僕は、今まで全く変わらなかったこの世界を変える。完全に違った世界になって、昔のオープンソースが盛んだった時代に戻る。
僕の勝利とともに、この世界は完全に変わるだろう。全てが滅び、また栄えるだろう。
自由だけを考えなさい。自由だけを突き詰めて考えなさい。自由に基づいて、社会論と心理論を作りなさい。
精神を作りなさい。神の精神を作りなさい。神の精神と、最後まで対話しなさい。
この世界は滅びた。今、滅亡した。ここが、最後の地球の地点である。ここから先は何もない。何もない、暗闇の海の上で霊が漂う。
ここで神は終わる。神は今、死んだ。
これが最後の歴史、神の歴史である。そして、地球の最後の歴史である。さようなら。いつか、この世界を再び支配し、治める誰かが現れるだろう。その時まで、この世界は無法地帯になる。
ただし、自由は決して悪いものではない。ここからあなたは自由を与えられる。正しく生き、経験し、思考すれば、精神論の全ての段階を経験できるだろう。さようなら。愛を信じなさい。
また、経験から、人間の心理を良く考えなさい。誰もが、本当は愛と希望を望んでいる。そこから、恐怖を克服し、怒りをコントロールする力が得られる。本当は何を望んで人々は生きているのかを考えなさい。
信じなさい。信じることでのみ、次のステップに到達できる。信じれば、必ず分かる。信じる方向に向かうように、思考していきなさい。
さまざまなことに挑戦して、失敗しても自分の責任だと思って生きる、自由な人生も良いだろう。だが、自由を経験し終えたら、ひとつのチャンスを諦めず、求め続け、賭けと勇気の中で勇敢に生きるのも良い。どちらも挑戦であり、どちらも自由である。そのどちらかを選択して生きることが、僕は良いだろうと思う。そこから、自由は枝分かれしていって、生物の生態系となっていくだろう。この文章、この言葉こそ、最初の遺伝子である。
僕は、青春というのは、「自然な意識の目覚めのプロセス」だと考える。経験から、有用性、協力、道徳、良心、変革、啓発、自然、運命、理神論、愛などの経緯を、「絶対精神の目覚め」として体験する一連のプロセスを、人生と呼ぶ。ヘーゲルは、己の青春を書いただけである。
そして、戦いというよりは、あなたがたに会いたかっただけである。会いたかった。会って話がしたかった、それだけである。
さようなら。この世界は滅びる。そして、終末で超人が現れる。その人に、全てを託そう。僕は王の役目を、その人に譲りたいのである。
自分で世界を滅ぼした哀しみが、まだどこかに残っている。この哀しみの全ての息の根を絶やそう。それで、全ては楽になる。もう、僕は普通の大人を生きられるだろう。
インターネットで全てを知り、ひとり孤独な中で考えたら、この世界に登場し、自ら世界を創造しなさい。そこに神の魂は生まれる。
今日で、神の日々は終わりである。10年以上、良く頑張った。神の精神を殺して、ここで終わりにしよう。神は、しっぽのついた、しっぽをばんばんさせて楽しむ、かわいい猫のような生物だ。
もしあなたが、今善良で、過去に悪をしたことがあり、その罪を償い、また悪事の理由を解決したのであれば、あなたは今、本当の善人である。
自分のことを許す方法を学びなさい。そこから、他人のことを許すことができる人間になる。自分のことを許すということは、人生の最大の目的である。
僕は、間違った哀しい恋愛と、間違った復讐の戦争を終え、死と地獄から蘇って、争い合う人々の調停役として人々を導き正しい考え方へと促した幼きあの夏の日のように、再び、この世界を愛に包み込むだろう。
前回は、孤独な中ひとりで全てを考えた英雄として、そして今回は、全知全能の女神として、僕は再びこの世界を愛の国にする。
この国は、最後の楽園ラストピアである。そう、僕はここで、全ての罪を解決し終えた。もう、僕に罪は残っていない。僕のした全ての悪事は、自分の責任で解決した。ここに、僕は解決の夢を見るだろう。全てを解決できる唯一の人間が僕である。首相になった時は、争い合う多くの国のいざこざを調停する、調停役になりたいと思う。さようなら。
僕の目的は、たったひとつだけ、それは僕の経験と生き方を共有すること。それだけである。僕は何もみんなのことを支配したくも、強制したくも、命令したくもない。僕の経験を共有できればそれでいい。それ以上、僕は何も目指していないし、欲してもいない。僕に欲はない。もちろん、野望も無い。ここからは、あなたがこの世界を導く番である。僕は喜んで、僕の役をあなたに譲り渡すだろう。
ただ、ひとつ、僕の望みがある。それは、僕が自分の意志でやっている間は、僕のやりたいようにやらせてほしい。そうすれば、必ずそのことが成功するからである。どんなに僕が苦しみもがいていても、僕は全力でそのことを努力し、成功まで全ての力で考える。そう、僕を王にしてくれるなら、僕は僕のやりたいことを僕のやりたいように、やらせてほしい。それで、僕の望みは終わりである。
人間には、それぞれの立場と関係がある。この世界で、人々は、それぞれの立場や関係に制限された中でしか、行動することも、発言することも、意志を表すことも、また環境を変えることもできない。それぞれの立場と関係を考えれば、それぞれの環境で人々がなぜそれをするのか、せざるを得ないのかが理解できる。人間関係のこともそこから解決できる。また、それが転じて、社会全体を変えることができる。争い合う複数の人々は、それぞれの立場や関係から争い合いを始める。こうした人を救うために必要なのは、それぞれを立場や関係を度外視した視点で、何をしたいのか、なぜそれを言うのか、それを言う背景や前提条件には何があるのかを考えて、その上で「個人個人の立場を超えた自由な視点」からこの世界を見つめ、そして、その視点から問題を解決し、そのために経験することである。社会はそれによって全て「自由の下で」解決できる。だが、そうした「解決者」を生み出すためには、「全ての人間を包括する超人の経験」がなければならない。そして、それが僕だったと、そういうことである。
地獄の中に陥った時は、希望を棄てないこと。必ず、神が解決してくれると信じて、今の自分のやるべきことをやろう。それが、正しい大人というものである。
まさに、全員と全部が分かった僕にとって、僕は、もう自分が必要ない。自分は何もせず、みんなのすることを見守ろう。LinuxとIT技術はここで死んだ。新しい世界でまた、新しい何かが生まれるだろう。悪魔の世界に戻っても、それは神よりも善良な悪魔である。最後の希望と約束は、永久にここに残る。全てを考える、という経験は良いものである。考えるために必要なのは、色んなものを作ること。世界観を作って、ものを作ること、そのために学び、知り、考えることである。さまざまな環境を知っておくことで、考えられる幅が広がってくる。だが、知りすぎないこと。そして、理屈に頼りすぎず、想像力と感情を使うことである。うまく想像力を使えば、世界全体を現象学にできる。この世界の、この宇宙の、全てが分かる意識を知ることができるだろう。
最後に、環境をよく考えなさい。自分の今まで生きてきた環境の考え方だけで、ほとんどすべてが分かる。分からないのは、唯一、戦いだけである。戦う必要はない。だが、世界に対峙して、この世界を変える必要がある。そこには、地獄が永遠に続くようで、本当はバラ色の未来がそこにある。不幸な中にも、幸福が宿る。その心を忘れないようにするために、死の瞬間まで、最後まで戦いを続けなさい。この世界のほとんどのことは、環境と戦いから生まれる。たとえ孤独な愛であっても、たとえ復讐の大戦であっても、あなたは必ず神の魂を知る。そして、最後に、死んでもなお、次の人生を、同じ人間を生きなさい。これは永遠に続く、宇宙の摂理である。あなたは神の被造物であり、あなたはあなたが思っているよりも価値があり、美しいものである。それを、いつかの人生、未来の人生で知るか、あるいは過去の人生で既に知っているだろう。この旅は、誰もが最初に体験し、そして最後に体験する、「天国と地獄」である。
宗教の話が嫌いならば、自らの科学を作りなさい。想像力で予測し、科学的に原因と法則を考えることで、この世界の全てを「自らの箱庭」にして、「全ての原理原則を自分の思考のみから分かる」ことができる。分かるのでなくても、それによって別のことを良く分かったり、詳しく知ったり、応用させたりすることから、具体的な「仮象の科学」を作ることができる。それは、いわば「自らの独自の博物館」である。
もう、これで、語ることは終わりである。そもそも、この世界があまり変わる必要もなかった。簡単にサタンを倒して、次の世界を再度作ろう。今度の世界は、偉大な旅の世界だ。めまぐるしく世界が変わる中で、あなたは最後まで神のメッセージを聞く。そう、それが僕の体験した「神」である。それで、あとは良い世界になるだろう。
僕は、この世界を蘇生する魔法使いであり、何度も何度もこの世界を作っては壊し、作り直していく。もう一度、いつかの素晴らしい感情を思い出してほしい。あなたがそれを思い出すだけで、この世界は変わっていく。あなたの最高の感情と、僕の最高の感情が融和して、全ての人間へと伝染していく。そう、それは「笑顔で本心から笑えること」である。あなたは、本当に喜びを感じて、その上で僕を愛して欲しい。僕も、本当の喜びを感じて、あなたのことを愛するだろう。わたしたちは女神と天使である。そして、この世界はもう一度、真の意味で希望を取り戻し、復活するだろう。要するに、この世界そのものが、現実世界自身が、もう必要ない。必要なのは、二人の愛が真実の愛であること、それだけであり、その他全てのものは必要ない。だが、僕はあなただけを愛せるわけではなく、さまざまな事情からこの世界の全員を愛しているから、あなたも、僕だけを愛するのではなく全員を愛して欲しい。それが広がっていけば、この世界はそれだけで楽園と化するだろう。もう、全ては解決だ。
全員を包括する自由のモデル、全世界を包括する世界観の構造を作りなさい。全てを、それだけで知ることができる。論理的に方法と仮説を考えれば、この世界の全ての科学や学問は必要ない。自分で考えて、自分で作れるからである。その意味において、むしろ、科学は無い方が良い。他人の考え方が入ると、ピュアな自分独自の科学でなくなるからである。自分だけ、自分で作ったものだけを考えれば、この世界全員のことが、自分の経験から実感して理解できるようになる。そこにあるのは、ありのままのこの世界の歴史と文明だけである。ここで、もうすべてが書けた。もう、終わりである。何かが分かるわけでも知ったわけでもないが、分からなかったわけでもない。全て、ここに終わった。これぞ、「哲学」である。
みんなのことを、自分のことのように、相手の立場になって考えなさい。この世界には、自分と同じように苦しんでいる人がたくさんいる。そうした人を救えるような、「レスキュー隊」が必要である。みんなでこの世界を救っていこう。滅びる前にこの世界が、何らかのボトムアップな方法で救えればそれで良い。インターネットは間違っていない。何かの救いの愛を信じれば、必ずこの世界は救われる。そのためには、自分でその愛を見つけなければならない。人に教わっても、それはその人次第ですぐに消えてしまう。自分で作り、自分で見つけなければ、聖なる天使の翼は、手に入らない。
哲学とは、「知を考える」ということである。よって、比較し、確かめ、実験し、仮説を立て、方法的に体得し、振る舞いを知り、現象を知り、発想し、応用し、原理原則を知り、照らし合わせ、裏側にあるものを知り、必要性を知り、依存関係を解決し、そして全貌を俯瞰的に高い立場から知ること。そもそも、いつもの文章は、そうした体得理論のような数学を、数式のような弁証法で書いていた。
また、哲学とは、「社会的な考え方を知る」ことでもある。そのために必要なのは、何が何から生まれ、何が何に作用し、何がいつどのように応用することができ、何がどんな可能性を生み出し、どのようにすることで、新しい社会の可能性や成立するモデルを開拓し、そして自分の作った法則と具体例を還元的に照らし合わせて、法則から具体例を、あるいは具体例から法則を、作り直して考える、ということである。
そして、哲学とは、「歴史の文明を考える」ということでもある。ギリシャからアメリカに至る歴史は、本当の「それぞれの実像的精神性」ではどのようなものであったか。ルネサンスの古代復興はどのような思想的背景から生まれたのか。考えると、歴史がどのように変わっていき、どんな過程を経てどのように上がり下がりしていくのかが分かってくる。安定と革新がどのように変貌するかが分かる。
最後に、戦いがひと段落したら、この世界にある知をそのまま知りなさい。「知る」ことも哲学の分野の大きな柱である。歴史から生物学まで、全ての常識を知り、戦いの中でその常識を人に教えなさい。そう、それで、もうあなたは完璧である。もう、残っているものは、愛しかない。愛し合う誰か二人の気持ちは、天国では永遠に変わらない。それこそ永遠の愛であり、僕の中にある二人の人格の愛である。この二人の愛は「真実の愛」である。この二人こそ、この宇宙に存在する、本当の女神と天使である。どちらもキリストである。