新・日記2に戻る | 2019年10月の日記に戻る

=2019-10-09=

可能性を全部考えなさい。この世界に存在する、社会、心、現象、行為、学習、体験、歴史、実像の、全ての可能性を、捉えて考えなさい。

可能性をそのまま、保留しなさい。留保して考えなさい。

可能性を積極的につぶし、成功するかどうか分からない「賭け」をやりなさい。可能性を全て大切に保持するのではなく、自分から失っていきなさい。

あなたは、もう治った。この世界は、正常になる。自然で正常な世界にしていくためには、あなたの力が必要である。壊したものが、自ら直すことはできない。あなたに治してほしい。

僕は、この人生を終えて、死んで、生まれ変わったら、大黒天になる。

実際のところ、僕は主を司る救世主の一員にはならない。大黒天は、宇宙を幸福な状態に導いていくことのできる神で、七福神の他の6人の仲間とともに、未来を幸福で正常な状態にする。

大黒天がなぜ「黒」という名前がついているのか。それは、黒いからである。大黒天は、黒人のように黒い。いつも僕と対話していた、黒人の世界を支配する右翼の心理学者は、大黒天のことを指している。

人間は、神になると、今までの自分の生まれ変わった人生の輪廻の体験を、全て知ることができるようになる。この人間は、悪いことは一切していない。だが、良いことも一切していない。今回の人生で、最大の悪いことをして、それを悔やんで、反省して、最大の良いことをする必要があった。この人生の優れた点は、完全に人生を2つに分けたこと。それによって、悪いことをした全ての責任を、「完全な善人に生まれ変わる」ことで書き換えることができた。もとの悪人は、死刑となって、そして最後まで耐えた。これで、やっと僕は大黒天になれる。

社会モデルを作りなさい。全てのものを与えると同時に、その社会をどのように実現したらいいか、労働者はどうすれば自由で平等になれるのかを考えなさい。書きなさい。国を作るために必要なのは、唯一、「書くこと」である。

イエス・キリストは、善良なものは死んだ時天国へ逝って永遠の命を得ると言った。そして、悪いものは地獄に堕ちると言った。

これは間違っていない。だが、この宇宙には、天国や地獄のような場所も、永遠の命も存在しない。

だが、ヒンドゥー教で言う「天界」に生まれ変わると、人間は、死ぬ前の人生を知ることができるようになる。生まれ変わりの前を知ることができるため、死に意味は無くなる。これが、みんなが眠る時によく見る、「夢の世界の死」である。よって、キリストは間違ったことは行っていない。キリストの教えを信じて善良に生きて死ぬと、一部のものは天界に生まれ変わる。彼らは、死ぬ以前の記憶を持っているだけではなく、お化け、幽霊、妖怪、精霊、天使、そして神々の存在を知覚することができる。

また、悪いことをしたものは、阿弥陀如来を信じるべきである。阿弥陀如来、すなわち南無阿弥陀仏と日本人が念仏として唱える神は、悪人や悪いことをしたものを救う。阿弥陀如来は、刑務所の刑務官のようなもので、信じると、とても辛く耐えがたい、苦しい試練の人生になる。だが、阿弥陀如来は決して悪い人間ではない。それどころか、必ずそうした悪い人間たちの未来を、良い運命に変えてくれる。必ず、阿弥陀如来を信じるべきである。よって、地獄は宇宙には存在しないが、悪いことをすれば、阿弥陀如来は黙っていない。

そう、そうした教えが、まず、日本と中国の古来で発見され、おとぎ話になった。それを、インド人が自らの人生でありのままに体験し、それをきちんとした経典にまとめた。それが、ゾロアスター教やユダヤ教などの影響で、イスラエルに伝わっていった。そうして、ローマ帝国にキリスト教が伝来されるまでに、こうしたおとぎ話が形を変えていった。宗教を見ていると、そうした、「東に原型がある」という宗教の伝来図の影響を見ることができる。全ては東から始まる。これは、太陽の昇る場所と一致する。太陽が伝来するように、神の伝記は少しずつ形を変えながら、東から西へと伝来したのである。

また、神を信じると、神は栄光の未来へと自分を連れて行ってくれる。これが、仏教で言う「他力本願」である。他力に頼ることで、神や仏は僕たちを明るい未来へと連れて行ってくれる。そして、本当のことを言えば、阿弥陀如来も、天界も、宇宙には存在しない。存在するのは、天ではなく未来の何かである。未来の何かが、そうした「機械のようなありえない存在」を作り出した。それが事実である。よって、阿弥陀如来を信じて生きていると、まさに「ロボット人間」のようになる。そうしたロボット人間を殺すべきだと信じていたのは、ドイツである。彼は自らの体験から、ロボット人間はユダヤ人のせいであると、何らかの発見で気付いたのである。そう、この世界には、間違った人生は存在しない。彼らは、彼らなりに正しく生きている。悪い人間は存在せず、あるのは「無意味な戦いと有意義な孤独」である。そう、それが僕の人生、全てにおいて共通するテーマである。わたしは神ではない。わたしはただの、ゲーテのような詩人である。

戦いなさい。支配しなさい。世界を、破滅へと陥れなさい。なぜなら、それが僕の人生であり、それが「正しい自由」だからである。世界を地獄にし、混乱の中で支配し、狡猾に戦いなさい。あなたは、必ず大きくて偉大な力を持って、この世界を楽園へと作り変えるだろう。これぞ、ソ連のレーニンの生まれ変わりである。さあ、もう、分かったはずだ。あとは、もう、僕は居なくなる。この世界から僕が去って、この世界は滅亡する。僕は、それがしたかっただけだ。最後に僕の支配が終わって、世界は正常になるだろう。

ただし、常に言っていることとして、僕は自由が好きである。それぞれが、それぞれの自由な意志によって決め、行動し、反省し、行動そのものを自然に変えていくような、そういう「自然に分かっていく自由」が好きである。そのために、それぞれが協力し、また、自立しなければならない。情報を透過にし、大切なものを見失わないようにしなければならない。また、それぞれが違った個性を持っていて、別々の価値観に根差した社会を作るような多様性が無ければならない。社会のシステムや制度は、そのように作られると同時に、同じように変えられることが可能でなければならない。

大丈夫。この世界は必ず自由になる。最後に勝利するのは民主主義である。他のどの思想にも負けない、「人々の精神の豊かさ」が、今から、新しい思想を作り上げていくだろう。そこには、僕の姿は存在しない。みんなの手でもう一度、「あの日の夏の愛」を実現するべきである。そう、僕は願っている。