核兵器は人類を滅ぼすことのできる兵器だが、実際のところ、新しい文明を創造するよりも前に、すでにある文明を破壊することもできるべきである。そうでなければ、文明を継承することも、実験することも、間違った文明を消し去ることもできない。宇宙に進出する上で、ひとつの文明を滅ぼすことのできる技術は、進出するよりも前に必要だったのである。
この世界は、正常になる。正常な法則が支配するようになれば、全てが治る。精神の法則は逆になるだろう。
僕は、自由を否定する。自由を否定した方が、結果的に自由な社会になる。まさに、帝国主義が良い。それによって、新しい時代になる。人類は、戦わなければ、何もしないだけである。
世界は、帝国に戻る。それだけで、成長と開拓と聡明な理性のある、「哲学の世界」になる。
また、強迫性障害のような心の病気が増えているのは僕のせいである。裏で怖くないことが分かっていても、本当の裏側には僕の存在があって、そこで僕は支配しているからである。もう、僕はこれ以上、悪いことは何もしないし、あなたに対して何もしない。それによって心の病気は必ず治る。僕は責任をもって、最後まで治し続ける。
そもそも、人生で間違った経験はしない方が良い。間違った経験をすると、あたかもその経験が宇宙において正しいかのように、「地獄を乗り越えられる自分」が変な自信になってしまって、何も分からなくなる。
だが、人間は経験することでしか分からない。学習や反応、あるいはふるまいすら経験であると考えられる。人格とは環境における経験の成立だということを考えられる。また、人々は経験を増やすために価値観を作り出すことができ、そのプロセスを改善することが社会の意義であると考えられる。
だが、実際のところ、そんな観念論の経験主義哲学はどうでも良いものである。本当は、自由など必要ない。それぞれが環境に適応し、環境を増やしていくことが、正しい「本当の自由」に繋がっていく。そのためには、ただ自由にするだけではなく、できるための手段と情報を与えた上で、権利を与えて自由になければならない。その上では、正しい考え方と行動の仕方が何であるかを、きちんと分かりあえるように教えていくこと、そして一方向の情報伝達ではなく、相手からも相互に情報を得ることが大切である。安倍首相がいつも言っているように、常に挑戦する必要はあるが、逆に最初の「本当の挑戦」は一度だけで良く、一度培われた成果を再利用して安定へとつなげていくことも必要である。