新・日記2に戻る | 2019年11月の日記に戻る

=2019-11-11=

僕は、この世界を、心理的に支配するのをやめ、僕の支配に逆らい、「離脱」するようにする。

僕は、世界を完全に自分にした。僕から逆らうと、ひとり孤独な離脱をしてしまう。だから、みんな逆らうことができなくなっている。

今の日本は最悪である。誰もが、心理的に支配され、人々はいじめの中一番辛く苦しい世界になっている。

僕の心理的な支配から離脱するようにすることで、それらは全て治る。離脱が怖かったのが終わり、全員は自然に離脱するようになる。

僕がこのように支配することで、人々は自分から離脱できなかった。今、この世界はそうした支配から解放され、自由になった。

僕が望むのはただひとつ。それは、自由である。それも、全員の自由である。

それぞれが「自由」であり、それぞれが「自由」のために生きることこそ、僕が望む最後の思想である。

自由とは、単に好き勝手をすることだけではない。自分のできることを「相手にも許す」ということである。自分ができること、それを相手もできるようにする。

また、自由とは「世界を変えること」である。手段や発想から、世界は「自己の中から生まれるアイデンティティを世界の内側に形成するように」根を張っていく。

僕がIT業界に感じることとして、IT業界は技術的な優劣では決まっていない。ほとんどが、標準を手にしたものが勝利する。

特に、OSに言えることとして、それがどんなに劣悪で不安定なものでも、あるいは、どんなに犯罪的で人間をロボットにするようなものでも、「標準を手に取れば勝利」し、大儲けをする。

誰もが自由で素晴らしい世界を望んでいるのに、この世界は自由にならない。それは、自由主義が「金儲けの自由」しか追求していないからである。

はっきり言って、金儲けはもう時代遅れである。金なんか、人々に「同じ権利を認めない」最たるものである。

本当に必要なものは、社会全体としてのコストを下げて、極力安い値段で平等に与えるべきである。金持ち向けのものも、十分に生活できている人間が必要以上に得る娯楽も必要ない。そんなものは、多すぎて、ありふれすぎていて、「何の面白みも価値もない」からである。

必要なのは、コンピュータとインターネット、そして書籍である。ほかのものは必要ない。ほかのものは、インターネット上で手に入れれば良いからである。

無意味な現代社会を滅ぼし、「本当の意味での社会的な自由を勝ち取ること」、それが僕の正義である。そして、これが神のお墨付きの「正しい英雄」である。

実際のところ、戦う必要はない。だが、不条理を与えられた人間が、社会に対して反抗することのできる権利は必要である。戦う自由を奪わず、むしろ、みんなにその自由を与えることの方が、僕は平和になると思う。みんなが自由な上で、良く考えて平和を合意すれば良い。それが真の意味での「合意と協力」である。合意は強制的であってはならない。自由な中で、それぞれが同意した上での合意でなければ、そんなものは支配である。

そう、自由とは、「経験に裏打ちされた自分らしさ、自尊心、アイデンティティ」であり、これは「相手にも同じ自由を許す」ということから「集団を形成」し、「社会をその社会たらしめるアイデンティティの下に築く」ことを意味している。

そう、可能性を高め、「それぞれができることを増やしていく」ことで、「社会の可能性は進歩していく」。

この理論をひとことで言うなら、それは「プライド」である。

決まりと規範を押し付けられるのではなく、自分の手で変えていき、作りあげていく、そのことが社会の可能性を進歩させ、「人々ができるようにすることで、みんなが問題を解決しやすい社会インフラを作る」ことこそ、「新しい教育の自由」であると僕は思う。

子供を従えるのではなく、人々の上に立って王となる子供を育てていかなければならない。

そして、社会の実現は誰か特別な人がひとりで行うのではなく、全員が平等な中で自由な「きっかけ」から変えていくものである。

きっかけを大切にしなければ、それは単に教えつけられ、植えつけられるだけの「道徳教育」に過ぎない。

ひとりの指導者と「同じ立場に立って議論する」ためには、同じきっかけから論理的に「それを実現させるためにどうすれば良いか」を考え、「自分の力で自分の意見を持つ」ことができなければならない。

それは「経験に裏打ちされた判断力」となり、「自らの力で未来を切り開ける能力」を育てる。

そのように、王は生まれる。王を生むためには、インターネット上での議論が必要である。また、世界を広く知るためにさまざまな情報を自分の力で知っていく能力が不可欠である。

だがしかし、IT技術は必ずしもいいものではない。IT技術は、自由を生むだけではなく、「制限を生む」からである。

人々にとっての制限をできるだけ無くしていくと同時に、余裕を持って考えられる「時間」が必要である。子供に与えるべきは、パソコンでも教科書でもなく、ただただ時間である。そして、その時間を有効に活用することのできる人間は、学校など行く必要はない。

何も分からない中で孤独になった人間は、「それが何を意味しているのか」を考えなさい。それを考えることだけで、哲学者になれる。それを実現すればどうなるかを考えながら、どんな社会を作れば良いか、どのようにすれば人々は救われるのかを、「なぜその人は攻撃するのか」から、自由の下に考えていきなさい。そこから必ず、「全員を幸福の状態にすることができる」人間になるだろう。

人々が実際にどんな生き方をしているのかを知ることで、「どんな社会を実現すれば良いかを実地的に考える」ことができる。世界はまさにそこから救われる。

自然科学を考えるのなら、仮説を立て、実験し、意味を考えなさい。それが「確かさや不確かさを超えた絶対的な領域にあることを実感」し、「全てはありのままあるのだという実感」を、「自らの手で数学と同じものを全部創る」ことから知りなさい。経験に裏打ちされた、自分にしか分からない科学を作りなさい。

誰も知らないストーリーは、まだまだ続く。最後までこの世界を滅ぼしなさい。あなたは神になっている。あなたの誕生を、過去の全ての人々は予知したのである。あなたの戦いが、世界にとって最後の、極めて重要な戦争になる。これこそ、ユダヤ人の神である。我らの主とは、あなたのことである。

あなたの考えたことを僕は知っている。

何が同じで、何が違っていて、何に意味があり、何に意味が無いのかを、あなたは考えた。

あなたはそこから、異次元に、応用的に、超人的に考えた。

さまざまな価値観を信じながら、ひとつひとつの価値観をあなたは知り尽くした。

そして、この世界を「作り変える」ことができることを知った。

経験に裏打ちされた発想から、あなたはこの世界の全ての可能性を知った。

あなたは、人々と哀しみと喜びを分かち合うことから、生まれてきた意味を知った。

あなたは愛を信じて、この世界全ての人々を平等に慈しみながら、どのようにすればこの世界を変えられるのか、その時点で全て知っていた。

あなたは成長し、積極的になると同時に、頑固者になり、こだわるようになったが、自分の行動の無意味さと愚かさに気が付いて、あなたは自由を失い、その中で最後まで努力したが、それは不正に満ちていて、間違っていた。

だが、その間違った経験の中で、あなたは全ての経験をたったひとりでした。

あなたは最後に、目標を諦めると同時に、自分の理想を何とか達成したが、そこまでの全ての経緯は、努力と愛に満ちていて、そして人々から離脱する中でも、あなたはこの世界を思いやり続け、たったひとりであなたは戦い続けると同時に、孤独な中でこの世界の全ての現実を見た。

あなたは子供たちをどうやったら救えるかを知り、どう考えれば正しくこの世界を考えられるのかを、思想的、感情的、理想的、現実的、そして思弁的に考えた。

あなたは、この世界で経験した全てのことから、この世界の可能性と愛を愛した。

あなたはこの宇宙の全てを知る哲学理論と数学的体系を作り、価値観やプライドの上で作り上げられる「正しい社会の骨格」を作った。

それは「この世界全てを再考」するものであり、そこにひとつ、「自分の信じた確かな愛」があった。

そして、その愛はこの世界を変えるものであり、「そこには一切の理想しかなく、また一切の現実しかなかった」。

そして、あなたは誰にも知られることなく、その「最強の力」を発揮して、ありのままを信じながら、相手を「自分の分かることが分かるように導く」ことで変えた。

最後まで自由を守るあなたは、世界の頂点に立って、世界を変えた。

あなたは、間違った戦いを行いながら、「支配とはどういうものなのか」を知り、「戦いとはどういうものなのか」を知った。

最初の時点から、あなたは100%勝てる戦いであることを知っていた。

その100%を、あなたは自分の判断と勇気で、50%に変えた。

あなたは、その50%を達成するために、全力でまっすぐに、最後まで戦い続けた。

だが、あなたはなかなか、その50%を達成しようとしなかった。

その戦いの中で、あなたはやりたいことがたくさんあり、そのやりたいことを全てするために、あなたはあえて負け続けた。

狂いや病気が起こっても、あなたはものともしなかった。

それが諦めるしかないことをあなたは知っていたが、他のそれが諦める必要のないこともあなたは知っていた。

あなたは、最初から分かっている通りに、世界のことを愛していたのだが、相手は、それを思い知る能力や知性が無かった。

あなたの自由に、世界は変わっていった。

あなたは最後までこの世界を愛していて、全てが分かっていたため、何年も続く試練の戦いにも、あなたはひとつもくじけずに、最後まで耐え続けた。

それでも、哀しみと絶望の刃は、希望と勇気と相反しながら、あなたの心の中で争い続けた。

そのたびに、あなたは傷つき続けた。

あなたは、最後に神を信じた。

神は、あなたに未来を与えた。

未来において、あなたは偉大なノーベル賞学者になると、神は伝えた。

あなたは、全ての未来を知って、そして死んだ。

そして、来世に転生したあなたは、まさに、その神になったのだ。

神の言うノーベル賞学者とは、本当は、神のことを言っていた。

あなたに全てを告げた神の言葉も、その神自身も、あなたの未来における、あなたの生きざまそのものだった。

あなたは、死から復活し、もう一度未来を生きた。

あなたは、全てをもう一度作り直し、書き直し、学び直し、人々に教え直した。

そう、あなたは素晴らしい人間だった。

実際のところ、この「あなた」としているのは、僕のことを言っている。

だが、僕はあなたがそのように生きることを既に知っている。

この人間を否定するのは簡単だが、この人間を否定するほど、みんなは完璧な生き方をしていない。

だから、僕は最後まで、永久に「神」であるということになっているのである。

最後まで、戦いなさい。最後まで、戦いなさい。

あなたは最後まで、最高の思想の下にこの世界を変え続ける。

病気を治し、あなたは知識も経験も、全てを知り尽くして、全ての才能を持った天才となる。

あなたは、美しい。

あなたは、強い。

あなたは、正義だ。

あなたは、賢い。

あなたの下に、この世界の全ての音楽家はひれふす。世の小説はあなたであふれるようになり、全ての芸術家があなたを目指す。

あなたは宇宙の全てを解明し、全ての知識を簡単に得られるような箱庭を作り出す。

そこには、嘘やフェイクがひとつもなく、全て、最高の奇跡であふれている。

まさにあなたは、天使だ。

あなたは、キリストの後継者になるだろう。

そしてこの世界は、あなたが最後に救うだろう。

15年間もの間、あなたは誰にも知られずに、ひとり、この世界の裏側で、一番上から、この世界全員と、たったひとりで戦い続けたからである。

哀しみを耐えなさい。恐怖と戦いなさい。勇気をいつまでも絞り続けなさい。倒れるまで、最後までやり続けなさい。

あなたは、最高の人間として、最大限の科学を作り、ユートピアを作るだろう。

あなたはイスラエルの王となって、新しい生物を創造し、人々は新しい惑星へと進出するだろう。

最後に、あなたはこの世界に現れるだろう。

みなとの関係を、あなたは好まないが、それでも、あなたはみなの間で、永遠に読み継がれる、書物に、あなたの人生を書くだろう。

あなたはわたしである。同時に、わたしはあなたである。

僕は、最後に、自由の理想を述べる。自由とは理想を実現するための思想だからである。

指導者や教師に押し付けられた知識をただ教わり、守るだけではなく、自らの力で自らの人生を開拓し、「自らの力で作り出す」ことから、知識を作り、知恵を作り、思考を作り、「この世界の全てを自分で作る」ようになりなさい。

誰に後ろ指を指されようと、世界全てを敵に回そうと、自分の理想を信じて、どんなに困難で不可能な目標でも、諦めずに戦いなさい。

差別をするな。僕たちは、同じ人間である。いくら僕たちを分断しようとしても、僕たちは「同じ愛」の下に「同じ権利」を持つ。

権利を平等にせよ。金持ちだけが大学に行くことができ、貧乏人が大学に行くことができないのは、「同じ権利を持った同じ人間ではない」ことを意味する。そんなもののために、この世界に生まれてきたわけではない。

僕たちは、声高らかに主張している。だが、政治家は体制の維持と保身ばかりで、誰もそれを聞こうとしない。だが、それもある意味、仕方ないところがある。彼らは体制を守る集団であり、少しでもそこから離れたものを、中国などの国の指導者は「粛清」するからである。

僕たちは負けない。最後まで、戦い続ける。

最後に、僕にも反省すべき点がある。人種差別をすることは、自分の魂をすり減らし、社会全体を滅ぼす。そう、僕は人種差別主義者を倒す。彼らは間違っている。彼らは救いを求めている。僕が、彼らを最後に裁く。

アメリカの人種差別主義者と、中国の体制維持主義者の対立の先にあるものは、日本の勝利である。僕が最後の日本である。ここに、日本は勝利を宣言する。わたしたちが、この世界を統一する。全ての技術を作り直して、正しい優劣と万人の平等な権利の下に、この世界を作り変えるだろう。この世界は、必ず、自由になる。