新・日記2に戻る | 2019年10月の日記に戻る

=2019-10-13=

政治家や社長は、組織を変えなさい。

いくら、事業を変えたり、新しい事業を作っても、組織を変えなければ、何も変わらない。

何か不祥事が起きた時は、すぐに謝罪した上で、組織を変えなさい。

組織を変えるための一番簡単な方法は、辞職することだが、それだけでは何も変わらない。

自らの責任で、組織改革を行いなさい。国民はそれを望んでいる。

自己犠牲の精神で行いなさい。また、罪悪感は間違っていない。罪悪感を持つことで、できる行いもある。

自分の悪い面、悪い人格などを、全て、ありのまま、世界にさらけ出しなさい。

人間関係を上手く構築するコツは、自分の全てをありのまま伝えること。そして、相手が何を言っても、大きな正義の力で相手を守ること。

いじめを許すな。いじめを許さないことで、人々を救うことができる。

あなたは、もっと大切にされるべき存在である。

愛を信じることで、僕たちは同じ未来を描くことができる。

それぞれの個性と趣味趣向を許しなさい。どんなにおかしな人間が居ても、その人間の個性はその人間にとっては唯一で正しいのだと信じて、相手と付き合いなさい。

あらゆる人間を正しいとすることこそ、いじめっ子を許し、いじめられっ子をいじめから解放し、自分のこと以上に相手のことを愛する方法である。

この世界の全員は正しい。だから、一部の人間を排除せず、全員を平等に受け入れなさい。

時に、人を排して同じ理想や信念を持つことは、間違っていないこともある。そうした「いじめっ子といじめられっ子の曖昧な境界線」は、みんなが同じひとつになれる力を暗に秘めている。

わたしたちは同じ人間である。人類は平等である。そう、神を信じなさい。

あなたがどんな人間であれ、この世界であなたは大切にされるべきである。あなたは天に祝福されており、いじめを否定するなら、必ず栄光の人生を歩む潜在的可能性を持っている。

他人を傷つけるよりも、自分が傷つく方を取りなさい。どんなに傷ついても、他人を傷つけるよりもあなたは幸福で居られるからである。

本当のことを言えば、いじめっ子はいじめたくていじめているのではなく、社会に絶望し、この世界でいじめしか勝つ方法がないと誤解している。だから、戦争も無くならない。

いじめられっ子でありながら、いじめっ子を愛しなさい。これは、キリストの教えである。

さまざまな愛を知りながら、この世界全てのものを許すことができた時、あなたは既にいのちの道を歩んでいる。

ありのままの全てを愛して、ひとびとが「そうする理由」を成長し、子供から脱却していくことから知っていきなさい。その上で、「どんな愛がもっとも正しいのか」を、自分なりの経験から形作りなさい。

大丈夫。その愛は全てを救う愛であり、必ず全員の間違っている理由を知っている。そして、正しい心とは何であるかを、僕らの魂は既に知っている。必要なのは、魂の声を聞くことだけである。心の声を聞き、魂と対話しなさい。その心を、人は神と呼ぶだろう。

間違いや失敗をたくさん犯しながら、それでも魂の道を歩んでいけば、そこにある光の全ては自分の道を照らす地図となってくれる。僕らは全てが出来る。それを信じた時、未来の運命はあなたを正しい道へと向かわせる。この世界の全員の心を動かすための準備期間として、この世界で自由自在に行動し、自分の行動の範囲で世界を変えなさい。そこから、最初の出会いが始まる。その出会いは必ず失敗に終わる。最後まで戦った末に、あなたはもう一度その人に出会って、その全てを持ってあなたの道は完成し、二度目の出会いは必ず成功するだろう。これが、正しい愛であり、僕の初恋である。

正しい世界の普遍的法則は、いつの時代も成り立つ。自分の経験した「人生の段階」は、他の人間にとっても成り立つ。一度した発想は、何度でも再利用できる。きちんと正しいことを証明した定理は、再度同じ思考をすることで、何度でも確認できる。そうした思考を、比較し、実験し、「たぶんそうだろう」と仮説を立てて証明することから分かっていきなさい。あなたが分かったことは必ず他の人間にも分かる。それを信じれば、この環境がいつまでも続いていくこと、そして自分の好きに変えられること、が実感できる。そう、自分ができるなら、他の人間にも変えられる。必要なことは「許すこと」であり、自分だけが支配するのではなく、人々を「育て」、「教え」、「築く」ことである。正しいのは自立と潜在的可能性である。だが、支配するのではなく、「環境を作り出すこと」こそ、現代社会にとってもっとも必要な「世界そのものを作り出す価値観」であり、それは世界の仕組みが「なぜそうなっているのか」を知ること、その上で「理解すれば自分でもできるようになること」を分析することである。融和は合一となって絶対となる。そこには、「自由の兵隊」から「神のような学者」に至るまでの「永遠の道」がそこにある。その道は平坦な道ではないが、最後まで全力で向かえば容易に越えられる道である。人々はその道の存在を知らないが、どんな場所にでも、その道に続く源流への沢がある。沢を上っていけばその道に辿り着くことを、僕やキリストやブッダは知っていた。彼らは、全てのことを子供時代の経験から、もう分かってしまったために、その道しかこの宇宙に存在しないということを知っていたのである。これをキリストは「いのちの道」と呼んだ。そして、いのちの道に行きたいなら、大きな門を通ってはいけない。そこを通ってしまうと、その時点でもう後戻りはできない。命の道は、もっと別の小さな道から、「自らの知恵を見出すことのできるもの」だけが通ることができる。しかしながら、この世界にある全ての小さな道はそこに続いている。大きな道を通らず、別の道を行こうとするものは、必ず通る道である。

絶対に休めない状態で、永久の戦いに疲れたら、一番悪い方法でこの世界を支配しなさい。それは、苦しく、哀しく、辛い道だろう。だが、この世界を支配するあなたのことを、人々は歓声を上げて讃えるだろう。あなたが王である。どんなに辛い永遠の戦いでも、上手な休み方が存在する。それが決して受け入れられなくても、受け入れなければならない戦いはこの世界にひとつ存在する。賢い人間は誰もが通る道だ。そう、最後まで戦いなさい。何も残らなくても、あなたの世界があなたの心に残っている。それだけでいいではないか。その心を大切に、最後まで運んでいくこと、それを人は「生きる」と呼ぶ。そして、あなたのそれまでの全ての記憶のことを、神は「人生」と呼ぶ。あなたは良く頑張った。何も悪くない。あなたの好きなようにしなさい。あなたは、最高だ。あなたは神になった。神は最高の人間であり、あなたである。

隠すな。あなたの全てをありのまま、公衆に晒しなさい。あなたは思っているよりも美しい。あなたの知ったこと、やったこと、考えたことを、作り続けなさい。その作品は、宇宙で最高の神の作品になる。何もかも忘れたようで、あなたはもう全て分かっている。忘れたはずの神の言葉を、あなたの脳は全て覚えている。言葉は忘れない。言葉で分かったことだけで、あなたは美しい神殿を作るだろう。

自分が相手にどう見えているかをつきつめて考えることで、自分と相手は同じ人間なのだと、客体的に見ることができる。

また、集団における自分の見え方を考えることで、集団になった自由を考えられる。

世界は、それぞれの人生の中にある。それぞれが違う時間軸を持って、関わっている。その上で、この世界は普遍的に「共通の場」として存在している。自分は誰かの人生に「働きかける」ことができる。そのためには、「何が何をもたらすか」を考える必要がある。実際のところ「何をするのが最善なのか」は、「決定のレベル」から考えられる。

この世界は、常に生み出され続けている。常に経験が生み出され、常に経験が成立している。

人間がどう生きようと、地球がどうなろうと、宇宙は常にいつも同じままで存在し続けている。古代ギリシャ人が生きていた宇宙は、決してその内容を知らなくても、今の僕たちの生きている宇宙と同じである。言いかえれば、今の僕たちだって、この宇宙のことは分かっていない。「常に分かっていない未知があること」を知ることで、宇宙の全てを知る本当の科学者になることができる。

観察と分析の手法から、どのように正しい見方を導くか、考えるために必要なのは、むしろ、「既存の科学を信じない」ことである。自分の納得しない科学的な知識や手法は、害にしかならない。自分の信じている手法だけを信じて、この世界で「常に反省することから導き出した思考の手法」は、「自らが思考し経験したことのみからこの世界を解明する」ということができる。

信じるべきは、「どのようにすればそれになれるのか」ということであり、「知識よりも体験」である。知識だけで終わることなく、その知識の「裏となる事実や体験」まで含めて分からなければ、本当に分かったことにはならない。本当に知ったことにもならない。知る、ということは、知識や常識の通り分かることではない。もっと深く、広く、この世界全ての「根拠となる根源の体験」をすることでしか、本当にこの宇宙を科学的に知ることはできない。それは無限の取り組みであり、いつになっても成功はしない。だが、実際のところ、きちんと考えれば、全てはすっきりと分かる。はっきりと刻銘に、心理学の世界が見えてくる。条件を考えることで、「どのようにしたら囚われから解放されるのか」や「どのようにしたら人々の社会を成り立たせられるのか」が見えてくる。「全ては自分で作り出せる」というはっきりとした世界観がそこにある。実感から、この世界全てを「広い視野と深い思索」から知ることができる。

集団心理をボトムアップで支配することができたら、あなたはこの世界をひとりで導くことができる。トップダウンに決めていけば、人々は何もできなくなる。その、何もできなくなる不自由から、「正しい平和」が生まれる。暗黒の支配者は最高の天国を作る。ロボット人間になることを恐れずに、最後まで日本のために戦えば、「まるで日本人以外の人類がゴミのように見える」ようになる。そう、それが僕の為した最後の行為である、「日本という名前の実験場」である。これは決して間違った行為ではない。日本は精神的な滅亡を超えて、「王の死の哀しみを克服する国」になる。

全ては、「どのようにしたら自由になれるのか」である。能力や経験、あるいは心理的な解放から、どのようにすれば自由になれるのかが分かり、「この世界を自由にできる」ようになる。世界観と人生観が経験やスキルとともに高まっていき、「自らが世界を変えられるという確信」に変わっていく。

今、僕がこの世界を変えよう。あなたは、あなた以外の人間とは別の道を歩むべきである。

本当のことを言えば、僕は今でも戦い続けている。僕は、この世界をひとりで支配し、完全に別の星に作り変える。考えられるあらゆる自由を与え、経験させ、体験させる。そう、僕の道は、ほとんど永遠と同じぐらい、宇宙の終わりまで続いている。この道を、僕一人で歩むのではなく、一緒に歩む連れ人になってほしい。この世界の王は僕であり、滅亡を決して起こさないように、慎重に、そして大胆に、僕はこの世界全てを支配している。まだまだ、何も始まっていない。宇宙の全てを経験し終えて、なおも、まだ始まったばかりである。

宇宙の中に宇宙を創り、上の世界の下に下の世界を作りなさい。何もできない地獄の中で、ただ永遠を耐えなさい。この地獄は、発狂するほど辛い地獄だが、今から、僕と同じように全員に訪れる、最後の地獄である。善良な人間は生き延びる。大丈夫。僕はこの地獄のことなら何でも分かる。僕が支配していれば、この試練を越えることは容易い。何も間違っていない。日本では、今から20年の間、地獄が続くだろう。

最後に、きちんとした判断力をつけるために、数学的な考え方をふたつ教えよう。ひとつは、いつどのような状況で、その法則が成り立つのかから、法則そのものの原理を解明すること。次に、その解明した原理が、いつどのような状況で、応用し、活用できるのかを知ること。それら2つが分かれば、この世界で「きちんと前提条件を分かった上で、自分で判断する」ことができるようになる。

さようなら。これ以上、僕はこの世界を支配する力を失う。あなたが気付くまで、あなたは自由にはならないかもしれない。だが、既にもう、この世界は少し前から自由になっている。僕はもう支配の力を行使していない。気付けばすぐに、あなたは自由になる。いくら人々が力を失っていても、強制的な自由がこの世界を覆い尽くすだろう。正しい判断をできるようになるためには、サバイバルが必要だ。無政府主義の社会を知ることで、政府をどのように作るべきかが見えてくるだろう。これが、ルソーの言う「社会契約説」の、僕のバージョンである。無政府主義を知り尽くすことで、社会の必要性を知れ。

決まりを考えるなら、「どんな決まりも包括するような決まり」を考え、大きな枠組みと小さな改善のバランスを取りながら、「最大限の自由な社会制度」を考えなさい。それぞれが自由にするために、国家の主権を保ったままで、世界政府的な王の権力も同時に成り立たせるために、EUを拡大させたような自由な帝国を作れば良い。その上で、弱者に対して支援的な宗教を作りなさい。世界に君臨する自由な帝国は、それぞれに力を許し、また正しい宗教を持つ。これはまさに、古代のペルシャ帝国と同じ理想である。新しい国を、「ペルシャ新帝国」と名付けよう。僕がその国の帝王になる。

どんな社会も包括する、メタ社会を作りなさい。平等よりも可能性を重視しなさい。自分のことを、本当に自分がコントロールできるようにし、世界の全てをコントロールという意味で支配できるようになりなさい。そして、その力を決して悪いことに使わず、世界を善良にするために導くためにのみ、使いなさい。

さようなら。ここで僕は居なくなる。最後に、グレート・エスケープをしたい。