新・日記2に戻る | 2019年11月の日記に戻る

=2019-11-12=

そもそも、僕が中学校に行かなくなったのは、いじめというよりも、歪んだ人間関係が辛かったからである。

当時から、僕は指導者のような人間だったが、それは僕の望みでは無かった。

多くのクラスメイトが、僕のことが嫌いだった。それらは集団で僕に反し、僕はたったひとりでそうした「僕に反するみんな」に立ち向かう必要があった。

勉強や辛い部活動もあって、僕は疲れてしまった。僕はだから、学校に行かなくなったのである。

辛い地獄になっている人間は、その場しのぎで一時的な努力を限界まで続けるのではなく、その苦しみを永続的なものであると認識しなさい。

そうすることで、はじめて、「楽に生きようとすれば良いのだ」ということが分かる。

だが、楽はつまらない。平安な楽は一番辛い。

人間は、苦しいことや辛いことがたくさんあった方が賢くなって、楽になる。

逆に言えば、辛く苦しいのは、学校が原因である。学校で辛いことをしなさいと教わり、何でもできるようになり、辛いことを賢いと勘違いするせいで、「極限まで辛い人間」になる。

ただし、辛いことそのものは悪くない。辛さを受け入れることで賢い精神になる。

辛いなら、身を清めなさい。そして、少し生き方を変えなさい。未来において違う生き方をしようとし、「楽しいことをしようとする」ことで、精神は正常になる。少しずつ、人生を楽しいものに変えていけば良い。少しずつ、適当に、普通に楽しいことをしていけば、少しずつ楽しい方向に変えていけば、それで楽しい生き方ができる。

今から、僕はこの世界を正常な世界にする。

以下の教えは重要だから、よく聞くこと。

1.思いやりを持って生きなさい。

2.夢と目標に向かって努力しなさい。

3.自分なりの正しい生き方をしなさい。

4.ものごとや社会の原理や法則を、自分の力で見つけ出しなさい。

5.自分が自由にするように、他人を自由にするという、自由な理想を尊重しなさい。

これだけを守って生きれば、必ず正常な社会になる。

例外として、学校や教育、道徳の現場では、必ずしも自由は必要ない。だが、子供のことを大人と同じ人間であると尊重しなさい。そして、教師についても、子供たちと同じ人間であり、間違えることはあると考えなさい。みんなのことを「自分と同じ人間である」と考え、相手の立場にたったつもりで相手のことを思いやり、自分が相手に受け入れられるように、相手のことを受け入れなさい。

辛い地獄に居る人間は、その場しのぎで、苦しみから逃げるように生きている。苦しみと立ち向かいなさい。何度諦めても、それを達成しなければ状況は変わらないことが、覆るわけではない。