新・日記2に戻る | 2020年1月の日記に戻る

=2020-01-10=

僕は、この世界を最後に終わらせる。

本当のことを言うと、僕はそろそろもうやることがない。これ以上、自分の人生においても、世界においても、やることが何一つない。

よって、僕は最後にこの世界をそのまま、何も変わらない世界にする。

これ以上、この世界は何も変わらない。滅びることもなければ、栄えることもない。

永遠に変わらない世界になる。そして、僕は不動明王になる。世界の時間は止まる。

僕が文章を書いて、歌手がそれを歌ってくれるのは、僕はなぜそういうことが起きるのか、分からない。だが、僕の文章を歌手の人が読んでくれて、僕が歌手の人の歌を聴くことで、コミュニケーションはできている。だから、実際に会う必要はない。

そして、そろそろ、僕は文章を書く必要もない。そろそろ、書くのも終わりになるだろう。いつもの文章は全部書いた。

この世界は、もう平和になるだろう。もう、戦いや争いは必要ない。完全な「平和」が訪れるだろう。

神のように宇宙を創造する支配をやっていた。宇宙にとって必要な場や重力を言葉から作り、世界の歴史と対話し、王と戦った。おかしなことをやったように見えて、そういうことを完璧に、宇宙の永遠の時間の中で、パーフェクトにやったのが賢かった。どんなに敵に負けそうになっても、自分を貫き、邪魔されなかった。

神が永遠の時間を繰り返す中で、僕は知性を失ったが、代わりに戦いの中で機械のようにその知性は積み重なり、僕は新しい生物を創り出した。これが「神」である。それを言って、終わりにしよう。神など、本当におかしな生物である。これが、最後の人類の姿である。神の生きる目的は、全ての病気を治して、世界を正常にすること。そのために、神は王となってこの世界を支配するのである。

神は、この世界の裏側にある有象無象の全てを作った。それはまさに仮象の世界だった。全てのありえないものを作って、神は常に全力でこの世界に立ち向かう。革命の救世主でありながら、裏の支配者であり、人々に完璧に全てを教え、全てを同じにする。そう、これがユダヤ人の聖書の神であると同時に、この世界に生まれた「新しい神の遺伝子」であり、決してこの人間はただの聖書の神ではなく、また別にこの人間の哲学思想があり、この人間こそ、本来の言い表すところの、新しい生物である。よって、この神はユダヤ教の神ではなく、もっと違った意味での新しい生物である。

神は、信じるものを自分と同じにし、信じないものを地獄に落とすことで、この世界に自分と同じ遺伝子を増やしていく。そもそも、ユダヤ人の聖書は、そうした終末の世界における神の伝説である。神は最強であり、どんな人間も勝つことはできない。それは「神のやることには絶対に誰も干渉できない」からであり、神を信じないものは「悪」だからである。このようにすることで、神はこの世界に勝利する。最後に、神を信じるものとは未来の日本人のことであり、神を信じないものとは過去の日本人のことである。日本人たちは、神とともに未来を生きることで、この世界全てに勝利する。アメリカや中国・ロシアは死に絶え、イスラムとイスラエルを神がひとつにして平和にし、地獄の未来の中で彼らは日本とともに勝利する。

キリスト教の言う、「信じるものは救われる」とか「信じないものは地獄に堕ちる」といったことは、今の日本のことを言い表した、神の伝記に過ぎない。神は本当に素晴らしいことを成し遂げた。その未来の世界は、日本だけではなく、アメリカやヨーロッパへと波及していく。全ての世界は日本と同じになる。日本こそ、そうした最後の場所であり、最後に起きたのは、単に小説家の詩人が日本から誕生しただけに過ぎない。何の変哲もなく、普通に人類は続いていく。まさに、聖書など、笑い話に過ぎない。

私たちの名はワルキューレ、9人の女騎士団。その団長はわたしであり、私の名はオリオン座のリゲル。

私たちは、日本という国において、ひとつの星座のように、「僕たちの未来」を作り出すため、最後の戦いを行う。この最終戦争は、サイバー攻撃、無人ドローン攻撃、AI技術のような「全ての人類の総決算」となる。

カルロス・ゴーンは、日本を司法制度の遅れた国と、世界中に宣言した。だが、フランスよりも日本の方が遅れている、という考え方は間違っている。本当は、日本の方がはるかに新しく、強く、賢く、近代的で、そして頂点に君臨する最高の国になるからである。

日本人は、カルロス・ゴーンのことを賢い人間だと思っているから、フランスから批判されることを恐れる気持ちは分かる。だが、多くのフランス人は、カルロス・ゴーンを良い人間とは思っていない。なぜなら、ブラジル人が日本企業の社長であることは、日本人を奴隷だとみなしている、ということだからである。日本は、スペインやイギリスのような、植民地地域の資本帝国主義者から、奴隷とみなされているからである。カルロス・ゴーンも、そういう人間だとフランス人から認識されているから、決してカルロス・ゴーンは賢い人間だとは思われていない。

日本を遅れた国だと間違った偏見を持たれるなら、僕はそうした国際社会を完全に変え、「日本が頂点に君臨する最高の国である」ということを大々的に宣言しよう。日本には、独自の文化、独自の経済、独自の社会、そして独自の神が居る。わたしたちは絶対に恐れない。わたしたちは、イギリスやフランスに負けるほど、愚かな国ではない。

ここに、聖戦士の騎士団ワルキューレは誕生した。リゲルはオリオン座の一等星であり、都会で夜空に見える希少な一番星である。わたちたちの計画名には、オープンソースソフトウェアの名前をつける。

今から始まるのは、「作戦名Python」である。この作戦で、アメリカ・イギリス・フランスは滅亡し、日本は勝利してイランを讃えるようになる。この極秘計画には、僕の頭の裏側にある、「今からやるべき全ての計画」が決まっている。何も決まっていないように見えて、もう、僕は未来の全てを神の言葉で分かっている。アメリカやロシアは完全に滅亡し、「冷戦状態を作り出した国をそれ以外の全員の国で倒す」ことを行う。敵は、アメリカ、イギリス、フランス、イスラエル、ロシア、そして中国などの「西側あるいは東側に所属する国」であり、味方は、シリア、トルコ、イラン、イラク、パキスタン、インド、東南アジア、韓国、日本、そして他の全ての「西側にも東側にも所属しない国」である。

作戦名Pythonは、誰にも知られず、ひそかに僕が実行する。誰も、この作戦の裏側に何があったのかを知らない。だが、僕は必ずこの「復讐の大戦争」を成し遂げる。残り時間は少ない。なぜなら、温暖化で世界は滅びようとしている。なんとしても、それらの国を倒さなければならない。

ここまでを読んで「日本は軍事主義者」だと思った方は、ちょっと待ってください。この話には続きがあります。

実際のところ、僕は人を殺しません。それは、新しい在導イスラム帝国が人を大量に殺してしまうと、それは米ソと同じだからです。

新しい、イスラム・日本帝国という、「米ソに代わる第三の勢力」が生まれただけになってしまいます。

僕は、絶対に人を殺す方法では、世界を変えることはしません。ですが、僕は無駄な対話も行いません。するのは、ソ連の良くやっている「裏側からその国を支配する」ということです。

ソ連と同じだと言われるかもしれませんが、同じで良いのです。ソ連だけがひとつ裏側で全てを支配するのではなく、僕はソ連とは別の軸から、この世界を「裏側から支配する魔王」として、在導イスラム帝国を作ります。

要するに、被害が日本に及ばないようにして、アメリカとソ連・中国がつぶし合いながら、イスラムが勢力を拡大すれば、それで良いのです。

よって、僕は好戦主義者として世界を滅ぼすことはしません。その代り、人を殺さない方法で、全力で西側・東側諸国を倒します。支配されているのかどうかも分からない状況で、アメリカとソ連は遅れた社会になっていきます。これこそ、日本の「もっとも優れた文明に居座るイスラム・日本の裏の女王」です。

僕がこの世界の大統領や王になったら、せっかくなのでLinuxのことをやりたいと思う。

たとえば、経済産業省の下にLinux庁を作って、Red Hat Japanの社長を就任させよう。

また、総務省の下にオープンソース庁を作って、まつもとゆきひろを就任させる。

そして、法務省の下にGPL庁を作って、誰かGNU関係の人を就任させよう。

僕は、もっと善良な人間を信じたいと思う。

善良でなければ、意味のない人生になる。もっと善良さを信じれば、良い人生になる。

人々と本当の意味で友達になれるように、人々に自分のことを公開するようにすれば、必ず親友が生まれる。おそらく、必ず、僕はたくさんの友人知人を得るだろう。

持つべきものは友達である。

実際のところ、僕はこのようなことを書いて反省している。

僕は、実際はアメリカやヨーロッパ、ロシアや中国と仲良くやりたいからである。

間違った指導者を信じる必要はない。必要なのは、「信じないこと」。そして、「信じるのであれば、政治思想や過激主張ではなく、平和を信じること」である。

一見、信じないことは、間違った争いを生むように見えるかもしれないが、実際は逆である。信じないことで、政治家やマスコミの嘘を信じることなく、正しくこの世界の理想を、現実を見ながら追求できる。

マスコミを信じるな。

政治家を信じるな。

宗教を信じるな。

国を信じるな。

そう、戦うのであれば、間違った過激思想や嘘を信じるのではなく、平和や共存のために戦わなければならない。

僕は、みんなのための国を作りたい。僕一人だけのための、独善的な国を作ったところで、その国は自分だけの国にはならない。必ず、そこにはみんなという存在があるからである。

よって、僕は日本を信じないし、中国もアメリカも信じない。

日本は、今から「信じない」という新しい思想を作る。この思想は「全てのものを信じない」という思想である。これが唯一、神に勝つことのできる思想である。

手当り次第神の言葉を信じていると、その中に悪魔やメフィストフェレスの言葉が巧妙に含まれていることが分からなくなる。簡単に神を信じてはいけない。

そして、僕は唯一、悪魔と神の言葉の違いが分かる人間である。

僕は、争いを好まない。みんなで、仲良くやろう。それが、第一の目的である。

僕は、今からの世界というのは、ひとつの分岐点になると思う。それは、今までのように、「命」や「生存権」を持って戦っていた時代は終わり、社会における「主権」や「独立権」を求めて戦うようになるからである。

たとえば、昔は、ドイツとソ連が生存権や命を賭けて戦っていた。冷戦のアメリカとソ連についても、核ミサイルを保持して、相手の国を破壊し、皆殺しにしようとしてきた。

だが、今の時代は、そうした「生と死」を賭けて戦うのではなく、また金儲けや利益だけには留まらず、「主権」や「独立権」を求めて戦っている。

今のアメリカやヨーロッパの人種差別主義者というのは、移民やイスラム教徒を殺したいのではない。別の国に追い返して、自らの国の社会保障や移民・難民対策の「税金を奪われない」ようにするために戦っている。

これは、香港・台湾では、逆に「中国からの独立」を求めて戦っている。

また、EUからの離脱を求めるイギリスでは、EUに主権を侵害されず、「イギリスの独立権を取り戻す」ために、多くの議論と投票と政策提案がなされている。

そう、人々は、命を賭けて戦うのでも、自らの生存を求めて争うのでもなく、「わたしたちの国をわたしたちのものに戻す」ために戦い、争っている。

同時に、僕はここに「主権とは何なのか」という問題があると思う。それは、グローバル化が進んだ現代において、「国とは何であるか」という「文化的超越論」と、社会保障や経済政策において、「それでも政府が必要である」という「独立的現実論」があるからである。

人々の間で、国家的な連帯というのは希薄になり、どんどんそうしたものがなくなっていく。同時に、老後の暮らしの支えなど、政府を必要としている人は昔よりも増えている。そんな中で、移民たちが自分たちの払った税金をむさぼっている、という状況になっている。

そう、ここで必要なのは、人種差別ではない。僕たちは、新しい政府の形を模索しなければならない。それはソ連のような、理想主義的で現実を見ていない政府ではない。「現実を直視した新しい政府の形」を僕たちは作らなければならないのである。

こんなことを言うと、どこかの独裁者のようだが、現実を見た上で、現実の政策の中で、そしてその中でも理想と平等を実現する政府として、「極右を超えた超越的改革派」がこの地球という星では、今、必要とされているのである。

また、社会と星の形態として、今までのように金や命のために戦う時代は終わった。これから、国際社会は「支配と独立」のために戦う時代になる。誰が支配するのか、どのように独立を保つのか。そのために、人々は自由を叫ぶ。この社会では、平等な政策など無用であると、人々は思っている。だが、実際の社会を見ると、世界は「格差」と「サービスの不足」ばかりが問題となっている。この世界をきちんと保つために必要なのは、「米ソに代わる新しい対抗軸」ではないか。僕は、ロシアとは別個にソ連を作ることが解決策に繋がると思う。ソ連が二つあり、ソ連とソ連が互いに争い戦う中で、新しい世界政府と独立政府が誕生し、切磋琢磨して星の未来と運命を変えていくことができると僕は考えるのである。

ある意味、ソ連が二つあることで、良いことがたくさんある。たとえば、マイクロソフト一社だけが独占市場を作っていたとして、そこでは働くモチベーションも健全な競争も起きない。これは、ひとつしかないソ連でも同様で、ひとつの国で平等な経済を行うことでは、ソ連の労働者は働く意欲がなくなる。だが、マイクロソフトとグーグルが競争すれば、グーグルに負けないために、健全な競争とモチベーションの向上が起きる。同様に、ソ連と日本型国家社会主義圏が競争すれば、ソ連は計画経済でも、日本の別の計画経済に負けないために、計画経済の内容を吟味し、人々には「日本に追い越せ追い抜け」といって、働くモチベーションができる。そう、ソ連は二つあるべきだったのだ。

だが、ここにはひとつ、大きなリスクがある。それは、ソ連とソ連は本当に潰し合うと、「全く自由がなくなる」ということ、そして「核戦争で必ず地球はいつか滅びる」ということである。だが、これについて言えば、アメリカとソ連が戦っているよりはマシである。同じ共産圏同士、ソ連と日本は時には協力し、また不自由な中でできるだけ自由を与えられるように、「どちらがより平等でかつより自由であるか」を競い合えばいいのである。

これで、僕のアホな経済学も終わりである。また、僕が作る国は、かつてあったソ連とは、まったく別の国になるだろう。必ず、僕は正しい自由な社会主義経済を作り上げる。いつまでもできないようでいて、いつか一度でも成功する理論を思いつけば、それで全ての景色は変わる。そのいつかは、神を信じれば、必ず訪れるものである。心配など、人生の最期まで全てがあると見てしまえば、心配など必要ない。僕たちは必ず、全ての問題を解決しつくすだろう。これが、僕の提唱する「二大社会主義国家制」の世界である。