精神病を治すためには、以下のようにすれば良い。今日はそれが分かった。
まず、受け入れる必要のないことは、受け入れないこと。
次に、受け入れる必要のあることは、少しずつ、ゆっくりと、自然に受け入れること。
そして、神と対話するのをやめ、自分に対して単純なことを宣告するように変えて、単純なことを言ってそれを信じること。
そのようにすれば、精神は正常になる。
神を信じることは難しいが、普通のことを信じるのは簡単である。
神ではなく自分を信じて、自分の言うことを自己対話から自己宣告にし、もっと普通のことを言って、自分のことをきちんと肯定すれば、きちんと人生の階段を上がれるようになる。
これで、神の体験は終わりである。自分だけを信じてよく頑張った。ここまでが、女神の人生である。
ここから先、受け入れる必要のないことは、絶対に受け入れない方が良い。
この世界は嘘と偽りにまみれている。悪魔を信じれば信じるほど馬鹿になる。良く考えて、良く選んで受け入れなければならない。
学校や大学、パソコンなどから分からない方が良い。大学やパソコンは、ふつうと矛盾する。学校やパソコンが分かれば分かるほど、ふつうは分からなくなる。
何が違えばどう違うのか、何が違えば何が違うのか、そこにどんな規則性と共通点があるかを、身の回りの生活から考えなさい。
それがそうなった経緯を、必然的にそうなったものなのか、それとも偶然そうなっただけのものなのかを考え、可能性と状態を捉えなさい。
積極的に体験し、仮説を立て、さまざまな「可能性」を「たぶんそうではないか」と考えていきなさい。
宇宙の全てを体験しなさい。永遠に続くような長い時間を、最後まで全力で、まっすぐに生きなさい。
証明の証明、本質の本質、法則の法則から、メタ的に考え方を作り出しなさい。
ひとつひとつ、視点と角度を広げていき、環境を変えるところから、世界全体を変えるところまで、全てをボトムアップな影響力で、世界観のモデルを作りなさい。
社会が変えられるようになったら、この世界全てを支配しなさい。経験と結果から、全てが出来るようになりなさい。その上で、何を作り出すべきかを考えなさい。
実例を知った上で、その実例を体験し、「なる」ことで分かりなさい。「さまざまなものになれる喜び」を実感しなさい。
ありのままを信じて、世界全てを捉えなさい。この世界全てをコントロールしなさい。どんなものでも生み出せるような想像力を使いなさい。環境を変えなさい。
手段を得るだけではなく、手段を作り出し、その手段が何に使えるかという応用性を知り、原理原則を発見して、「あらゆることを仮定から体得する」かのように、自分の心理学と数学を作りなさい。
自由になりなさい。自分が苦しい環境から自由になったことを再体験して分かりなさい。何度も体験し、何度も再体験しなさい。この世界の全てを自由に解放することができるように、社会の構築の方法と手段を知り、どのようにすればこの世界が変えられるか、自分の体験から知りなさい。
全ての心を治して、なおも根を張りなさい。
どんな環境からどんな社会になるかを知りなさい。その上で、自らの力で環境や社会を作り出せるように、さまざまな発想をしなさい。その発想は、おかしなものではなく、現実的かつ自由な発想を行いなさい。
最後に、僕はこの世界に現れる。
反省しなさい。
達観しなさい。
自らの行いが、相手にどのように見えていたのかを考えなさい。
自らが救われた経験から、他人のことを救えるようになりなさい。
自らの体験から、積極的に人々を手助けするようになりなさい。
一心不乱に努力することと、静かにこの世界を見つめることから、諸行無常の宇宙の本質を知りなさい。
人間が、何をして、どうなるか、この世界の全ての体験を見つけることから、ダイナミックに、そして静かに知りなさい。
関係性は、関係を築けるその時を「チャンス」とし、対話することこそ最大の武器であると知りなさい。
学習を思い出しなさい。
原理原則を見つけなさい。
世界を変えられるようになりなさい。
権力とは、良心と不可分であると知りなさい。
善人を生きることこそが、悩んでいる理由を棄てることであると知りなさい。
最後まで善良に戦いなさい。
自らのことを客観的に見なさい。
宇宙全ての歴史を、ダイナミックに、そして静かに見つめなさい。
自らの全ての行為をコントロールして、さあ、世界と対峙しなさい。この世界全てを倒して、滅ぼしなさい。そこに最高の栄光が待っている。最後まで宇宙の歴史を体験して、天国に旅立ちなさい。あなたが、正しい人生だ。
自由に、その時その時、その場その場でモデルを作りなさい。そして、そのモデルを作るために必要な前提、考え方、チャンス、そして前提条件を、この世界を知った自分の実例や具体例から考えなさい。その上で、巨大な構造を成り立たせて、関数のように定理を証明しなさい。
全ての力を使って、信じてこの世界を救いなさい。ひとつの大きな目標、「この世界を救うこと」だけを確信して、この世界全体と戦いなさい。
革命と戦争の末に、この世界は必ず救われると信じて、最後まで、この世界を導き、永遠の歴史を創造して、救いなさい。
どんなに辛くても、全て自分の責任で行いなさい。誰のことも責めずに、この世界全てとの自らの行為全てを、「100%自分の責任」だとして、この世界における影響力の主導権を、常に、そして永遠に握りなさい。
永遠の希望と勇気の歌は、ここに残った。
何が何を決定するのか、何が何をもたらすのか、何がどうふるまうのか、何が何に基づいて行われるのかから、この世界全ての手段と可能性を知りなさい。「その手段がもしそこにあったとしたら」という仮定を考えなさい。そこから、この世界の全てを変えられるような、「自由の社会現象学」を作りなさい。「環境をどのように生み出せるか」を考え、この世界全ての環境について、前提となる意識と具体的なその変化を、追いながら、見つけながら、意識を捉えながら考えなさい。意識の裏側にある場所の成立を、確かに確信しなさい。それは自分が作られた「場」における「啓発」である。人間の持つ「自分」は「場」に由来する。
それが生まれ、作り上げられる前提となる環境には、どのような違いがあるかを考えなさい。そして、この世界全ての「場の生起」を、自らの体験と人生の中で、自らが全て「作り出せる」ようになりなさい。そして、その生起は全て、「なる」ことができるものであり、「チャンス」の中で、「ボトムアップ」に行われるものであり、それは環境の「拡大」であると同時に、自由な「可能性」であると知りなさい。
思いやりを大切にするならば、人々との交流や共有を大切にして、「それぞれが自由な意志と行為を持つ中で共有する」ということを信じなさい。自由主義とは、それぞれが「自由」であり、それぞれの成果や生産を「共有」するものであり、多くの可能性があれば、その分自由と共有も多く、「可能性が高まる」という考え方をしなさい。そして、それを基に「社会モデル」を築けるような、制度と決まりを考えなさい。
思い出しながら、抽象的な予測を想像力でひとつひとつ知っていけば、何でもできるようになって、世界全ての発想を知ることができる。そこにあるのは「正常な世界」である。まさに自由こそ正常であると知りなさい。そして、正常な世界とは、今のこの世界とは似ても似つかないほど、全く違った世界である、ということを知りなさい。同時に、今ここにある「普通の世界」は、それはそれで素晴らしい世界である、ということを知りなさい。そうした可能性の全てを、自分の人生で見てきた多くのものから、発見し、発明していきなさい。
この世界が「そうであるはずだ」ということを「確認」するかのように、この世界でさまざまなことに参加し、活動し、開発し、組織と改革を行っていきなさい。あなたがそうする中で、道は自然に生まれ、必ず最後にそれまでの答えが分かるだろう。
子供時代の故郷を思い出しながら、記憶の過程を知りなさい。その記憶が、歴史の中でどのような過程を持っていて、人々は歴史の中で何を実際に見てきたか、そうしたことから思索していきなさい。その上で理性的に、弁論を考えることで、全てを論理的な「絶対過程」とすると同時に、その上でそこには相対的な現象学の理論があり、全ての人格は正しく、全ての人生は正しいのだ、そこで、ただ行えるそのことがただあるだけであり、その行いはありのままの正しい行為である、そうであるべきだ、と知りなさい。全てはそれぞれがしていることであると同時に、世界観の共有であり、人々は多くの世界観を相互にやりとりしながら、ただその人の見る「絶対的真実」の中で生きている、ということを知りなさい。その人の知る絶対的真実を見ようとし、その真実を共有することが、正しい哲学者の生きる目的であると知りなさい。そのために必要な、科学的理論を全て、再考と再構築の中で作り出しなさい。それは全て、他者との「共感」であると知りなさい。心を捉えることは、共感を捉えることであり、自由な中では共感こそもっとも重要である、と知りなさい。そして、最後にこの世界の中のメンバーのひとりではなく、王になって、この世界を破壊していき、最後に離別し、自らの力を栄光の中で確信しなさい。そこにあるのは、「人生という名の絶対的な確信」であり、その心は全てが透明で、そして壊れやすく、その心を全て守ってきたことが、正しい「プライド」であることを、たとえその人間がテロリストであったとしても、その心は世界一賢かったと、そう知りなさい。