新・日記2に戻る | 2020年1月の日記に戻る

=2020-01-04=

今日は、新年初の英会話学校に行ってきた。

今日習ってきたフレーズは、「Speaking of ...」と言って、「その話をするのであれば~」といったように、誰かがその話をしていた時に、関連して別の話を始める、ということを習った。

僕の今年の目標は、「英会話で習ったフレーズをノートに書く」ということである。これを後でしようと思っている。

僕は、四次元の時空座標に対して、もう一座標、「回転と方向」という座標を考えられると思う。その点があったとして、その点が360°の中でどの方向を向いているか、どの向きに回転しているか、という新しい五次元の座標を考えられる。この時、座標は円周上を移動するか、あるいは座標そのものが回転する。これは、宇宙における「天体」の動きと合致する。たとえば、地球は太陽の周りを回っていて、同時に地球内の空間は全体で回転している。これが、「五次元の座標次元」である。たとえば、数学で言えばベクトルの向きと方向の合成を考えたり、デザインで言えば3Dモデリングで立方体を回転させたりすることで、「360°回転という新しい軸」を考えられると僕は思う。

また、僕は生物の目的とは、家入レオが言うように「花になること」だと思う。植物は、花になるために生きている。花が一度咲いてしまえば、実をつけ、その上で滅び、新しい生物へと次の子孫を残す。

また、僕が知っていることは、僕は歌手の言っていることをそのまま言っているだけである。だが、僕はこれが運命の出会いであると同時に知っている。それはなぜなら、歌手だけではないからである。僕に対話してくれた神は、「あなたはイスラム教の聖書を作る」とか、「あなたは全ての本を読む」とか、「あなたはイスラエルで普通の共産主義をやる」とか、そういうことを全部言っていた。そう、僕は未来を既に知っていたのである。そのため、たまに「今の自分の全てを生まれる前から知っていた」という現象、すなわち「すべて覚えている現象」をよく体験していた。また、僕が何かを書いたり、知ったりする以前、僕が地獄に陥るよりもずっと前から、僕のこの人生は全て決まっていた。2006年の時点で歌っていたFLOWの歌は、2010年代の僕の人生を歌ってくれている。そう、だから、これは運命の出会いのひとつであると言えると思う。これが「Fake love」だったとしても、これはトリックでも嘘でもなく、きちんとした「本当の愛」である。

英会話学校で習った内容を、教科書を見ながらノートに書き写した。

僕は、この世界を「自由」にすると同時に、エントロピーの低い「整然とした社会」にする。つまり、僕はこの世界を、それぞれの構成員が自由にコントロールできる「自由な共同体」にすると同時に、その共同体の人々が作る環境や社会に干渉し、「このようなルールと規範に基づいて社会を構築しなさい」ということを提示する。

たとえば、大日本帝国憲法において、天皇はどんなことでもすることができたが、その中においてもなお、天皇が「このようにあるべき」だとか、「このような典範に則って天皇は行動しなければならない」という「決められた行動様式」が決まっていた。

僕は、自由な共同体にし、技術を発展させるだけではなく、そうした共同体と科学技術において、「このように行動すべきである」というルールと規範を決める。

たとえば、学校において、どんないじめもしてはならない。いじめには程度のレベルがあり、最初の段階は無視したり悪口を言ったりすること、次の段階はものを隠したり暴力をふるったりすること、その次の段階は人前で恥をかかせたり強引に性的な暴行やハラスメントを行うこと、最後の段階はそれらよりも過激かつ強大なあらゆる自尊心と人間性の破壊行為を行うことであり、特に1~2の段階は注意をしたりすることで済まされるが、3~4の段階になると処罰をして良いことにする。

そのように、ただ自由な社会や自由な共同体にするだけではなく、「その中で人々がどのように行動すべきか」ということを決める。これは経済社会についても同様で、最初の段階はブラックな労働をさせたり会社として不正を行うこと、次の段階は個人に対して盗難や性的暴行など「人間性の破壊行為」を行うこと、その次の段階は社会全体、地球の自然環境において人々に不利益を与えること、最後の段階は殺人や強盗など「凶悪犯罪を行うこと」である。1~2の段階では、法律上の処罰で済むが、3~4の段階では社会全体でルールを定めて禁止し、違反したら逮捕するようにしなければならない。

これでは、「単純な法律やルールに過ぎない」と思われるかもしれないが、僕が言いたいのは、単に自由にするだけではなく、その自由な権力の中で「こうすべきである」という規範、すなわち「共同体の憲法」を定めることである。こうしたルールに基づいて、共同体はさまざまな自由な自治活動を行うことができるようにする。その結果、「整然とした社会規範における、多様な共同体と自由な社会」が築かれるのである。

最後に、僕はこの世界を正常な世界にする。

そもそも、アメリカやソ連のような社会は必要ない。アメリカはエントロピーが高すぎてカオスのようになりつつあり、ソ連は誰も生きられない破綻した経済になった。

僕は、この国を民主主義のままで普通の保守的なドイツにする。

今から、この世界の全てが正常になる。まず、いじめは上記の僕の「レベル分けいじめ評価」によって、凶悪ないじめだけが無くなり、程度の低いいじめでも注意されるようになる。同時に、今から僕は過度なIT社会と自動車社会を改める。まず、「ITの発展は促すが、ITが無くても社会が成り立つように、同時にアナログな手段があるようにする」ことで、社会はIT以外の未来も選択できるようにする。同時に、いじめ評価3以上の、過激なエロ表現、たとえば、中高生が集団でひとりの少女を公開レイプしているような画像は無くなる。他にも、トイレでひとりの女を複数の男子が「肉便器」のように犯している画像も無くなり、妹や姉と兄や弟がセックスをするなどの過激な表現は全て消え去る。ただし、全てのエロ表現は摘発されない。そのため、普通のセックスのような表現はあって良い。その際に性器に修正線を入れたりぼかす必要も無く、また子供がそうしたものを見てはならないという「暗黙の了解でどうでもよくなっている法律」は無くす。そのため、中高生がそうした画像を見ても許されるようにする。中高生に異性を意識させ、積極的にセックスをさせることで、少子化対策に繋がる。そもそも普通に恋人とセックスしているのに、18歳未満はそうした表現を見てはならないとする方がおかしい。

同時に、自動車について言えば、今の技術で既に電気自動車は実現できるのだから、ガソリンや化石燃料を使わないようにする。そして、家屋には屋根だけではなく、側面の壁にもソーラーパネルをつける。そして、火力発電を改め、全て自然エネルギーだけを使った上で、化石燃料を一切燃やさない電気自動車を実現する。

これらの取り組みにより、日本はもっとも楽で過ごしやすい世界になる。世界はここに完成する。救世主はこの世界全てを愛している。そう、これがドイツの目指した最高の帝国である。

また、著作権という考え方は無くなる。今の時代、コピーし放題のこの世界においては、コピーを禁止することそのものが現実的でない。コピーを許した上で、何らかの手段でそうした産業が成り立つようにする。たとえば、国家的な学校制度を作って、デザイナーや作家は特別な学校の教授になれるようにする。その教授職によって、デザイナーや作家は給与を得られ、生活できるようにする。そして、その成果自体はいくらでもコピーできるようにし、「どんな人間にとっても、全てのコンテンツを自由に利用できる社会」を実現する。

また、僕は自由を改め、この世界を「完全に平等な社会」にする。言ってしまえば、僕と同じで良いのである。僕の人生にあったことの中で、良かったことを許し、悪かったことを禁止する。僕ができたことを人々もできるようにし、僕がそうであってほしかったことを実現し、僕の人生をそのままみんなの人生にし、僕の与えられたものを与え、僕と全く同じことができる社会にする。ここに、正しい「平等な社会」が成り立つ。全ては僕と同じで、全ては僕以上でも以下でもない。全て、同じ。全部、僕である。