新・日記2に戻る | 2019年12月の日記に戻る

=2019-12-07=

僕が思うに、この世界に必要なのは、「幻想や妄想でないリアルな自由」である。

たとえば、多くの人が、抑圧やいじめを体験しているが、その根源となる理由は、「自由がないこと」である。

彼らは、自由とは最悪のものだと勘違いしている。「精神の安らかな自由」を体験したことが無く、「本当に許された経験」がないままで自由を行っているから、間違った幻想や妄想の非現実的な自由となり、その結果いじめや抑圧になるのである。

YouTubeなどを見ていると、多くの歌手は正常な愛を歌っているが、たまにfakyのような悲惨な歌手がかかる。そうした人々は、本当の自由を知らない。抑圧になるのは、僕は「自由がないから」であると思っている。

そう、本当の自由を知ることで、彼らは正常な魂と精神を取り戻す。僕はそうした悲惨な人々を、「自由を知らない人々」であるとする。心の平安という自由を知らないのである。そして、解決するために必要なのは、「正しく自由になる方法を教えること」であり、それこそ、「導き手になる」ということの意味である。

そもそも、僕は歌手なんか大嫌いである。

彼らは、僕と出会ってすらいないのに、僕に対する愛を語っている。なぜ、こんなことが起きるのか良く分からない。この宇宙で、こんなことが起きて許されるわけがない。

家入レオも、あいみょんも、男も女も僕のことを、恋人のように愛しているのは、おかしい。僕は、それでどうすれば良いと言うのか?

運命の人が多すぎて、運命自体に意味が無い。

そもそも、家入レオもあいみょんも、彼ら自体は普通の恋愛を歌っていて、適当に言った言葉が僕の人生を写し取っている。彼らはインスピレーションと直感によって詞を書いているが、それらは全て僕のこの文章のことを歌っていて、僕のこともどこかで知っていて、本当に彼らは意味が無い。

まるで、僕のことを操り人形にしているかのようである。

僕は、あいみょんは菅田将暉と結婚するのではないかと思う。僕のような劣った人間よりもはるかにマシだから、そうして欲しい。僕のことを愛さないでほしい。僕に声をかけないでほしい。

僕は、歌手のことは愛さない。そもそも、相手も愛してなんかいない。僕のことを愛そうとしないでほしい。

最後に、僕は誰か、僕と対等の女性が欲しい。僕は賢すぎて対等の相手がひとりもいない。僕のことを好きだと言ってくれる人間は、今のところ、一人も現れていない。あなたがそうであったとしても、あなたが僕と対等の存在であると思えないのであれば、僕のことを愛さないでほしい。僕が優位でも、あなたが優位でも、僕なんかと付き合うのはとても困難極まりないだろう。あなたがそこまでの覚悟と勇気がない限り、他を当たってほしい。僕以外の男に価値があるのかそれとも全くの無価値なのかは僕は分からないが、少なくとも他の男の方が良い人生を生きている。こんなLinuxのオタクを愛しても、この人間はまともな人間じゃない。言ってしまえば、僕は猫のような人間である。猫と同レベルになりたくないのであれば、あなたにはもっとふさわしい、人間の男を選んでほしい。

僕は、今から王となってこの世界を統治する。なぜなら、他に何もすることがなくなった。

僕は、静寂が好きである。そのため、みんなには静かにしてほしい。争う声も黙って、沈黙をしてほしい。

実際のところ、この世界に今必要なのは「平等と正義」である。

ひとりの指導者がいたとして、その指導者の下に全員で従い、なおかつ正義の民主主義を行えば、この世界は「正しい帝国」となるだろう。

僕は、この世界の歴史の最後に、そうした正しい帝国を築く。

そして、この世界の全ては平和になる。愛と自由を信じながら、人々は「心が自由になること」によって救われる。自分の思った通りのことができ、自分らしく生き行動することができるようになる。

そのために必要なのは、自由ではない。自由では、人々は分裂し、自分勝手に争う。そこには、一致団結し結束してものごとに取り組む、という「本来の国家の姿」が存在しない。

よって、僕はあえて、平等と正義を信じながら、「法による支配の保守政策」を取る。誰かひとりが独裁者として支配するのではなく、支配するのは法であり、人々は法を自らの力で掲げ、変えることができる。自分たちのコントロール下に、もう一度この国の法を取り戻せる。

わたしたちは、最後にそのように勝利する。温暖化の問題は必ず僕が解決する。これこそ、最後の帝国「日本」である。