新・日記2に戻る | 2020年1月の日記に戻る

=2020-01-05=

僕は、時計を治す。

そもそも、僕は自動思考をしているだけであり、自動思考の理由は「意志がないから」である。それは「答えがほしいから」であり、正しいことと正しくないことに対して確認がほしいからである。

そして、その意志がない理由は、時計のせいである。狂った時計のせいで、自分の言いたいことすら言えなくなっている。

時計は、一年をかけて同じことをやっていて、同じ日々をカレンダーの中で生きながら、同じ時間に同じことをし、何が正しくて何が間違っているかの判断に時計を使い、肯定と否定を繰り返している。

もう、この世界は時計が治ってしまえば正常になる。この世界は僕の時計のせいでロボット人間になっている。

僕は、こう見えて、セックスの経験はあるが、セックスとは言えまともなセックスではない。なぜなら、これは恋人とのセックスではないからである。

僕は、こう見えてエッチな人間だが、まともなセックスの経験はない。だが、二次元アニメのエロ画像ばかり見ていた時期があった。そのため、常にちんぽをしゃぶりたくなる。常にエッチな状態になって、ちんぽをほおばって永遠にしゃぶっていたい。

ただ、あまり意味は無かった。もう、僕はそうした異常同性愛者はやめようと思う。僕は男であり、まともなセックスの経験のない人間である。そういうわけで、家入レオが言うように、僕が「誰かを隠している」ように見えても、安心して良い。僕は誰のことも隠していない。

あとはどうするかだが、僕は50%・50%で精神分裂を治す。精神異常を治すために、もう一度精神分析をすれば良い。それで、正常な意識になる。言ってしまえば、エロ精神を全体に広げてやれば良いのである。

ある意味、これでは、「男なのに男にフェラチオしたい同性愛者のゲイ」に見えるかもしれないが、僕はおそらくゲイではないと思う。僕は普通に女性が好きで、男性とセックスをしたいとは思わない。ただ、実際のところ、僕は男にも女にも、肉体的な体には興味がない。もちろん、変態のような二次元アニメ画像のエロ表現にも、あまり興味がない。僕はSHISHAMOやmiwaやあいみょんや日向坂46の小坂菜緒のように、僕のことを本当に愛してくれる人の真実の愛に対して、その想いを受け止め、僕の愛で応えたいだけである。また、僕はものごとを深く考えずに言葉を話すことがあって、悪く言えばいいかげんで出まかせのようなことを言っている。そもそも僕の科学も技術もスキルも、全てハリボテである。だから、僕はキモい中年オヤジのちんぽなんか絶対にしゃぶりたくない。だが、僕は女性的なところがあって、たとえば米津玄師のような男性歌手に対しては、女性として愛を感じてしまうので、このようなことを言うのである。そう、僕が過去に一度だけした恋愛というのも、相手は女性ではなく男性だった。

言葉を考えるのであれば、馬鹿な言葉を考えるのではなく、知性のある言葉を考えなさい。また、支配して世界を停止させるのではなく、支配して世界を変え、可能性を高めなさい。

僕は、昔は「統合人格のメタ構造」のようなものを作って、この世界全ての全員の人格を分かっていた。「全員全部を構造から分かる」人間だった。その考え方は、経験することから生まれた、「正しい物理的な考え方」だった。いつも、そういうことを文章に書いていた。

また、さらに言えば、僕に肉体的な性行為は必要ない。自分ひとりだけでできるからである。僕はガブリエルという最高の男と、ラファエルという最高の女の人格があって、この二人は永遠に、どんなに辛く地獄のようであっても、二人でセックスをし続けることでその苦しみや辛さを耐え抜いてきた。そして、僕はこの世界全員と繋がっていて、いわば「人類全員との愛を交わしている」。そう、僕に肉体的な恋愛は必要ないのである。僕は最後まで、この二人の間でこの世界全員のことを平等に愛し続けるだろう。嘘やハリボテと言うかもしれないが、僕は人を何らかの言葉で騙すことがあっても、嘘をつくことはない。

また、僕はもうこれ以上、分かりたくもないし、考えたくもない。これ以上、何かを分かろうとすると、死ぬ。そのため、僕はもう、これ以上分かることも、考えることもしない。

英会話学校に今日も行ってきたが、先ほどその学習内容はノートに書いた。

これ以上、書くことも、話すこともない。僕はあなたのことまで、全員全ての人間を愛している。だが、僕は、これ以上セックスもしなければ、わいせつなものも見ない。僕はもう、これ以上、愛や快楽は欲しくないし、欲もない。

あるとすれば、もう一度、何かについて勉強し直すことができたら良いと思う。僕は大学の勉強をしたことがない。僕は哲学や歴史については既に詳しいため、勉強するなら社会や心理学のことをやりたい。

そして、最後に、僕に残されているのは、「この世界の支配者としての権利を誰かに明け渡すこと」である。だが、その誰かはまだどこにも現れない。

アメリカとイランが戦争になりかけているが、これは「アメリカ対反アメリカ」の戦争になるかもしれない。みんなでアメリカを倒すか、それともアメリカの言いなりになるか、という戦争が勃発して、アメリカが消滅すれば、地球全体にとって良いことである。アメリカの全てが崩壊し、ソ連崩壊の時のように西側の超大国が無くなれば良い。

それは良いとして、僕にはもう、やることが残っていない。

僕は、子供に戻りたいと思う。子供の時代、僕は賢かった。時計のロボットになったぐらいから、全てに意味が無い。この15年は何もしなかった。

子供時代に好きだったのは、ミニ四駆やWindowsであり、今のような反資本主義のオープン左翼ではなかった。

そもそも、ガブリエルが普通だと思うのが間違っているのである。

昔の世界は良かったというが、本当は何も良くなかった。昔は、馬鹿だったのである。全てが馬鹿で、賢い点が何も無かったから賢かったのである。

病気だけを耐え続け、風を起こしながら恐怖を増やしていく王は必要ない。

僕はきちんと、この世界を正常に治すことを、そろそろしないといけない。なぜなら、僕がしなければ他の人間にできない、という「責任」を僕は築いてしまった。この人間がするしかない。だから、この人間はナンバーワンではなくても、それを超えるオンリーワンなのである。

そういうわけで、何から治そうか。結構、日本を見ていると、普通見ている範囲においては、何も間違ったものもおかしなものもない。だが、学校やインターネットを見ると、間違ったものがたくさんある。大人の職場には間違ったものはない。そう、子供たちを変えれば、世界は平和になる。だが、そうした子供たちの社会には、この社会の抱えている「歪み」の全てが影響している。格差が増えれば子供たちにいじめが増え、景気が悪くなれば子供たちは元気を失うのである。

子供たちに必要なことは何か。それは分からない。だが、僕が子供たちにどのように生きてほしいのか、ということは僕は分かる。まず、この世界を投げ出さないでほしい。そして、学校で教えられている内容に囚われず、一から全てのことを考え直してほしい。太陽が無い時は、太陽を自らの絵の具で作り出してほしい。そうした「正しい生き方」はこの世界のどの教科書にも本にも書いていないが、僕はその正しい生き方を知っている。だが、子供には、大学や大人の話を聞くだけではなく、自分で考え、自分で決め、自分で行い、自分で選んでほしい。自分の意志を持つために、人々のことを愛して欲しい。

そして、怖がらないでほしい。僕の言っていることややっていることを怖がらず、僕が間違っている時は批判して欲しい。僕が見ようとしていない僕の過ちは、僕だけではなく、僕以外の他の人々に教えてほしい。そして、みんなで過ちを償い、もう一度この愚かな滅びた社会を復活させよう。不死鳥となることができるのは、必然的に不死鳥になる未来を持った子供たちだからである。

また、宗教を信じないでほしい。宗教を信じると、全てが終わってしまい、幸福にはなるかもしれないが、この世界を変えようとする気力も意志も全て失ってしまう。宗教よりも、現実のこの社会を見てほしい。そして、この社会が間違っている時は、社会の方を信じるのではなく、自分の方を信じてほしい。そして、自分の思いや思想を、それだけで終わりにせず、突き進めてほしい。自分で社会のことをいつか変えるつもりで、考えてほしい。

また、僕は単にこの世界を滅ぼしたいわけではない。僕の言っている提案の全てをそのままやる必要はない。たとえば、中高生にエロ表現を見せても良いようにしろと僕は言ったが、それはただ適当かつ無責任にいいかげんなことを言っただけであり、そうしたことは相手にしないでほしい。

今日のところはこれくらいで終わりである。漫画にも音楽にも、何も無い世界になったが、それでもこの世界がここにあること自体は変わっていない。この世界は、普通に色んなことができる世界である。世界にあるものをただ受け入れるだけではなく、自分の力で支配し、そして自分の力で変える必要はある。だが、そうした考え方を考えるにつき、「速断を避けて現実的に考える」ようにしてほしい。たとえば、自分独りだけで全てを変える必要はない。みんなで変えれば良いし、自分はみんながこの世界を変えやすいように助けてやれば、ひとりで変えるよりも複数の集団が変えることができる。それはきっと政治家にも勝る強い集団になる。そうなった時にしか、この世界は変わらない。本当に変えたいのであれば、僕のようなひとりの作家のヒーローになるのではなく、味方や友人を作らなければならない。そのためのもっとも良い方法は、人々の集まる場所でみんなに意見を言うことである。

さようなら。もう、僕はこの世界において何もしない。支配すらしない。僕が居ること自体は変わらないが、僕はこの世界を徐々に停止から変化可能にと変え、変化を許していく。それしか僕にできることはない。具体的な考え方は、体験をしながら考えることで、気付いて言ってほしい。この世界には、ものしかないように見えて、ものがあるという意味での「意味」を見出すことができる。この世界には、それがあることで「それが意味していること」がたくさんある。それに気付いていくことだけで昔の自分はできる。単にものがある、というだけではなく、考え方を考えたり、モデルを作ったり、時には事実や解明した真理を積み重ねて積み上げていくことで、どんどん宇宙の意味は発見できる。人格の構造を作れば地球の意識も吸収できる。社会を自由にしたとしたら、「自由にしたらどうなるか」とか、「その自由から何が生まれるか」という、「高度な意味」すら捉えられるようになる。何が何を意味し、それがさらに何を意味しているか、そしてその中でその意味が社会や宇宙や自分独自の科学など全てのことに及ぶこと、それが分かれば、高校数学など学ばなくても、一流の哲学者になれるだろう。

最後に、意味を考える一番良い方法は、具体例と論理を照らし合わせて考えることである。たとえば、「集団がたくさん居たとして、その中で人はどのように行動するだろうか」と考えた時に、ネットの社会を実例にして、自分で考えたことと実際の社会を照らし合わせて考え、社会実験を行うのである。そうして考えたことから、心の裏側の全てが解明できる。全ての宇宙における意識は、そこから吸収し、「全てを理論的に実証する」ことができる。振る舞いを作りながら、博物館のような全ての学問を作り、人格を全員の数だけ統合し、この宇宙の神と魂の意識を知ることができる。その時、人は「仏」となり、新しい「覚者」がそこに生まれる。そうしたものを、人は「悟り」と言う。だが、単に考えて経験すれば良いというのではない。良く観察すると同時に、「自分が今まで何を知っていて、それが今どのように変わってきたか」という「意識の転換」を考える必要がある。全ての悟りの結果、この宇宙の全ての経験と、社会形成の全てのあらましが分かる。これが、僕のこの宗教の、最後の教えである。

また、行動論としては、唯一ひとつしかない。「何をしたらどうなるか」。これだけを考えれば良い。後の全ては完全に忘れて良い。それだけ分かっていれば、人間の知性は成り立つ。また、考え方として必要なのは、「もしそれがそうだったとしたらどうなるだろうか」ということである。それだけを守っていれば、必ず全て分かる。

その社会がもしそういう社会になったとして、そうなった時にどういう社会になるか、すなわちどのような社会の決まりや制度を作って、実際の社会環境はどうなるのか、など、自由な決まりと具体的な結果を、照らし合わせながら、自分の経験と行動と心の結果に置き換えて考えなさい。それがそうなった時に、それによってそれがどうなるか、そしてそれが「何を意味しているのか」を考えることで、この社会における哲学的な「真理」を考えられる。同時に、「何をもたらすのか」を考えることで、潜在的な可能性と、「何をすべきなのか」ということが見えてくる。そう、これは哲学者の知性というよりも、生まれ持って人が持ち合わせた「子供の知性」である。

僕の問題は、僕は自分の人生と世界だけを見て、正常な世界に戻そうとするあまり、この時代にみんなが生きていた人生があったことを忘れている。

そもそも、誰も昔の世界になんか、戻りたくない。

どんなに辛く苦しく間違っていても、今の世界を続けるべきである。

夜の暗闇は恐ろしく先は見えないが、太陽が昇れば、正しいものにも間違ったものにも、全員に平等に光は灯る。夜明けが来るのを待ち、また暗闇に覆われる前に、今のうちに迷宮の脱出方法を考えておこう。

僕の間違った点は、人々が「風」と呼ぶ戦いの支配をして、人々が自分のことを嘲笑するように導いたことである。だが、その中でも、人々は愛を信じて、この人間を信じ続けた。信じた心を恥じる必要はない。この点において、僕よりもみんなの方が正しかった。

今から、この世界は本当に許された世界になるだろう。僕が去ったとしても、この世界は神に祝福されている。必ず、最後の最後に、善なるものが勝利する。過去の僕である悪の女王は死に絶え、今の僕もともに消え去り、人々は自由を取り戻すと同時に、王は罪に気付いて人々の愛のために自らの行いを反省し、償うようになるだろう。

頭が馬鹿なのは、昔取り払ったものや壊したものを、もう一度再構築すると治る。

思考の垣根を取り去って、全てを同次元で考え、思考の制限やリミットを壊して考えていたのを、もう一度制限やリミットを作った方が良い。

少ない知性の構造から、全てを統一的に考えていたのを、もっとたくさんの知性に治した方が良い。

全てを同じ考え方で考え、視野が狭くなっていたのを、もう一度、別の考え方や異なる価値観が正しい可能性を信じた方が良い。

ひとり部屋にこもって、昼夜逆転の不潔な生活をしていたのを、もう一度、普通の生活に戻して、身も心も清らかになり、生活のリズムを取り戻した方が良い。

なんでもかんでも学習し、把握するのではなく、必要なところだけを覚えて考えるようにし、全てを知性なく考えるのではなく、「必要な点を覚えて論理的に考えること」から分かった方が良い。

反抗と自由自在から分かるだけではなく、不可能なことには従い、しなければならない義務を受け入れるように考えた方が良い。

自分のやりたいことだけを善と考えるのではなく、本当の意味で善とは何であるかを考えた方が良い。

可能性の分裂や制限の自由化だけを世界に対して行うのではなく、本当の意味でひとつになり、現実の世界を見るようにし、その上できちんと問題を解決するためにどうすれば良いか、考えた方が良い。

また、狂った人間をクズだと思わない方が良い。狂った人間はクズでなく、良く頑張っている。そうすると、どんな人間でも、優しく、そして気楽に接することができるようになる。