章は、まさにそのような人間に見える。

だが、実際のところ、僕は大した人間でもなく、彼女が見て「一番嫌いで一番馬鹿」に見えても、僕は自分の経験と体験に誇りを持っていて、自分の人生の全てを総合して、僕は愛する人を彼女に決めたのである。

愛が無いというなら言えば良い。むしろ、男と男が愛し合うよりは、僕たちは正常である。僕が男で彼女が女でも、何ひとつおかしくないだろう。

僕のこうした姿勢が問題ならば、その問題とすべき人間は、家入レオ本人ではないか。

僕のやり方や愛し方が気に入らないなら、いくらでも注文をつけて構わない。あなたの望む愛し方を求められれば、僕はそのように化けてあなたの前に現れるかもしれない。

危険だからといって、僕は愛するのをやめない。狂おしいほどに愛してくれるなら、僕はあなたの愛をむしろ受け止めない。僕は僕の愛したいようにあなたのことを愛するだけであり、その愛に文句があっても、注文があっても、僕はあなたの望みは叶えない。

言っておこう。僕は家入レオの愛し方に怒っている。僕はもっと違った愛し方を望んでいる。たとえ僕のことをいくら否定しても、僕は僕のやり方であなたを愛するのをやめないだろう。

精神を治したいのであれば、新しい精神を作って、依存関係を考えること。足が治らないのは、脳が足に依存しているからである。そして、精神を治す部分を殺し、治した精神を殺すこと。

僕の意志と力を信じてほしい。この世界を、もっと最高の世界にする。希望と太陽の愛は絶望と時間の停止した暗黒の暗闇を変えていく。必ずこの世界は、暗闇から色彩と喜びに富んだ世界になる。哀しみだけの世界を僕は塗り替える。

僕は、ひとりで居るとつまらない。この世界全てに、僕よりも劣った存在しか存在しない。僕はもう一度、哲学の勉強をするが、そのことに何の意味もないことは重々承知である。僕には何かしらの「大切な存在」が欠けている。僕の人生と生活には、そうした大切で愛する存在が居ない。

そして、死がこの世界に訪れる。この世界は、自由と平等のせいで狂った何もしない世界になって、全ての力を失って時間の停止した状況を呈している。その理由は、僕が全ての精神現象を言い表すせいである。全てが滅亡し、死がこの世界を襲う。そうした全ては僕がやっている。そう、僕は最大の冥府の魔王、滅びの風と暗黒の世界を司る、堕天使のサブリエルである。

自分は、足に力を入れて治すから、足の精神が治らない。治そうとして力を入れるのをやめれば治る。

頑張って耐えている部分や、治って楽になった部分を殺せば治る。全てが良くなった、その楽が悪い。

依存関係に関して言えば、脳や精神に由来する依存関係は、新しい脳と精神を作れば治る。

僕は、今まで、何度も「支配」という言葉を使ってきたが、それに反して、僕は誰かに従ったり、強制的に支配されるのが大嫌いである。

誰かの意見に従う時には、自分でも同じ意見を持てることが大切ではないかと思う。

僕は完全に自由な人間ではないが、平和な社会となるためには、支配したり、誰かの意志に強制的に従ったりする必要なく、自由であることが必要ではないかと思う。

すなわち、「自由=平和」なのである。

僕は、今までの国家主義的な考え方を改めて、自由な人間になる。

たとえば、白人と黒人が差別をする場合、それぞれが互いに戦うのは自由だが、どちらかが支配して、一部の人間がある特定の集団を全員で差別することはあってはならないと僕は思う。

支配者による差別など、本当に平和的でない。

僕は、自由を愛して、もう一度、この世界を自由な世界に変える。どんなに「自由すぎる」と言われようとも、僕は己の自由を貫く。

よって、僕はこれ以上、どんな人間に対しても、意見や意志を強制し、強要しない。このホームページという場で、人々をこれ以上支配しない。そう、僕はここに全ての人類の自由を宣言する。

自由であれ、自らの人生と自らの行為に対して、「自らの意志の自由」があるべきである。

社会の集団やグループの秩序を作るのであれば、異なる意見を持つものに対して、強制・強要することがなく、またた社会を作る場合において、自由な意志でその社会環境に参加・離脱できるようにする。

僕は、自由という発想から日本という国を変えていく。

誰かひとりを支配することももうしない。僕は僕を愛してくれる人を愛するが、僕を愛してくれない人に対してもその意見を尊重する。だが、僕は僕を愛さない人は愛さない。そのような「条件付きの自由」こそ、本当の選択肢と多様性のある社会である。自由でなければ、人間は生きる意味がない。僕はそう思う。