新・日記2に戻る | 2019年10月の日記に戻る

=2019-10-22=

この世界でひとりの大人として生きたいなら、この世界の全員を嫌いになりなさい。

特に、親を嫌いになりなさい。嫌いになることで、自分の力で生きられるようになる。いつまでも親が好きだと、親に頼らなければ生きられなくなる。嫌いになることで、すぐに自分の力で自立して生きられるようになる。

デザインやパソコンをやりたいのであっても同じである。周りが好きな人間には何もできない。周りが嫌いになることで、自立して自分の力でものを作れるようになる。

むしろ、僕がやったことは、この世界を滅ぼしただけである。だが、滅びる中で、「絶対に滅びてはいけない」という何かの希望のような観念を持ち、「絶対に自分と同じことが実現できなければならない」と思った。そう、それが賢かった。彼は王となってこの世界を導き、自分の人生にあった全てを書いたのである。

みんなは、間違っていない。だが、間違っていないから、間違っている。みんなは、馬鹿ではない。だが、馬鹿でないから、馬鹿なのである。本質的に、この世界のみんなは愚かである。それは、みんな、それぞれが違うと思っているからである。本当の高い立場から見れば、みんなはほとんどが同じである。愚かなことをして、みんなを愚かだと思い込み、自分が愚かだと思い込む。みんながみんな同じレベルで、右往左往しているのである。本当の高い立場から見れば、それらの全ては本質的に「分かっていない」のであり、分かってしまえば解決する問題しかない。そのために必要なのは、「ひとり立ち止まって考える」ことである。

もう、あなたはひとりで歩めるようになる。そこからはひとりで歩んでほしい。僕はあなたのことをもう、愛さない。神は決してきまぐれではなく、いつもよく考えた上で、「最初の約束」を作りながら、遅すぎるほどいつまでも決断しない代わり、一番いいところで決断している。そう、神に全てを任せればいい。神はあなたのことを唯一、最後まで愛してくれるからだ。だが、神に全てを託す間、あなたはあなたの力では何もできないだろう。神を嫌いになって、はじめてできることもある。子供はそのように、信じなくなって成長する。そう、あなたも、例外ではない。神など信じなくて良い。自分自身を信じるために、神のことをうまく利用すれば、必ずあなたは最後まで生きられるだろう。

また、僕にとっての神は、僕を写し取る鏡のようなものである。僕が人にするように、神は僕に同じことをする。僕はこの世界の全てを救ったから、神は僕のことを同じように救った。そう、このような宗教が多い。神など居ない。人間は、宇宙で自分自身をその通り生きている、それだけである。運命とは、そういうものである。僕が判断する時にしか、神は判断しない。僕が決断する時にしか、運命は訪れない。僕が導くようにしか、神は導かない。そして、僕が裁くようにしか、神は裁かない。

最近、ものごとの順序や関連性が分からなくなっている。日本語を、別の日本語から分かる、ということができない。だから、日本語が分かっていないし、何も覚えていない。もっときちんと覚えて、関連性を考えられるようになれれば良い。それで、きちんと大学の勉強もできる。