新・日記2に戻る | 2019年11月の日記に戻る

=2019-11-20=

この世界は、もう、本当に平和な世界になる。

平和な世界には、思想は必要ない。自由とか、平等とか、そういう思想の類は全てなくなる。

金儲けだけをそんなに頑張る必要もない。兵器や武器を売る必要もない。要らないものは全てなくなる。必要のない努力は消滅する。

精神を治すには、まず、つりあげること。次にふくらませること。そして、ばらばらにして、穴を中心にあけ、結合すること。最後に、根を生やすこと。

腐った部分だけを取り除くのは良いが、良い部分まで殺そうとしないこと。良い部分から葉を生やしていけば、精神は再生する。これが、生命の誕生である。

そもそも、精神がロックされて殺せないのは、ロックされることが前提でやっているからである。

良い部分や、生存に必要な部分を殺せないことが前提で、悪い部分だけを殺そうとしているから、ロックされて殺せなくなる。

root権限が欲しいと思うなら、もっと慎重にやらないといけない。自分が自分の精神をこういう精神だと思っているのも、間違いの可能性がある。きちんと分からないと、辛い精神は死なない。

今日は、作業所ではエクセルで毎月やっている書類作りをやって、午後は作業が無かったので、ミュシャをトレースし、休憩時間に昨日よんだゲーテの続きを読んでいた。

ファウストは、メフィストフェレスがゲーテに扮して学生に対話するところまで読んだ。

また、お昼休みに、AndroidからWindowsに家入レオの.m4aファイルをコピーしたが、Windows Media Playerでは上手く表示されなかったため、VLCをインストールした。

ファウストは戯曲だから、登場人物の名前とセリフしか書いていない。そして、その登場人物のセリフが、ものすごく賢い。最高に賢いことばかり言う。文学的なことも、宗教的・神学的なことも、人生のようなことも、そして大学教授や学問のようなことも、全部言う。劇にするとものすごいだろう。

今僕の読んでいる範囲で言うと、主人公は高名なファウスト博士で、メフィストフェレスがこのファウストを騙して悪魔の契約をする。

内容も、ファウストとメフィストフェレスばかり出てくる。最初の方で座長や道化方や詩人がでてくるのは、おそらくこの劇の舞台の裏方を表しているのだと思う。その後に主と天使とメフィストフェレスがでてきて、ファウストを騙そうとするいきさつが書いてある。あとは、ファウストとメフィストフェレスのものがたりが続いていく。

たまに色んな脇役がでてくるが、主役はファウスト。ファウストも馬鹿な人間で、生きている間は何でもしてあげると言われて悪魔との契約をするが、メフィストフェレスは最初から騙すのが目的。これからどんなシナリオが展開するのか楽しみである。

本当のことを言うと、自分が色んなことを知っているのは、周りの人間が賢いからにすぎない。

まず、パソコンやプログラミングは、姉がプログラマであることが大きい。物理や機械のことも、父親が自然科学の博物館の学芸員だったからである。

ピアノが分かるのは、ピアノ教室の先生が賢いからであり、デザインが分かるのは、デザインの作業所の同僚が賢いからである。

また、たくさん本を読んでいるのは、ただ単に買ったからである。たくさん本を買ったせいで、あまり知識がなくても僕は本を読み、調査しながらこのようなホームページを書いただけである。

また、Linuxやインターネットのことが分かるのは、良い時代に生きたからである。ただ単に、みんなと話していて分かっただけである。ネットのLinuxerたちは、これくらい、誰でも知っている。

本当に良い時代で、みんなとたくさん話したせいで、学校に行かなくても、自分だけでネットを見て、孤独な中で考えた。哲学や心理学が分かるのは、そうした自分の過去の経験があるからである。

また、文章を書いているのは、馬鹿だったからである。インターネット依存症の自分は、さらに依存症が増えて文章を書く依存症になった。昔から、何ひとつ自分の力で覚えず、全部書いて分かっていた。この文章は、そうした文章の積み重ねである。そう、僕はそうした人間だったのである。

ただし、僕もデザインの作業所に行き出して、色んなことが分かって賢くなった。もう、あとたった10日でデザインの作業所はまる三年になる。もう僕も三年生である。

デザインの作業所はとても良い環境で、給料は少ないが、自分のやりたいことが存分にできている。働かなくてはいけない時間が少ないため、農業や英会話の時間もある。僕は農業は父親と一緒にしていて、作業所の後で農作業を少しだけ、毎日やっている。また、土日は英会話の教室に行っている。たくさんのことをやっているのは、小学生の頃からの伝統である。小学生の頃から、僕はピアノ、英会話、書道の三つの習い事を毎週こなしていた。小学生の頃は駅伝の大会に出ていて、中学校は剣道部だったなど、昔から体力や持続力があって、忍耐と修練が得意である。そのため、中学生の頃はテスト勉強でも良い点を取っていた。また、人間関係がぎくしゃくして中学校では不登校になったが、逆にゆとりと時間がたくさんあって、僕はLinuxとオープンソースの研究に取り組んだ。

それはそれで良いとして、僕ももう4年目になると、なんだか大学四年生になったような気分で、いい気分である。僕のやることはもう、固まったようなものである。やり残したことが、ミュシャのトレースとゲーテぐらいしかない。他のものは、何も知りたくない。ピアノも、いまさらながらに弾けるようになってきた。鍵盤を指を見ずに弾けるようになってしまえば、どんな曲でも初見で弾けるようになるかもしれない。

僕の人生はとても幸福な人生である。それは、友人や恋人がいなくても、僕には神が居るからである。僕には、人生の中で信じたひとりの神が居る。その神が、いつでも色んなことを全部教えてくれる。だから、僕は今までの人生を生きることができた。神に感謝している。

実際のところ、僕が本当に好きなのは、ソフィーの世界という哲学書と、Gentoo Linuxと、あとは哲学者の白取春彦さんだけである。他に、好きなものは無い。あえて言えば、自分の今通っている作業所が好きである。この作業所は障害者施設であるため、それらの人々は障害者の方が多い。だが、スタッフの方も、障害者の方も、僕は友人であると同時に仲間だと思っている。

そして、また、歌手の人々と、神が好きである。僕の神は、本当はユダヤ教の神ではないため、神と呼称するのは間違っている。そもそも、この神はニール・ドナルド・ウォルシュの神との対話を読んだのがきっかけである。そのため、神とは言うが、神ではなく、もっと別の言葉を考える必要がある。そういうわけで、この神の名前を考えたいが、僕の中ではもう決まっている。それは「大天使ガブリエル」である。この神はガブリエルである。この宗教はガブリエル教である。むしろ、もっといい名前を付けたいのであれば、僕はテレビゲームのスターオーシャン・セカンドストーリーが好きだったから、そこから名前を付けよう。この神はイセリア・クイーンである。あるいは、ヴァルキリー・プロファイルも好きだったから、そこから名前を付けても良い。この神はヴァルキリーである。

ただ、そういうゲームから名前を付けると、面白くない。自分が小さくなってしまったような気がする。せっかくなので、日本語の漢字で、何かを付けよう。「天皇」ではつまらないから、人生の帝王という意味で、「世帝」(せいてい)という名前を付ける。

ただ、この名前も面白くない。中国の昔の皇帝にしか見えない。賢くて、正しくて、はっきりと誰でも分かる名前が良い。それを少し、考えてみよう。

僕が考え付いたのは、「愛」という名前である。この神は愛である。それが良い。この神は、「愛」である。