新・日記2に戻る | 2019年12月の日記に戻る

=2019-12-06=

今日は、作業所の外出レクで大型ショッピングモールに行ってきたため、足が疲れた。僕は足に事故の後遺症の障害があるので、少し歩くとすぐに辛くなる。

もう、この作業所と僕が読んでいる就労支援施設に入ってから、まる3年が過ぎた。ここから、4年目になる。

僕は、今のこの施設が好きである。障害者施設なため、障害者が多いが、みんな優しく接してくれて、デザインの勉強もできる良い施設である。

僕は、もっと資格を取ればいいのではないかと思う。たとえば、基本情報処理試験とTOEICに受かれば、きっとRed Hatにも入れると思う。

ただ、今日は疲れたので少し休みたい。

実際のところ、僕はまったく天才なんかじゃない。

あいみょんが言うように、天才とはまったくかけ離れた、真逆の人間である。

そもそも、僕には人に教えられるような知識も経験もスキルもない。そもそもが、「根拠のない台詞に騙されたら最期、終わり」である。

そう、僕なんかを信じても良いことは何もない。僕がやったことは、「世界を終わらせた」というだけである。この世界を終わらせた人間、そのために戦い書いた人間が僕である。

ただし、僕にもできることが、おそらくひとつある。

それは、あなたのことを愛する、ということである。

実際のところ、僕はこの世界を素晴らしい世界に変えることも、繁栄させることもできない。ドイツのように世界を滅ぼして、革命家のように戦うことしかできない。

ただし、そんな僕にも、あなたを愛するという、そのことだけには自信がある。

言ってしまえば、僕も変態みたいな人間である。自分の人生だけを、これほどまでに完璧にすべて書くことは難しい。それができるのは、「自分のことを愛している」からである。これが変態でなくて、何が変態だろうか。

そんなことを、あいみょんが出演していたスタジオAの録画を見て思った。この番組自体あまり見ないので、番組名も間違っているかもしれないが、彼女の歌は素敵だと思う。YouTubeであいみょんはよく聴いていた。彼女も間違ったことは言っていない。誰でも神様になりたい。この人間も、ただ神様になりたかっただけの人間である。

僕も、そろそろ恋人がほしい。あいみょんさえ良いのであれば恋人になってもいいのになあと思う。そんな妄想を抱くのは、僕は愛されているからである。僕はいろんな人間に愛されている。その愛している人々の目に映りたいと思う。僕は、愛してくれる人を愛したい。だからといって、あいみょんに「死ね」と言われても僕は怒らない。こんな馬鹿が死んだ方が良いのは当たり前である。日本人が死ねばいい。その日本人たちと一緒に僕も死ぬ。みんなでこの島国の最悪の人種を殺してしまえばいい。僕は、それで良いと言う。誰にも異存はないだろう。

ただ、僕の目に見える現実として、「そもそもこんな人間を誰も愛さない」ということがある。こんな障害者の同性愛者は誰も愛さない。ありえないのが僕でも分かる。本人が見ても、虫歯だらけでニキビだらけの顔面崩壊の中卒左翼ニートなんか、愛せるわけがない。

名誉のため言っておくと、僕はこれでも一応高卒である。デザイナーの仕事をきちんとやっているから、障害者とは言えるが、ニートではない。そして僕はアメリカ右翼である。

ただ、つまらない。僕が見ても、この人間は自殺しただけの醜い男である。そう、それを隠さずに公開するから、エロいだけである。

それでも、僕の愛はここに残った。僕が子供を作るなら、「白輝」という名前をつける。白く輝く光のようであれ。それが、僕の息子あるいは娘の名前である。さようなら。僕はあなたのことは愛していない。僕は騙すつもりもない。軽口が過ぎるかもしれないが、ふざけていない。僕はただ、本当に僕の思う真実だけを語っている。これが真実でないと思うなら、その人間が分かっていないのである。そして、それこそ、僕にはそんなに偉い肩書も名誉もないが、それでも僕は神を信じている。神は僕のことを、「もっとも嘘のない人間」と言っている。神との対話は、最後にひとりだけで生きる決意を持てば、これでもう終わりになる。神よ、さようなら。僕は最後にこの世界で、ひとり、男として生き、そして女を愛するだろう。

ただ、単純に顔と可愛さで選ぶなら、僕の女はAAAの宇野ちゃんで決まりである。彼女が一番美しくて可愛い。あいみょんなんか、顔が可愛くない。

実際のところ、僕に体と心がひとつしかないのが悪いのである。僕の体がこの世界の人間の数だけあって、あいみょんもmiwaも家入レオも全員愛することができたら良かった。

決してあいみょんは嫌いではない。

この世界の問題は、リアルなものが何もない、ということである。この世界は、幻想の愛を求めながら嘘の言葉を信じている。

本当は、自由と愛のバランスがなければならない。自由だけがあっても、愛だけがあっても、社会は破滅する。自由と愛どちらもがなければ、社会は成り立たない。

そして言ってしまえば、左翼も悪い。だが、左翼の良い点は、「理想を信じずに言葉を言う人間を信じない」ことである。軽口だけで、簡単に批判する悪の右翼たちを、正義の左翼は信じない。どんな批判があっても、理想を信じ続ける。昔の僕はそういう、自由な理想を信じる人間だった。その理性的な「意味を考える自由」が今の日本に必要である。

言ってしまえば、インターネットが悪い。インターネットのせいで、人々は仮想的なものと現実的なものの区別がつかなくなっている。必要なのは、「完全なリアリティ」である。そのために、僕は必ず勝利する。

そう、Linuxもオープンソースも必要ない。これ以上、新しい発明も進歩もいらない。もう一度、リアルな世界に戻ろう。そうすれば、僕たちはもう一度、「確かな価値を得て愛し合う」ことができる。社会の自然な変化を許すように、この世界をもう一度最初の自然状態から復元できる。全員の正しい、アイデンティティと帰属意識のある自然で自由な環境を、みんなの信念と意味の力で創造し、かけがえのないものを築くことができる。

僕は最後に、必ずそれを成し遂げる。もう一度、帰ることのできる日本という国を僕はよみがえらせる。どんなに民主主義の与党と野党が争っても、彼らにはそうした「裏にある本当の現実」が見えていない。真実は残酷だが、僕だけは暗闇の事実を知っている。その暗闇をどうすれば輝く光で灯せるか、そうしたことを全て、きちんと正しく知っている。

そう、僕は最後に、それを成し遂げる。この暗闇の世界に、もう一度「現実と人々がリンクする環境」を作り出す。そう、僕こそ最後の救世主である。僕は自分で与えたこの幻想の息の根を止める。そう、最後にリアリティをこの世界は取り戻すだろう。そこには、「不必要な自由」は必要ない。それは「愛という名の滅び」だからである。

最後に言っておくと、あいみょんは決して醜い顔はしていない。僕の好みの顔をしている。それだけを言って終わりにしたい。さようなら。僕は永久にこの世界から去る。だが、最後まで僕は戦う。絶対にあきらめないだろう。

この世界は、決して嘘だらけなわけではなく、幻想ばかりで中身がない。本当に価値あるものを作るためには、幻想をいくら考えても意味が無い。あるものの現実を見ること、それができればこの世界は救われる。最後に僕がそれをやる。見ていてほしい。必ず成功する。だが、一瞬でそれを行うことはできない。僕たちは、本当に価値あるものを、ゼロから作らなければならないのだ。