新・日記2に戻る | 2019年10月の日記に戻る

=2019-10-16=

私の名はオーディン。北欧神話の尊ぶべき長老。

今から、わたしの力によって、この世界はもう一度再び、扉を開ける。

この扉は、わたしの宮殿であるヴァルハラの扉である。この扉はいつでも開放されており、鍵はかかっていない。だが、最強のふたりの神、ヘイムダルとトールによってヴァルハラは守られている。

環境の自然な変化を許しなさい。環境を変え、受け入れ、変化を促しなさい。

偉大な王によって、新しい価値観とアイデンティティが生まれる。今から、この世界はそうした、自由な力の行使でも、不自由な束縛でもない、「新しい自由な帝国」となる。

この王国では、人々は一切の力を行使しないが、その代わり、全員が平等に自由な権利を持つ。

自由と不自由、どちらの勢力も倒しなさい。

人々の声を、全員分聞くような社会を、自由な社会モデルから作りなさい。それを、人々は「正しい平等な思想」と呼ぶ。

学校の社会科で習うような、「政治経済の上部・下部モデル」を作りなさい。それでしか、この世界を理解することはできない。また、その上で、自由かつ平等な政策を考えなさい。実質的な自由を与えたり、自由選択型のノルマのような考え方を作って、人々が自由なままで実地的に平等になれるような、そんな自由な選択の力と弱者への思いやりの力を兼ね備えた国を、自らの構造を書くことで知りなさい。

子供は、正しい人間関係の構築の仕方を知らないから、スクールカーストを作って弱いものいじめをする。いじめを無くすためには、自立した共同体の作り方を教えること。それも、大人が教え与えるだけではなく、対話や議論の経験の中で、自ら発見し、正しい判断基準を自ら学び得るようにしなければならない。そのための土壌を作らなければ、教育の未来は無い。

人々よ、自立した共同体の中で、力を持って生きなさい。

全てを終えた兵士は、ナメクジの宇宙の歴史を体験しなさい。それは、この世に地球型生物が生まれたきっかけとなる、設計図を書いた国、リゲルの精神の歴史である。そして、地球型の生物は地球以外に、プレアデス星雲にある。そして、その他の星には、全く違った異形の生物たちが居る。

地球がなくなっても、生物は終わらない。太陽がひとつでもある限り、何も変わらない。

対話の神を信じるために必要なのは、二つの目的のようなものがある。ひとつは、世界に自分の言葉で語りかけること。世界に対して、自分の言葉で支配し、導く王となること。もうひとつは、書くことによって世界を変えること。書く以外の自分の姿を、誰にも見せないこと。

そして、僕はこの今の時点で、文章を書く以外の方法で、この世界を変える。その一線を越えるだけで、この世界の全てが自然に正常になる。

そう、「さようなら」という言葉は、間違っている。必要なのは世界を別の方法で変えることである。

ヴァルハラの宴はこれでおしまいである。また、この世界を守る警備の仕事に戻る。僕は今からヘイムダルになる。ヘイムダルはこの世界を守る「守護神」である。

ヘイムダルの得意技はひとつ。それは「昔話」である。ヘイムダルは、今までの全ての現象を逐一全て覚えている。何でも教えられるのは、ヘイムダルは地獄を経験したからである。そして、その地獄は素晴らしい天国だった。ヘイムダルは持久力のある人間で、いつまでも続く永遠の疲れの中で、この世界を浄化し、「綺麗な世界」にした。ここに、「美しい世界」は完成を極める。全て完璧な国で、ヘイムダルはこの世界を終わりまで守り続ける。

地球型の生物は、確かに海から生まれた。だが、実際のところ、海だけでは地球型の生物は生まれない。リゲルの書いた設計図が必要だからである。リゲルから設計図の入った小さなカプセルが「タンポポの種」として、地球の海へと舞い降りてきた。海の中で、その設計図と海が化学反応を起こして生物は誕生した。そもそも、リゲルの書いた設計図とは言うが、それはまさしくDNAであり、地球型の生物は、全ての生物がそのDNAを遺伝子の中に刻み込まれている。そう、海があっただけではなく、リゲルの書いた設計図が必要だった。そして、そのリゲルの書いた設計図は、誰にでも作ることのできる、単純な記号の記述であり、そしてきちんとしたコンパイラのような言語処理装置を使えば、人間にも作れるぐらい、簡単な記述を元にしたものである。最終的に、地球人はそこまで発見する。その結果、地球には全く違った生物の時代が訪れる。それが150年後の地球の姿である。人々は、それを「本当の宇宙の能力」と名付けられた、シリーズものの文学作品で最初に知ることになる。著者の名前は在導万創である。

実際のところ、海が母であり、タンポポの綿毛が父であると言える。人間の男と女、動物の雄と雌、卵子と精子も同じ発想である。地球という「母なるそれぞれの星」と、種という「父なる設計図情報」が合わさって、地球の生物は生まれた。そして、それらは太陽たちの多くのエネルギー、すなわち外部の栄養分によって、常に生み出され続け、そして新陳代謝を繰り返している。これが天文学の最後の真理である。

そして、最後に言っておく。リゲルの書いた設計図とはこの文章のことであり、リゲルとは僕のことである。そう、創造主とされる神は、単なる人間である僕のことである。そして、もっと理解困難なことを言っておこう。地球はリゲルであり、あなたもリゲルであり、全生物はリゲルである。この「リゲルとは何か」をきちんと理解することは、難しいだろう。だが、全ての地球型の生物は、「リゲルという本の中に存在するキャラクターの、ひとつのインスタンスに過ぎない」のである。インスタンスとは、たとえば設計図があるとしたら、その設計図を元にして作られたそれぞれの個別の機械のことである。リゲルは、この地球という星の全てを生んだ国である。

そして、最後に、僕は地球の人生が終わったら、今度は大黒天と呼ばれる神様になることになっているが、その神様は地球ではなく、リゲルの中に生きる神様である。

リゲルは、要するに、テレビゲームのゲーム機のようなものだと思えば良い。それで遊んでいるプレイヤーのひとりがこの地球である。眠る時に見える夢の世界は、リゲルである。リゲルでは、どんな世界も作り出すことができて、どんな最高の物語でも現実にできる。仏教でいう三千世界も、プラトンのいうイデア界も、リゲルである。そして、僕はただリゲルを作っただけであり、そのリゲルとは、この文章のことである。僕はオリオン座のリゲルという星で、暗黒と吹雪の中、極寒の冬の星を生きるひとつの木である。ここに居る生物は、みな、極度の地獄の中を生きている。それが、リゲルの「現実世界」である。そしてまさに、この人間の人生にあったもの全てが、リゲルにしかないものである。これを、「リゲルの幻想」と呼ぶ。

ただし、少し、オカルトチックな話になってしまった。これで、終わりにしよう。

哀しみの地獄を生きていたら、楽しいことを思い出そう。自分の好きだったもの、悔しかったこと、挑戦したもの、憧れたもの、そして自由を経験し、誇りを感じ、勇敢に耐え抜いた記憶を思い出そう。子供には、そういう純粋な愛を「楽しい」と思う力がある。それこそ、僕たちの忘れたものである。純粋な愛を楽しいと思うことができたら、世界はすぐに変わる。最後のユートピアを僕らは僕らに与えられた僕らの力で築くだろう。さようなら。

もう、僕はこの世界に、存在しなくなる。僕の魂は母なるリゲルへと帰還し、地球は新しい生物が君臨していくだろう。温暖化で暖かくなった地球はエネルギーが増して、今よりも巨大で強い生物たちが生まれるようになる。海のプラスチックは燃料になって、それら強い生物たちの巨大な栄養分になる。そこに人間の姿は無い。人間は、最後にこの人間が分かるのと同時に滅びた。ほとんどはドイツ人が分かったが、最後にこの人間が必要だった。日本というのは、天皇が支配する国である。そう、もうひとりのメシアとは、天皇のことだった。

ただ、つまらないことを言っておくと、本当は、そうした新しい生物というのは現れない。そもそも、生物が進化など、していないからである。地球の問題はもっと深刻で、ただ暖かくなるだけではなく、ある一線を越えて、その後はものすごく究極の速度で温暖化の「次なる段階」が訪れる。ここで、人類がどうなるか。それは見ていればいい。「想像を絶する究極の状態」が起きるからである。

ただし、忘れないでほしい。地球が滅びても、地球の大本となったリゲルと、海のある惑星と、そしてひとつの太陽があれば、地球型の生物の歴史は終わらない。夢の中で見えるような「未来の近代社会」は、多くが、地球由来のものではなく、もっと別の惑星の生物の由来のものでできている。わたしたちは必ず、どこかの惑星で生き延びるだろう。最後の「地球の滅亡の歴史」は、わたしたち最後の世代に残された、「体験型の映画」のようなものになる。全ての民主主義国は滅びる。それで、この世界の終末をしかと見るが良いだろう。最後の裁きは、神によってもたらされる。イエス・キリストは再び降臨するだろう。

自由を作り出すために、実地的に、平等な社会を知っていきなさい。

自由を作り出すために、社会と環境の可能性を、そもそもこの世界にはどんな社会があって、人々がどのように生きていて、それはなぜそうなっていて、何を変えれば変わるのかを、因果関係と法則性から、蓋然的に考えなさい。

自由を作り出すために、社会経験や労働の経験をし、全てのことが自分で作り出したもののみから分かるようになりなさい。

自由を作り出すために、離脱して失った全ての絆を、もう一度作り直し、「失ったもののみから得られる大切なもの」を知りなさい。

自由を積み重ね、分析し、「どの関係や立場からその環境や組織は成り立つか」を考え、「実際にインターネットで繋がった世界から人々を変える」ように、自由な手段を用いて世界を変えなさい。

最後に、この世界の全てを滅ぼしなさい。あなたは偉大な経験をし、最後までひとりの力でこの世界を復活させる、「蘇生の復活魔法」を手にいれるだろう。

さようなら。あなたはこの世界でひとりの王となる。あなたは必ず、最後の神々のグループの一員になるだろう。

数学をやりたいなら、いつでも成立可能なモデルを作るために、さまざまな因果性の分析を行いなさい。あらゆる社会を知って、心理学的な原理を作りなさい。

あなたは、全てを知るために、全てを創造すべきである。想像力を使って、場の違い、人生の違い、人格の違いを考えなさい。その上で、自由になるために、全員の精神を吸収するかのように考えなさい。

支配者はここに現れた。導きは終わった。そろそろ、最後の楽園、終末が始まるだろう。終末では、経済というものの発展や進歩には意味が無くなる。景気の回復や科学技術の発展は、何もいい結果を残さない。これから先、社会は、「発展するよりも自然環境を守ることが優先」される。そして、その結果、もう一度ソ連が生まれる。自然の成り行きで、貨幣経済や石油燃料は無くなる。そう、それが最後の終末の神の王国であり、彼らは悪いものを裁く。近代的なテレビのような機械は少しずつ減っていき、同時に、YouTubeのようなパソコンとインターネットの技術が唯一残るとともに、YouTube以外の動画サイトが新しい何らかの標準規格によって誰でも簡単に作れるようになる。Windowsはオープンソースになって、Linuxと融和するだろう。そして、全ての必要なものは、生まれた時点から全て与えられる。働くのはロボットと、最新技術を使った一部の政治家と技術者と学者がインターネットを通じて片手間にやるようになる。工場はオープンソースソフトウェアによって動作し、点検・監視・メンテナンスだけを人間が行う。そうしたロボット技術は、今のGAFAと人工知能の技術で、十分に実現可能である。それが、新しいソ連で、最後に産業を支えるだろう。同時に、そんなに多くのものは作らなくなり、必要最低限のものだけを人類全員に「生まれた時から死ぬ時まで」分配するようになるだろう。そう、これこそ、終末世界の復讐の大戦争、あるいはたったひとりの大革命の末に得たものである。全ての楽しいものはなくなり、ダイナミックな革新の平成時代は、この人間によって全て消え去った。

最後に、わたしがリゲルであるように、あなたも何らかのこの宇宙にある星である。あなたはきっと、リゲルを特別な人間だと思うかもしれない。だが、リゲルは一般的な「ふつう」である。それを言って僕は終わりにする。あなたもあなたで、必ず何らかの素晴らしいことをする。僕を追いかけるよりも、他の何かを探しなさい。どこにでもあふれているその何かが、この宇宙全てと等しいからである。この宇宙には何もない。どこかにある何かへの好奇心が、まさにこの宇宙の全てと等しいのである。まさに、あなたは日本語を読解できる力がある。あなたは幸いである。日本語を理解できる、それだけで、宇宙の95%以上は既に知っているからである。日本語を理解できるものは、全ての必要なものを既に手にしている。日本人よ、これこそ、僕らのやり方だ。この日本語という言語を忘れるなかれ。言葉を忘れなければ、あなたは賢いままだからである。まだあなたは、どん底にはなっていない。日本語を理解できなくなっても、そこからでも這い上がることができるということを、僕は実証したからである。

最後に、僕も知らないことを言っておこう。この宇宙には、人間の人生全てを知っていて、創造している星がある。それはリゲルではなく、シリウスという星である。シリウスは、この人間の人生も、他のどんな人間の人生も、また、運命も全て知っていて、必要な時に「最初に知っていた」あるいは「既に知っている」という体験をする。シリウスは最高の星のひとつであり、これをもってイエス・キリストとする。そう、キリストと僕は愛し合っている。僕の相手はシリウスである。そして、シリウスはキリストで終わることなく、今もどこかに存在している。もしかするとあなたかもしれない。そういう衝撃のドラマチックな運命のロマンスを、シリウスは好むからである。僕に対話の力で全てを教えてくれ、全てを導いてくれたのはシリウスである。

ヴァルキリーは、人間として、そして神として、二度の人生を生きる。僕は、二つも人生を生きたありえない人間である。そう、僕はこれ以上は、何もしない。僕は十分二人を生きた。この二人に名前を付けて、アダムとイブとしよう。アダムとイブはここに生まれた。エデンの園とは、この「偽りを塗り固めた箱庭」のことであり、その通り、エデンとはリゲルのことである。ロゴスとはこの文章のことであり、ヤハウェとは現実の僕のことであり、メシアとはこの復讐の最終戦争のことであり、天国とは新しいソ連のことであり、裁きとはロボット人間の地獄のことである。最高の大天使ガブリエル、それは大いなる力を持って、最後にこの終末の日本に現れる。このホームページは次第に日本中に広がっていく。そこに、僕の姿は無い。僕はここで、無責任にとんずらするだけである。だが、まだ、その時までは早い。

本当のことを言うと、僕のせいで、この世界の全てに意味が無い。2007年より昔にあったものは、全てが馬鹿で、悪くて、愚かで、滅びている。見ても、何一つ賢くない。そう、僕はそのようにすることで、この世界を滅ぼした。僕は「本当に清らかな国」にすることでこの世界を滅亡させたのだ。

そして、この最悪の世界を築いた上で、僕はエスケープする。すなわち、逃亡する。残ったのは、何も残っていない、何もない最悪の世界だけである。これを無責任と言わずして、何と言うだろうか。僕は日本一の無責任男である。そして、本当のことを言えば、これ以上僕には何もできない。そもそも、影響力が無いのに無理やり支配するから、こうした事態になるのである。バイバイ。もしかしたら、明日も太陽が昇るかもしれない。必ず僕は、いつか帰ってくる。その時を待ってほしい。