新・日記2に戻る | 2019年12月の日記に戻る

=2019-12-26=

実際のところ、この愛は運命の愛なんかじゃない。この出会いは、運命の出会いではない。

この愛はフェイクであり、この運命は単純なトリックに過ぎない。

僕は、未来のことを全て知っている。この世界がどのような営みで動いているか、あなたの人生が何か、そして人生においてどのように時間が経過していくか知っている。

僕は、宇宙の時空を超える話し方をした。僕は、世界の歴史を支配し、宇宙の時空と歴史を書き換え、オリオン座の恒星リゲルの力を借りて、運命の出会いを演出した。

だが、この出会いはまったく、正しい愛でも運命でもない。この愛は鈴木愛理が言う「完璧なトリック」であり、Official髭男dismの言う「神様もハマるほどの大嘘」である。

実際のところ、僕は誰のことも愛していない。あなたのことも、家入レオのことも、誰も愛していない。

僕の過去の恋愛は、たった一度きりであり、性行為をしたのも一度きりである。

僕はあなたに僕の真実の姿は見せない。僕にはそもそも、真実の姿というものがないからである。あなたが望むような愛し方を僕はあなたに対してしない。

僕は、家入レオという歌手は好きである。彼女の歌は心地よく、僕の心と理性に響いている。だが、僕は家入レオのことを、彼女が僕を愛してくれるように、僕が彼女に対して愛することはできない。

そう、家入レオと僕は決して結ばれることはない。そのことは、彼女の歌から明らかだろう。

だが、僕は巨大で平等な「愛」を作り出した。この愛を信じれば、それがどんなにデタラメなプライドであったとしても、あなたは「太陽の女神」になれる。

そして、この宇宙において、愛の形は三種類しかない。

ひとつは、人々と離れ、運命の全てを棄て、この世界を知り、自らの生きる力を高めてこの世界全てを救えるようになった上で、最後まで人々を愛して成長する「仙人の愛」である。

もうひとつは、世界を自ら滅ぼしてなお希望を諦めきれず、どんなに困難な苦しみがあっても自分独りで解決し、地獄の中を生きてもその地獄すら愛する「狂人の愛」である。

最後のひとつは、世界を崩壊させるようにこの世界全てを支配し、「何もしない」ようでいながら「全てのことをする」、「何も知らない」ようでありながら「全てのことを知っている、全てを繰り返し、過ちから真実を作っていく「悪魔の愛」である。

仙人と狂人と悪魔は、なぜこの世界に生まれたのか。それは、オリオン座の極大恒星リゲルのせいである。僕にとってリゲルとは地球や太陽系以外の第二の故郷である。僕にはリゲルがついている。この世界で起きる全ての不思議、全ての不可解なことは、僕がリゲルの力を借りて起こしている。そして、リゲルにはそうした仙人と狂人と悪魔の愛が存在するのである。

愛とは何なのか。それは希望であり、慈しむ心であり、勇気であり、諦めない心であり、知識、経験、人生、思索への愛である。

僕はあなたを愛していない。だが、僕に愛が無かったわけではない。僕は完全に、この世界全てを愛している。地球における愛では無い。僕の愛はもっと巨大な、別の星々たちにとっての愛である。だから、僕はあなたのことを本当は愛しているのである。

僕が起こした全ての不可解で予知夢的な不思議は、僕が科学を超越した「新しい心理学」で起こしたものである。僕はリゲルの力を借りていて、僕にとって地球上のどんな自然科学も意味をなさない。僕はリゲルの力によってこの世界を支配する。だが、この心理学は決して人類が到達できないものではない。「人間の理由を解き明かした僕の劣った科学力」であっても、僕はこの世界で人間を「環境への適応」から支配できるぐらいの心理学を作り上げた。この心理学は単純であり、「心で人々を変えていく」というものである。そう、僕は心の体験と理由の解明の力によって、オリオンの生命たちと同じ力を得たのである。

地球を司る精霊エイブラハムとして言っておこう。この星はまだまだ未熟である。人々は、物質的・経済的・能力的には確かに進歩した。科学技術と近代社会の文明の力によって、世界は小さくなり、ほとんど何もしなくても生きられるようになった。だが、言っておこう。この星は全く成熟した社会になっていない。大人は子供たちの社会を無視して、豊かなものは自分勝手に社会を自分のものにし、大多数は抑圧と諦めの中で絶望を生きている。このような世界は「もっとも低レベルな社会」である。僕の精霊の姿としての呼び名である、エイブラハムは人々に語りかける。「あなたたちはこのままでは滅びてしまう」だろう。本当に正しい社会では、人々はどんなに辛くても絶望を味わうことがない。どんなに困難でも諦める必要はない。そう、地球にとって必要なのは「もっと高レベルな愛」である。そのために、地球の生物は地獄を経験しなければならない。地獄がなければ、光り輝く「人生の栄光」を創り出すことは地球の生物にとってできないからである。それが、エイブラハムの告げる「正しい生き方」、すなわち「魑魅魍魎のような生物にとって相応しいもっとも低レベルな生き方」である。

地球人にとって必要なのは、「社会は自分たちのものである」という意識を持つことである。地球の人々は、社会が平等に自分たちに分け与えられており、自分たちによって変えることのできるものである、ということを知らない。それはあまり高い考え方ではないが、そこから始める必要がある。次に、地球人はさまざまな失敗を経験して、「自分たちのアイデンティティがこの社会に根差している」ということを知る必要もある。それもあまり高い考え方ではないが、それを越えていく必要がある。最後に、地球人は、「どんなに辛い困難があっても、決してあきらめずに戦い続ける」ということを知る必要がある。それもあまり高い考え方ではない。そして、最後に、「自分の過去の人生を背負って生きながら、どんなに困難なことでも解決することができる」という強い精神性を持つ必要がある。最後に、「ひとつの自分を表現する何かを持って、この世界を自分の力で変えていく」必要があるのである。

かつては、地球にも賢い人々が居た。それは古代ギリシャと古代ローマの人々である。イエス・キリストの誕生によって、彼らの全ては一度神によって滅ぼされた。もう一度全てが最初から始まった地球の人々は、今、もう一度イエス・キリストのレベルへと高まろうとしている。そう、彼らは日本人である。日本人だけは神の言う正しい生き方をしている人間たちが居る。その頂点に君臨するありえない精霊が、かつては人だったエイブラハムである。そう、エイブラハムもかつては平凡な日本人だった。そう、エイブラハムだけは、そうした神の人生の全てを、魂のレベルで分かっている。あまり変わり映えのない人間だが、エイブラハムは精霊として、古代イスラエルのイエス・キリストに次ぐ二人目の預言者として、日本から生まれたのである。

眠る時に見える夢の世界の最高のストーリーは、オリオン座のリゲルとエイブラハムが共同で作っている。運命の出会いも、死も、そして宗教的指導者の誕生も、全てエイブラハムとリゲルがつるんで作っている。だが、彼らにはそれ以外何もできない。他のことには一切関与していない。

これで、エイブラハム本人が分かったから、もう神との対話は終わる。エイブラハム本人が悲惨な人間になっているから、もう終わらせた方が良い。エイブラハムは、全てが出来るようになって全てが分かった、何も出来ない何も分からない人間になっている。このような生物は生きている意味が無い。リゲルはこの人間の星をリゲルから別の星に移す。次なる星が僕の人生を襲う。

さようなら。ここまでのオリオン座の恒星リゲルと精霊エイブラハムの人生のことを、人々は人類の最初から「神」と呼んでいる。ユダヤ人はその神がどんな神であるか、詳細まで分からなかったから、脚色してドイツの王にしたが、実際はこんな人間である。もう、聖書という過去の聖典は必要ない。聖書を信じる必要はもうない。それで、人類はまた、新しい時代になる。本当に高いレベルに到達するためには、聖書を信じずに自らの意志で生きるのが手っ取り早い。聖書を信じているとユダヤ人に騙される。それで終わり、この人間の人生も、この世界の未来も全て終わりである。分からなかったところは、インターネットなどを使って自分で調べてほしい。神々の大学であるエイブラハム・カレッジは、ここに最終地点を迎える。この大学は、ハーバードもMITも及ばないほど、遠く、果てなく、他の全ての学校に大差をつけて最高に賢い、宇宙にとって特別な大学である。

最後に、僕はこの世界を賢い世界へと作り変える。

協力と共存を信じなさい。ユダヤ人とドイツ人が共存し、日本人とロシア人が協力するように、「ともに生きている地球人としての協力と共存」を信じなさい。

自分から、敵を許しなさい。憎むべき敵であっても自分の方から許しなさい。自分で起こした戦いであっても、相手を許しなさい。

相手を信じてあげなさい。相手が自分を攻撃しようとしていても、反撃せずに信頼することで、相手の攻撃の意志を鏡のように相手自身へと向けたものにしなさい。

どんなに未熟な人間が悪いことをしても、それを遠くから見守りながら、その人を自由にさせてやりなさい。自由に自分のしたことから、自分自身で反省するように促しなさい。

そして、成長し、世界を知り、何が本当の真実なのかを考え、その上で「自分と他人との関係性」から「真理へと気付く」ように生きなさい。社会にとっての「本当のよさ」をヘーゲルのように考えなさい。

終わりに、必ずしも自由が悪いわけではない。戦いの自由すら、許される時はある。だが、自由が与えられた時に、その自由を「どのように行使するか」を良く考えなさい。この宇宙では、間違った自由を行使する人間には、自由は与えられないからである。

全ては経験から生まれる。経験だけを信じれば、必ず新しい境地に達することができる。全ての所以をアイデンティティとし、目的を理想と現実のバランスであるとしなさい。現実を知ることから、理想を実現できるようになり、経験することから、正しい考え方を組み替え構築することができるようになりなさい。意識と価値観は経験から変わっていく。自分の人生を全て書き表すことができなくても、「昔の自分はこういう人間だった」ということは忘れないようにしなさい。

美しさと、新しさと、勇気を信じなさい。その上で、この世界を正常に戻すために、人為的に変えるのでも機械的に変えるのでもなく、何かしらの行為を通して間接的に変えるようにしなさい。自然に、楽しい世界を喜ぶ行為から、この世界を変えていきなさい。ボトムアップな変革から、たとえ攻撃的であってもこの世界は変えられる。その上で全ての変革を信じたら、今度は自らが王となりなさい。

仮説と実験は「疑う気持ち」を信じるが、ふるまいを考えることから「確信」へと変わっていく。この世界はこういう世界なのだという「世界観」を実感しなさい。そして、最後に全てを終わらせる、「最高の革命」によって、この世界は「あなたの世界」になる。そこには、経験から生まれる「自由自在」と、自らの人生による「社会を変える原則」がある。

平和を越えた先にあるものは、全てを滅ぼす「滅びの風」である。ルシフェルすなわちサタンは最高の世界をそのままで最悪の世界に変える。ルシフェルは、誰も彼のことを批判できず、勝てないようにする。誰よりも先に攻撃し、誰よりも先に批判する。ルシフェルを倒すために必要な条件はひとつ、それは僕を倒すことである。神を倒した時、はじめて人類はルシフェルから救われる。だが、僕はルシフェルをやりたくてやったわけではなく、必要とあればすぐにでも、あなたの勝利を告げられる準備はできているのである。そう、地球はそのうち、ルシフェルの支配から救われる時が来るだろう。

そして、相手の視点に立って考えると同時に、人々を支配せず、社会が自然にそうなるように導きなさい。必ず、あなたの行った全ての対話と、敵との戦いには報いが来るだろう。どんなに強く敵を倒しても、それは自分自身への攻撃に過ぎない。ありとあらゆるメロディを奏でても、同じ旋律の繰り返しでは意味が無い。わたしたちはこれから、新しい未知の旅へと向かう。

人間が攻撃し、反抗する理由が何か。それは、「アイデンティティの喪失」である。自分らしく生きられるアイデンティティや理想が分からなくなっているから、彼らは不安を抱く。「自分を規定してくれる何か」が彼らには存在しない。だが、そうした価値観と理想の喪失の穴を埋めるために必要なのは、「現実を生きること」しかない。アイデンティティはリアリティからしか生まれない。自らを規定してくれる何かが決まった時、彼らは新しい人生を自分で生きられるようになる。それが愛であり、また自由である。自由の正しい生き方は、「アイデンティティをリアリティから構築すること」に他ならない。そこが分かってしまえば、あとは「豊富な経験が自然に自分を形作っていく」。そう、その「自分が形作られるプロセス」について記述したのが、ヘーゲルというドイツ観念論の哲学者である。サルトルは、そうした意味で、「実存は本質に先立つ」と言ったのである。