新・日記2に戻る | 2019年9月の日記に戻る

=2019-09-15=

実際のところ、僕は世界を変えるために何ができるか、どのようにすればこの世界を自分が変えられるかを考えて、自由と言っていただけである。

手段や生産システムのようなものは、全て、自由な合理性、すなわち、「それぞれがやるようにやる」ことから、この世界をどのようにすれば新しい世界にできるのかを考えた、それだけにすぎない。あとは、さまざまな経験をした、というだけである。

この世界は最後に滅びる。全員が認知症になる。

最後まで分かってしまったら、着眼点を変えて、頭がまるっきり同じ考え方をしているのを改めてみよう。特に、脳というのは、答えを探し、意志(すなわち自分が見つけ出した答え)を貫く機械であり、その答えとは、それを「どのようにしたら目的を達成できるか」と「そのための実現可能な方法は何か」を考えるだけである。これが分かると、人工知能とコンピュータが、人間をすでに超えられることが分かる。自分の答えを見つけ出した時、その答えを信じて行動できるようになったら、それを人間という。それはもしプログラムであっても、探して見つけた答えを信じて行動できるようになって、次の答えをそれによって探すことができるようになったら、それは既に、コンピュータというレベルを超えて、人間である。

どんなに気持ちが悪くても、どんなに汚くても、それに耐えること。それでしか、精神病は治らない。

だが、諦めなさい。諦め、投げ出した先に、自分で見つけ、自分で作る、本当のゴールがある。

今から、僕が一番恐れていたことが起きる。それは、法則が変わる、ということである。精神の法則が、ここで逆に変わる。子供が大人になって、自由が勝利する。

実地的に、自らの行動と経験から知って、反省し、考え、そして可能性から法則と原理を発見しなさい。それが、新しい「大人たちの世界」で起きるすべてである。

精神の法則が変わることで、何も怖くなくなる。今までの法則は「子供の法則」である。子供はロボットのように、全て支配され導かれながら知っていく。大人は自由だが、守ってくれる存在が居ない。だが、大人は怖くない。必ず、強くなってもう一度会おう。僕はこの世界の法則を、完全に逆に変える。