苦しいだけの愚かな人生を生きたくないのであれば、進歩しない中学生になりなさい。
人生を生きた結果、Linuxも、女も、大人も、大学も、そしてみんなも、すべて賢くない。
賢いのは、中学生の時代の自分である。
子供のように生きるから、頭が馬鹿になって対話がこじれるのであって、中学生のような大人になれば、賢くなる。
この世界に賢いものが何もないとするなら、自分のなるべきものは大人としての賢さを持った「本来の自分」であり、それは往々にして中学生である。
また、進歩しない中学生といったのは、昔は進歩する中学生を生きたからである。そして、進歩の結果、哲学者となって博士のようになったのであり、もう一度同じ進歩をすることはできない。
進歩しない中学生になれば、楽になって、まともな人間になる。
中学生になるためには、「自分の力で考えること」である。人々に考えてもらうのをやめ、神に任せるのもやめ、自分の頭と心で、自分の力で考えること。
中学生になれば、もう一度哲学的なことが分かる。西田幾多郎のいう「絶対矛盾的自己同一論」のように、すべてのことを異なっていながらにして同じものとして扱ったりする、そういう考え方が見えてくる。そういう発想は、すべて「進歩しない中学生」から生まれている。
最後に、僕はLinuxやインターネットに関与するのをやめる。今でも僕はLinuxについての過去の悪行を悔やむ気持ちでいっぱいである。この世界が正常になるために、Linuxについてはネット社会が正常に戻った上で、僕が去らなければならない。僕は、最後に責任をとって、インターネットを支配する悪の女王をやめなければならない。できるだけそのままで、放っておいた上で、ただ、僕が去るだけである。
また、Windows 10へのアップデートは成功した。