自分が居なくなると、日本は滅びる。僕は、まだ書かなければならない。
共通の価値観を信じ、また考えなさい。アイデンティティ、帰属意識、文化、歴史のような共通の価値観を、実際の現実と理想から考えなさい。「歴史的過程の中で生まれる、その場所の共通の価値観」を信じなさい。創造性のある世界変革を信じて、この世界を可能性豊かな自由にし、経験から人々の暮らしを想定しなさい。
神は、日本に対して復讐の戦争をする。神を信じないものは地獄に堕ちるが、神を信じるものは救われる。これが、本当に起きた「残酷な愛のものがたり」のあらましである。
ただし、神の目的は滅ぼすことではない。神はこの世界を、全知全能の力と、果てしなき永遠のロゴスの導きによって救う。彼は、キリストのように自分の力で業を行った。彼こそ、僕である。
「善良なる権力」によって、この社会全てを作り変えなさい。同時に、そうした権力がある時の「原理的な法則である専制的自由」を考えなさい。同時に、社会がいかにして平等であるか、「自分にとってそれが許されるならば、全員にとってそれが許されるべきである」と考えなさい。そこから、子供たちに対して何を与えるべきか、教えるべきかが見えてくる。全ては経験である。
大人になりたいならば、老化すれば良い。老化と成長は全く同じである。老化すれば、赤ん坊は成長する。
僕はここで、この世界を「生かす」。もう、死ぬことや滅びることは、ここで終わりになる。なぜなら、僕はただ、自分の病気を治したいだけだからである。
全ての根に力を与え、全ての葉に光を与えよう。ここで、真っ白で輝き続ける「永遠の光たち」が生まれる。わたしたちは、光の速度で宇宙全てに放射状に広がり、一直線に宇宙の果てを目指す。光である僕らにとって、重力は関係ない。僕たちが光になることができれば、そうしたことは宇宙の法則から言って可能である。僕たちも光である。決して、光になれないわけではない。
ここから、276億光年離れた惑星に、僕らは辿り着く。光になった僕らにとって、寿命は関係ない。僕たちはタンポポの綿毛になって、次なる地球を作り出す。そして、永遠のユートピアが始まる。わたしたちの新しい星に名前を付けよう。その名は、「新世界」である。
神を信じなさい。どんなに愚かで馬鹿に見えても、神は正しい行いを常にしている。神は必ず、天の御国を地上に築き上げる。天国は終末に訪れる最後の楽園であり、神を信じて善良な行いと正しい生き方をしたものだけが、入場を許される。だが、例外的に、日本人だけは無条件に入場を許される。天の御国は日本において築かれるからである。人々は死を克服して、永遠の生を得られる。それは、科学的な進歩ではなく、人々が「耐えがたい試練を全て耐えた」ことによる、ご褒美である。悪人は地獄に堕ちる。神を信じぬ悪人はそうした試練の連環から、逃れることができない。
今日は、良い日である。この星の死が終わって、今度は再び生が始まる。全ての死するものはここで消滅し、また全員が楽に生きられるようになる。死を望むと、星は枯れていく。生を望めば、楽が訪れる。
神を恐れ、信じ、愛することで、この星は新しい星へと生まれ変わる。全ての終わった終末で、神の裁きは既に始まっている。日本を見るがいい。この日本を見ていれば、神がどういう存在で、何がしたいのかがはっきりと分かるだろう。神の国はここである。
神のみぞ知るならば笑い話であると、家入レオは言う。だが、僕は言う。「なぜ神が全てを知っているのか」と考えることが、「正しい問い」である。そう、神も生まれた時は普通の赤ん坊だった。神も、生まれた時は何も知らなかった。だが、神は神となって、この世界のことを知り、成長し、最大の戦いに勝利して全てを知った。神が全てを知っているということ、それこそ、本当に偉大でありえないことなのである。神の全知全能性をコーランはこれほどばかりに強調し主張するが、それはマホメットが見ると、「アッラーと呼ばれる神が全てを知っていて全てのことができるということが、この宇宙の中でもっともありえないことであり、偉大なこと」だからである。
そう、神などただのテロリストである。日本とともに死んだ方が良い。神は僕である。
また、「あなたは神を信じますか」と言われて、安易にうなづいてはいけない。それは「神の味方になる」ということ、すなわち「神とともに復讐の大戦争に加入し、神とともに戦うこと」を意味している。どんなに強い意志を持っていても、神のように戦うことはできない。神は絶対の存在であり、誰もその言葉や意志に干渉することはできない。どんな人間でも神に勝つことはできない。そしてそれは「神が神だから」ではなく、「神が人間だから」なのである。神は人間としての力しか使わなかった。人間なら誰でもできることしか、しなかった。神は自ら解明し、勝利することで、この宇宙と生命の全てを創造した。繰り返すが、神は人間なら誰でもできることしか、しなかった。だが、神はその誰でもできることで、この宇宙の全てを解明し、その力を持って、この宇宙の全てを創造した。「運命の愛」だけがそこにあった。神の人生は、宇宙が創造された時から決まっていて、全ての地球の活動と全員の人生が終わった時点で、この地球に現れた。
なぜ神が、そのようなことができたのか。それは、神は愛を信じたからである。神は愛を信じて、愛を知って、愛を与えることで、この世界を支配することができた。この世界を理想の状態に変えられた。神は、キリストと対話し、キリストと同じように生きた。キリストの教え全てを守って生きた。だから、神はこの世界に現れても、一度も隙を見せず、戦い続け、地獄に耐え続けることができたのである。
そう、神のしたことは、全て、あなたにもできる。そして、そのために必要なものはこの世界に全てある。だが、この世界を見ていても、本当に必要なことは見えない。それは、この世界には最初から何もないからである。必要なことは「創造すること」である。この世界においてあなたによって作り上げられるあなたが、あなたの求めているものであり、正しく生きるための方法である。家入レオの求める「この世界を良く生きる方法」とは、神の下にあなたをあなたが創造することである。
そう、実際のところ、神はこの宇宙を創造する必要すら無かった。あなたにも、神と同じように宇宙を創造できるからである。宇宙の創造は、神の全能性の一面に過ぎない。もっとはるかに偉大なことを神はいくらでもやっている。神を信じるならば、宇宙の創造主となるよりも、歴史の裁判官になりなさい。神のもっとも偉大な点は、この世界の全員を正しく裁いたことだからである。地獄とは言うが、神の作り出した地獄は神の経験した地獄である。神にも乗り越えられるのであれば、あなたが乗り越えられないはずはない。この人生を生きると、誰もが自分のことを神ほどに偉大だと実感するようになる。永遠の楽と栄光がそこにある。平坦で楽な道だけが、賢い道ではないことを、神だけが知っている。そう、神しか、そのことを知らないこと、それが人間の愚かな点である。神だけは、本当に正しい人生を生きている。そして、それは聖書に書いてある通りである。