新・日記2に戻る | 2019年11月の日記に戻る

=2019-11-14=

僕は、会社で働くのでもなく、学校で勉強するのでもなく、もっと自由に、学び、労働し、生産し、そして自由な人生を生きられるような、そういう「自由な社会モデルの構築」を書いていた。

自分の経験から、自分と同じような人生を生きられるようにしたかった。会社でも、政府でもない、新しい働き方ができないか、と考えていた。

そこから、僕は「自由な人生を成り立たせるような社会モデル」を作った。自由を成り立たせ、この世界全てが「自由」になるような社会構造を、「成り立たせる」という意味で発想していた。

生産手段とか、レポートとか、そういう考え方や発想は、全て「自由な社会」のためだった。

ある意味、引き篭もりの自分とLinux・オープンソースの思想は、そこでつながっていた。僕は全てが自由であるべきだと信じていた。

精神を治すためには、「精神が今どのようになっているか」という「独自の精神・意識の分析」をする必要がある。

言ってしまえば、僕は体は女なのに、性器だけは男になっている。ふたなり状態である。

そして、虫のような、「完全な精神の創造」を行った。この虫は、今でも幼虫のままである。

そう、そうした精神を治すことができたら、この精神はすぐに治る。そのために必要なのは、判断の実況中継をすること。そもそもこの文章は、そうした精神の実況中継を永遠にしているだけである。

また、確かにできる必要はない。確かさを諦めた先に、本当の楽がある。多重人格は、確かさを求めるあまりに、言葉の人格になり続けている。必要なのは確かさを手放すこと。それで、元の自分の人格に戻れる。全ての狂いは、確かさを求めるところから始まる。