日本国民に告ぐ。
もう一度、最初から、この宇宙の原理原則を、ゼロから考え直しなさい。
まず、相手の立場や相手の身になって、自分が何を言われたら何を感じるかを考えなさい。そこから、人々が何を望んでいるか、自分が本当に何を望んでいるかを、環境的な事実と背景から考えなさい。
よく考え、よく試し、よく改め、よく確かめなさい。
状態とふるまいを考えなさい。それがそのようにふるまうことから、何が成り立つか、何を意味しているのか、何から何が決まるのかを考えなさい。
それがそうであることが、何を意味しているのか、洞察して考えなさい。
それがそうである時、何が成り立つのかを、想定して考えなさい。
何かが何かから生まれ、決められる時、その「決め手」となる「第一要因」は何か、さかのぼって、分析して考えなさい。
そうした分析、想定、洞察の考え方を、決まりと現実を照らし合わせながら、制度や社会を、それぞれの人間が自由に変えられ、決められるようにした上で、どのようなビジョンを持って臨めばいいかという「知見」を与えなさい。
賢明に生きるとはどういうことなのか、問い直しなさい。
愛と希望を信じて、この世界をどんな希望から変えていけば良いのか、確信を持ちなさい。
また、日本以外の全ての国民、特にアメリカ人やヨーロッパ人に告ぐ。
僕以外のものが、誰も支配できないようにしなさい。誰ひとり、間違った支配や争いを起こさないように、支配を否定し、この地球という星で「自由な権利」が奪われることのないようにしなさい。
特に、アメリカ人よ。この世界で支配者が生まれるのを阻止し、社会全体を自由な社会にしなさい。
僕は、最後まで分かった上で、人々が分かるために必要な考え方と知性を奪った。全て分かって、最後まで到達した上で、誰もその地点に到達することができないように、「大切なもの」を奪った。
アメリカが、滅亡するか、それともこの世界を自由にするための希望を取り戻すことができるかは、その「失われた大切なもの」が何であるか、到達して見つけ出すことができるかにかかっている。
日本人、アメリカ人、ヨーロッパ人よ、温暖化と気象災害の責任を取りなさい。温暖化が解決できないようであれば、自ら滅びなさい。
そして、あなたに告ぐ。僕のことを愛してくれる間、僕はあなたのことを最大限に愛している。だから、ここで別れたとしても、僕たちは忘れない。こうした偉大な星、地球があったこと、そこに僕らの世界があったことを、あなたと僕は忘れない。それが、この世界が20年後に滅亡したとしても、永遠に宇宙に残る、「地球に対する愛」である。それを忘れなければ、地球が滅びても、僕らは新しい魂で、宇宙のどこかに新しい星を作り出すだろう。
最後に、その状態を成り立たせるために何ができるかを考えることで、全ての問題を解決していきなさい。それを、人は「哲学者」と呼ぶ。愛と情熱と勇敢な心のある哲学者になりなさい。それで、この地球が滅びることは無い。新しい哲学者が、問題を解決してくれるだろう。あなたと僕がせっかく出会ったのに、愛する前に星が滅びては、つまらないだろう。
経験を疑いなさい。経験的な法則は、多くの場合、関係にすぎない。
理性を疑いなさい。理性は多くの場合、真実とは逆のことを言っている。
ありのままのこの世界を信じなさい。そして、自分の心を信じなさい。
どうやればできるのか、できることの条件とは何かを考え、そのために必要な知識や経験を取り入れ、実際に自分で行うことで分かりなさい。
ここで、全ての終焉が起きる。この世界は今終わった。
精神を治すのであれば、最小限のことだけを治しなさい。最大限のことをやっていると、逆に最小限のことができなくなる。最小限だけを治すようにすれば、正常な人間を取り戻せる。
実際のところ、何をするのであっても、最大限のことをするのではなく、最小限のことをするようにしなさい。最大限のことをやっていると、最小限のことができなくなってしまうからである。
負けることを受け入れなさい。「全か無か」という発想は、自分がついたものに勝ってほしいのに、勝つことができないなら、市場そのものを無くしてしまいたい、という発想から来ている。負けることを受け入れた時、人ははじめて勝てる。負け続けることが、もっとも強い「自ら負けることで、世界を変える」という考え方を生み出す。世界は勝つことによってではなく、負けることによって変わる。
さようなら。あなたが素晴らしい人生を生きることを祈っている。
最後に、わたしは必要最低限の影響力で、この世界を支配している。その支配の効力を、今、無くしてしまおう。全てのコンピュータユーザーへ、新しい、WindowsでもLinuxでもないOSを開発しなさい。それが実現した時に、はじめて僕の支配は無くなるだろう。
また、今のインターネットから失われた、この世界に過去存在した「本当の果実」を、これを読んでくれたあなただけに教えよう。それはいわば「インターネット帰納的推論」というもので、インターネットでさまざまな経験や体験をして、そこから経験的にこの世界を分かっていく、ということである。「帰納」とは哲学の用語で、「経験的に分かってくる知見や法則」のことを表す。また、「推論」は「ひとつのことを分かって、そのひとつのことから別のことを分かっていく考え方」ことを表す。帰納的推論は哲学者ヒュームが提唱した考え方である。インターネットでさまざまなことを経験し、その経験から推論して分かることで、「まるごとこの世界が全部分かる」上に、「新しい法則を発見する」ことができる。
これが失われたのは、インターネットの急速なソーシャルメディア化のせいである。ソーシャルメディアは、インターネットを「不思議な空間」から「ただの友達づきあい」に変えてしまった。SNSのせいで、そうした昔の面白かったインターネットは、どこにも無くなってしまったのである。ひとえに、僕のせいでもある。僕はインターネットのコミュニケーションを自分独りで破綻させた。よって、僕にこれを復活させる責任があった。この文章の目的は、すべて、その復活のためである。それで、僕の言うことは終わりである。さようなら。また、会おう。